遠い夏に想いを -228ページ目

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 今朝も早く目が覚めた。時差ボケが治っていない。シャワーを浴びた。ノッコは隣の客を起こさないようにシャワーは静かにと言う。隣の部屋の泊り客は恰幅のいい大きな身体をした気のよさそうな30歳くらいの男性である。廊下ですれちがいざまに見せた笑顔には愛嬌があった。今日はロンドン市内のホテルへ移動する予定である。9時頃にチャールスがホテルに来て、バックハースト・ヒルの駅まで車で送ってくれることになっていた。

ヴィオさんの旅行ブログ-Queen's Rd  6時半になった。今朝も散歩に行くことに決めた。ホテル横手の昨夜の道をおりて行った。今日も涼しく心地よい朝である。通りの一番低い所で右に折れてみた。ここから再び上り坂となる。勘だけを頼りに歩いているのだが、石塀の形や家の様子に見覚えがあった。昨日の朝迷子になって、道を聞いた通りだった。正面に赤い看板のある雑貨屋に向かって小路を抜ければクィーンズ・ロードに出る。この景色は夢でよく見た静かな町並であった。早朝の大都会の街のように疲れ切った気怠さはなく、一日の始まりを待受けている明るさがあった。
 クィーンズ・ロードはここから上は歩いたことがないので、上をまわってホテルに帰ることにした。このあたりはクィーンズ・ロードの山の手というか、気が利いていて、洒落た小綺麗な店が多い。緑の縞子の窓枠のガラスの中に可愛らしいショーツやシュミーズがさり気なく飾られている女性の下着専門店、小さな白い窓枠の飾り棚の上に焼物のピーター・ラビットや小さなオルゴールなどぎっしり並べられた間口が2間ほどの飾り物店、ピンクの壁に大きな白い窓枠の奥に新しい感覚の椅子や大きな鏡が並ぶ美容院。
 古い石造りの建物をそのまま使っているヨーロッパの街では各々の家や店が自己主張するのに様々な工夫を凝らす。形と色。日本と違って形は容易に変えられないので、多彩な色の使い方に工夫が見える。特に北部ヨーロッパが素晴らしい。北欧や東欧などもそうらしいが、イギリス国民は色彩の魔術師の観がある。意外に派手な色を大胆に使うが、不思議とケバケバしていない。ピンク、グリーン、スカイブルー、サルファーイエロー。ヨーロッパの国々ならどこでも使う色だが、イギリスの特徴は民家やアパートにまで盛んに使われていることだ。特にピンクの使い方は魅力的だがとても真似ができない。

 ミネソタの遠い日々
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 食後のお茶を飲んだ後、余り遅くならないうちに帰ることにした。犬の散歩をかねてチャールズがホテルまでついて来てくれた。夕暮れが迫っていたが、西の空はピンクに染まっていた。近道を教えてあげるという。クイーンズ・ロードをいったん下り、キングズ・アベニューを通りを左折し、さらに左に大きくカーブするローバック・レーンをのぼるとホテルの裏手に出た。

ヴィオさんの旅行ブログ-,ホテルパブ  ノッコは疲れたからと部屋へ上がっていった。チャールズと2人でホテルのパブへ行き、外のテラスヘ出てビールを飲んだ。イギリスのビターは微かに甘味があり、香りと味に独特の風味と苦みがある。最初は取っ付き難いが、馴れるほどに止められなくなる。ドイツのラーガーは冷やして飲むが、ビター(イギリスのパブでだす生ビール)は余り冷やさないし、度数が低く、酒の弱いご主人には飲み易く、不思議に悪酔いしないのが有難い。また、ハーフ・パイントのグラスをゆっくりと飲むのもいい。日本人はビールをガブガブと一気に飲むものと決めているが、イギリスではパブでもゆっくり味わい、楽しみながら飲む。「つまみ」など殆どとらずに、ビターだけをチビチビと飲む。上面醗酵のビターはこの冷やさない飲み方がいい。
 今日は金曜日、夜になってホテルの1階の小さなホールで結婚披露宴が催されていた。4階の屋根裏部屋まで大きな話声と笑い声が聞こえてくる。突然、警報ベルの大きな音がホテル中に響きわたった。「火事だ」と直感。泊り客がドタドタと階段を駆けおりて行く。私達も後に続いた。しかし、火事の気配もない。結婚披露宴の花嫁も花婿も出席者も泊り客もみな玄関前の薄明るい広場に集まった。誰も文句を言わず、結構ニコニコ・ワイワイやっている。しばらくして、ホテルの小柄なマネジャーが出てきて、何事もなかったので部屋に戻れという。日本なら平身低頭だろうが、いたって、さらりと事務的だ。このへんも日本と心情的に異なる。どうも、披露宴の客がだすタバコの煙を感知したらしい。今日は長い一日だった。何か、芯から疲れた感じで、後は寝ることだけしか頭になかった。

 ミネソタの遠い日々
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 フィッシュ・アンド・チップスに使う魚はタラだけかと思っていたら、ここでは5種類の魚が並んでいる。私達にはどれが美味しいのか判断がつかないので、チャールズに選んでもらった。その代わりチャールスの反対を押切って無理やり我々が代金を払い急いで店を出た。6時を過ぎていた。どこの商店も店仕舞いを始めている。ロンドンの郊外なのに、東京のことを考えたら、信じられないくらい一日の終わりが早い。
 クイーンズ・ロードを下って家に到着するやいなや、あわただしく食卓に皿を並べ、夕食の用意をする。外側の新聞紙の中からタラ、バス、エイの3種類のフライとフライド・ポテトが白い包み紙に包まれて出てきた。タラやバスはわかるが、エイとなるとハタと首を傾げたくなる。食べてみると、まさに小型のエイで、北海道でカスベと呼んで煮魚にして食べるものと全く同じであった。なかなかイケる。久しぶりにカスベを食べた。お袋がよく作ってくれた。子供のころが懐かしい。これらの淡白な白身がフライによくあう。

