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遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 坂の下の角にある銀行を左へ曲り駅まで歩く。赤レンガ造りの駅は薄汚れてはいるが、1972年のままのたたずまいであった。チャールズのお母さんが駅の前の通りを横切る時、「速く道路を渡って!」と息子によく叫んでいたものだ。あの時のお母さんの声と息子の懸命に渡ってくる小さな姿が一緒になって蘇ってくる。

ヴィオさんの旅行ブログ-バックハースト駅
 再び クィーンズ・ロードを戻って、途中のキングズ・プレースで左折し、犬をつれてチャールズと散歩によく来た裏の森へ行ってみた。1972年に妻と息子の3人でチャールスの家に泊った時、朝夕、散歩に来た森である。Epping Forest (エッピングの森) の一部であるLords Bushes (ローズ・ブッシュ)と呼ばれる森の奥には小さな底無し池が有ったはずだ。今回は池までは行けなかったが、ヒイラギが至る所に生茂る森の様子は驚くほど変わっていなかった。イギリスの自然をあるがままに残す努力がよく分かる。「ひいらぎの森」といえば「ハリウッド」と洒落ているが、下手に迷い込んだらひいらぎの葉がチクチクと刺さって大変だ。犬が迷い込むと、痛そううにキャンキャンとわめいていた。帰りの道には犬の散歩の途中にチャールスと立寄ったプリンセスロードのパブ「The Three Colts Ale House」があり、少し薄汚れているがまだ健在であった。早朝で店が閉まっているのが残念だ。
ヴィオさんの旅行ブログ-パブ  チャールズの家の中の様子は1972年の時と余り変わっていなかった。変わったことといえば、居間の円い食卓が半分たたんで窓際に寄せてあることと、いつも暖炉の前の椅子に座っていた小柄でほっそりとしたお父さんの姿がないこと、後は少々整理整頓が悪く乱雑なくらいだろうか。昔、私達が寝泊りした2階の部屋はチャールズが仕事部屋に使っていた。息子のチャオがお母さんと一緒に入った1階台所の奥のお風呂も、ミントが沢山植わっていた裏庭もそのままで懐かしい。


ミネソタの遠い日々 1970年の夫婦子供連れでのミネソタ大学留学記へもどうぞ

 坂道の頂上にほぼ近い150番地あたりに出た。早朝で店は閉まっている。歩道では年配の婦人が2人ひそひそと立話をしている。開店の準備をしている黒い作業服の男が店を出たり入ったり。この辺りは薄汚れてはいるが洒落た小さな店が並ぶ。イギリスの小さな町ならどこにでもある町並みなのだが、特別に思うのは記憶と思い出のせいだろうか。道の向かい側に白塗りの花屋『Queens Road Florist』が開店の準備をしていた。白いシャツの少年が忙しそうに動き回っている。チャールズのお母さんにと小さなベコニアの鉢植を買い、70番地のチャールズの家まで坂道をくだっていった。
ヴィオさんの旅行ブログ-花屋
 飴色をした壁のチャールズの家は1972年と少しも変わってなかった。家の前が少し荒れている。住む人の様子がうかがえる感じがした。セミ・デタッチ式の住宅で100年以上は経っている。商店街が延びて来て、ここも住宅には向かなくなるだろう。
 まだ早いので鉢植えを玄関の門の脇に置き、そのままクィーンズ・ロードの坂を下りバックハースト・ヒルの駅まで歩くことにした。
 時がゆっくり流れるヨーロッパでも18年の歳月の間には変化が起こっていた。チャールズの家の近くにあった小さなお菓子屋さんはもう無かった。店のドアを押すと、「カラン」とドアベルの音が薄暗い店内に心地よく響き、亜麻色の髪の可愛らしい奥さんが店に出てきて、にこやかに微笑んで応対してくれたものだった。この菓子屋ではタバコも売っていたので、チャールズのお母さんに頼まれてよく店に通った。両切りのタバコを買うのではなく、紙とタバコと別々に買うのだ。そして小さな手巻用の道具で1本1本器用に巻き上げる。私も見よう見まねで巻いているうちに、「ヴィオは器用でうまい」とおだてられて、タバコ製造係りになってしまったものだ。今は通りにスーパーが新しく進出し、よそ者が入り込んで車の騒音が絶えなく、落着のない、ゴミの散らかった、薄汚れた町になりつつあった。


ミネソタの遠い日々 1970年の夫婦子供連れでのミネソタ大学留学記へもどうぞ

 改めて散歩にでかけた。クィーンズ・ロードのかなり手前のグラッドストーン通りを左へ折れ、古い住宅が長屋のように並ぶ坂道を下だった。100年以上は経ったような古い2階建ての石造りの建物だが、いかにもイギリスらしく白い縞子の窓枠が個性的で、美しい素敵な町並みである。庶民的なテラスだが、バーミンガムあたりの工員長屋とは違って、一軒一軒個性がある。ただ、やたらと『For Sale』の看板が多いのが気になった。高齢者の多い町だが、やはり、彼等が去った後に、売りに出されるのだろうか。
ヴィオさんの旅行ブログ-バックハースト
 バックハースト・ヒルも1972年にはこのあたりの高台は歩いていないので、遂に迷子になってしまった。勘をたよりにウエストベリー・ロードの坂道を登って行くうちに広 い道路に出た。パーマーストーン・ロード。その角の白いアパートの庭先で小さな金髪の女の子と庭いじりをしている中年の男性に道を聞いた。土で汚れた手でメガネを押し上げ、指をさし、「細い小路を抜けたら、そこがそうだよ」と歳には似合わない若くて軽い声で言う。彼が指す方向へ2ブロック程真直ぐ行くと、小路の奥にクィーンズ・ロードが見えてきた。
 バックハースト・ヒル。ロンドン市の北東に広がるエセックスの南端にある小さな町である。エッピングの森を背にバックハースト・ヒルの駅まで7百メートル程の坂道が通っている。これがこの町のメーンストリートのクィーンズ・ロード。
 道の両側に小さな素敵な店が軒を連ねる。道はかなりの勾配があって、真直ぐに延びているが、渋谷の道玄坂くらいの感じはある。昔は坂の上から遠くに教会の塔や森や平野が道の奥に見通せた。今は車道の両側にビッシリと駐車している車が視界を遮ってあの素晴らしい眺めはもう望めなかった。

