14世紀中頃ペンブローク公爵の未亡人のマリー・ド・サン・ポル・ド・バレンス婦人という人によって創設されたらしい。その趣旨が面白い。百年戦争の頃イギリスとフランスの学生が争わず仲よく一緒にやっていけるようにとの願いがあったそうだ。当時から開かれた大学だったのですね。現在オールド・ライブラリーとして使われているチャペルだけが当時の建物らしい。ここでは、政治家の小ピット、詩人のエドムンド・スペンサーなどが学んだという。
このカレッジは来る人も余りなく、柔らかな赤レンガがかもし出す美しさと静けさのなかで散策を楽しむにはこの上ない場所だ。緑の芝生の中庭が美しい。その右奥に広場があり、校舎の花壇に沿って一周した。いつの間にかチャールスの仕事の関係やら、バブルの最盛期が終わろうとしていた頃だたが、美術品や不動産に対する日本人のどん欲な投資意欲に対する彼の経験談や笑い話に花を咲かせてしまう。久し振りに気のおけない楽しいチャールズとの散策であった。
夕方の5時近くになった。帰りがけにトランピントン通りのフィッツウイリアム美術館に立寄ってみる。時間がないので2階の展示室を一周するだけとなった。
展示してある美術品、絵画はまあまあであるが、それでもティツィアーノやレンブラントやロセッティなど、大学の所蔵品としてこれだけの作品を収集しているのはさすがである。1816年にフィッツウイリアム子爵が所蔵品を大学に寄贈、美術館は1837年に起工され、完成するまでに38年をついやしたという。いかにも美術館に相応しい重厚な建物である。
トランピントンを歩いて車まで戻る。今日は歩きどうしでかなり疲れた。どうゆう訳か、チャールズが植物園に寄って行きたいといい出してきかない。気は進まないが結局立寄ることにした。結構広い植物園だ。しかし、時間が遅くて閉館した後であった。チャールズはやはりイギリス人だなーと思うことがある。こんな時もそうだ。小さな自然や公園を散歩することに執拗にこだわる。その昔彼が東京に住んでいた頃も同じだった。あの頃は何故か分らなかったが、イギリスでチャールズと歩いていて、やっとその理由が分ったような気がする。
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