ヴィオさんの旅行ブログ-ビーグル  夕食後、お母さんは疲れたからと寝室にさがった。チャールズはまだビーグルを飼っている。今のは何代目だろうか。彼はウサギ猟に行くのだ。だからビーグルはペット以上の愛犬である。名前はケンタ。歴代のビーグルにはみなケンタと名をつけた。多分、H君の息子の名前を付けたのだと思う。今のケンタはかなり年寄りだが、1972年にきた時のケンタ(写真は72年のビーグル)はまだ若くていたずらばかりしていた。まりの人の靴をくわえてソファーの裏にもぐりこむとか、新聞紙をぐちゃぐちゃに噛んだり、子供のビーグルはいたずらが好きで飼うのに大変らしい。


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 ケンブリッジについては旅行案内書の記述みたいになってしまった。ご勘弁ねがいたい。何せ自分用に書き留めておいた日記なので。

ヴィオさんの旅行ブログ-England Map

 さてM11を一気に走り抜け帰路についた。イギリスは緯度が高いから、まだ太陽は高く、車内への直射日光も結構厳しい。風の音とタイヤの騒音とエンジンの唸音で頭がボーとしてきた。イギリスは寒い国だ。エアコンが無い国だ。自動車にも無いし、電車にも無いし、家にも無いし、ホテルにも無いし、デパートにも無し、の無々尽くしである。当時はエアコンのある方が異常に感じられた。イギリスは寒い国だからだ。しかし、それ以上に理由がありそうだ。イギリス人は新しい家電的なものが好きでないのだ。だから旧式なものをいまだに大切に使っている。それに、こんなに暑い夏は滅多にあるものでない。ノッコは後ろの座席でまともに風と闘っている。閉めると暑い、開けると飛ばされそうだ。車窓に流れる夕暮れの田園風景を楽しんでいる余裕はない。
 時間がどんどん過ぎてゆき、お母さんの事が心配になってきた。1時間ほど走ってエッピングの町に着いた。今日は6時半までに帰ってチャールズの家で一緒に食事をすることにしていた。帰りがけに、エッピングのフィシュ・アンド・チップスの店へ寄って、お母さんの希望で魚のフライを買う予定だった。ここの店のフィッシュ・アンド・チップスは美味しいのだとチャールズが言う。店内では客が列を作っている。食欲をそそる魚と油の香ばしい匂い。久し振りのフィッシュ・アンド・チップスの匂いだった。極端な話、本格的なのは18年前にミネソタで食べて以来だった。
 大学のミネアポリス・キャンパスにあるスタジアムの東側に本格的なフィッシュ・アンド・チップスの店が開店し、何度か買って帰って夕食のおかずにしたことがあった。まともな魚が簡単に手に入らない土地柄だったので、揚げたての温かいディープ・フライの魚はとても美味しかった。そういえば、このエッピングの店はウナギの寝床みたいな店構えといい、白塗りの店内の雰囲気といい、ミネアポリスの店とよく似ている。


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 14世紀中頃ペンブローク公爵の未亡人のマリー・ド・サン・ポル・ド・バレンス婦人という人によって創設されたらしい。その趣旨が面白い。百年戦争の頃イギリスとフランスの学生が争わず仲よく一緒にやっていけるようにとの願いがあったそうだ。当時から開かれた大学だったのですね。現在オールド・ライブラリーとして使われているチャペルだけが当時の建物らしい。ここでは、政治家の小ピット、詩人のエドムンド・スペンサーなどが学んだという。
ヴィオさんの旅行ブログ-芝生  このカレッジは来る人も余りなく、柔らかな赤レンガがかもし出す美しさと静けさのなかで散策を楽しむにはこの上ない場所だ。緑の芝生の中庭が美しい。その右奥に広場があり、校舎の花壇に沿って一周した。いつの間にかチャールスの仕事の関係やら、バブルの最盛期が終わろうとしていた頃だたが、美術品や不動産に対する日本人のどん欲な投資意欲に対する彼の経験談や笑い話に花を咲かせてしまう。久し振りに気のおけない楽しいチャールズとの散策であった。
 夕方の5時近くになった。帰りがけにトランピントン通りのフィッツウイリアム美術館に立寄ってみる。時間がないので2階の展示室を一周するだけとなった。
 展示してある美術品、絵画はまあまあであるが、それでもティツィアーノやレンブラントやロセッティなど、大学の所蔵品としてこれだけの作品を収集しているのはさすがである。1816年にフィッツウイリアム子爵が所蔵品を大学に寄贈、美術館は1837年に起工され、完成するまでに38年をついやしたという。いかにも美術館に相応しい重厚な建物である。

ヴィオさんの旅行ブログ-トランピントン  トランピントンを歩いて車まで戻る。今日は歩きどうしでかなり疲れた。どうゆう訳か、チャールズが植物園に寄って行きたいといい出してきかない。気は進まないが結局立寄ることにした。結構広い植物園だ。しかし、時間が遅くて閉館した後であった。チャールズはやはりイギリス人だなーと思うことがある。こんな時もそうだ。小さな自然や公園を散歩することに執拗にこだわる。その昔彼が東京に住んでいた頃も同じだった。あの頃は何故か分らなかったが、イギリスでチャールズと歩いていて、やっとその理由が分ったような気がする。


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