ミネソタの遠い日々 - 1970年に夫婦子供連れでのミネソタ大学留学記 にもどうぞ。

 最初の長い一日が終り、一夜が明けた。今日はチャールズとケンブリッジへ行く計画であった。朝早く目を覚ましたが、思切ってベッドを抜け出して、2人で散歩に出かけることにした。
 ホテルから広場の先のハイ・ロードに出て、そこを左へ折れ、歩道を南へ進んだ。時折、車が勢いよく走り抜けて行く。昨日の昼間は結構暑かったが、明け方はかなり涼しい。9月のミネソタの早朝か、札幌の明け方の感じだ。肌がキリッと引締まる。気持ちがシャキッとして心地よい。
 クィーンズ・ロードのかなり手前で左に折れてみようか、と思ったところで余りの涼しさとカメラを忘れたことに気付き、ホテルへ戻ることにした。
ヴィオさんの旅行ブログ-レストラン

 ホテルのレストランは7時に開くので先に朝食をとることにした。黒い柱に白壁の古い食堂には朝日が差し込んで心地よい。まだ客は一人もいない。一番乗りだ。何か食欲が湧かない雰囲気だなーと思っている所へ、黒髪のほっそりとしたラテン系のウエイトレスが注文をとりに来た。メニューはあるがよく解らない。英語は解るのに、言葉と皿のイメージが結びつかない。考えてもしようがないので、イギリス風の朝食に決めた。ジュースとフルーツとヨーグルトは勝手にどうぞのセルフサービスである。
 ほどなく出てきた卵焼きはベーコンとフライドポテトが山盛りで食べ切れない。イギリス料理は不美味いとチャールズでさえ言う。イギリス料理というものは余り聞いたことがない。東京でもイギリス料理とうたったレストランがない訳ではないが、誰も気にも留めない。しかし、ただ一つ世界に冠たるものがある。イングリッシュ・ブレックファストだ。世界中のホテルやレストランで朝食といえばイングリッシュかコンチネンタルが主役である。アメリカの一般のホテルの朝食は英国式かその亜流である。朝食はイギリス人にとって最も大切な食事だ。だから夕食には下手な料理を取るより、もう一度朝食を食べた方がましである。とにかく、美味しいけれど、ボリュームがあって降参である。

 ほどなくバックハースト・ヒルの町に到着し、町の奥の高台にあるローバック・ホテル(現在はもう無くなっているらしい)に入った。レンガの壁を蔦が這っている4階建の古いホテルで、30室ほどの田舎的なインである。チャールズが予約しておいてくれた中2階奥のダブルの部屋に荷物を納めた後、ホテルのパブ
遠い夏に想いを-ローバックホテル へ行き、玄関前のテラスへ出て3人でビールを飲んだ。ホテルの向かいは広い森になっており、時折走り抜ける自動車の唸音以外は小鳥の囀り声が聞こえてくるくらいで、いたってのどかだ。夕暮れの柔らかい陽射しの中で空気が止まる。この感覚は何処かで覚えがあった。そうか、夏のミネソタの空気と同じだ。色と重さと肌触りがよく似ている。別世界のように静かにゆったりと時が流れる夕方だった。
 チャールズが帰った後フロントに頼んで中2階のダブルの部屋からツインの部屋に変えて貰う。ツインでないと眠れないのだ。ところ、が先ず部屋を見てから決めろと言う。荷物を持って4階まで行って、気に入らなけりゃ客が大変だからだろう。いきなり4階まで連れて行かれてしまった。屋根裏風だが悪くない。1972年に泊ったパリの左岸のベルソリーズ・ホテルを思い出させるこぢんまりと家庭的な部屋だった。
 OKを出して引越しを始める。これが大変で、中2階から一旦1階に出る。ロビーの前が4階まで吹抜けになっていて、その壁の周りに狭い階段が張巡らしてある。エレベーターは無い。重いトランクを引摺りながら登らなければならない。旅の疲労とビールの酔いで階段の途中で休み々み、こんなところで腰でもやられて動けなくなったら、何のためにヨーロッパに来たのか分らなくなるから、一段一段踏みしめながら2人がかりの大引越しとなってしまった。
 この日はひと寝入りしてからホテルのレストランで夕食のつもりだった。目を覚ましたら既に10時を過ぎていた。食欲もないし、レストランも終わっていた。部屋の隅に薬罐とティーバックが置いてある。小さなホテルには大ホテルに無い家庭的な雰囲気と心くばりがあって楽しい。あくの強いイングリッシュ・ティーを入れて喉を潤し、後はひたすらベッドにもぐって寝るだけとなった。