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遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 Belvoir Castle。フランス語式に読むと、ベルヴワルと読みそうだが、イギリス人はビーヴァーと発音する。城はビーヴァー谷を眺望する要衝の地に立っている。この城の歴史は11世紀のノルマン王朝の時代まで遡る。結構古いのだ。フランス王が侵略して住み着いたノルマン人(ヴァイキング)にノルマン地方を与えた。ノルマンディの支配者だったウイリアム(フランス語でギヨーム)がイギリスの王位継承問題でイギリスに攻め込み、1066年にここを征服し、大勢の部下をノルマンディから連れてきた。その時、ウイリアム征服王の旗手、ロベール・デゥ・トデーニもここに城を建てた。


 その後15世紀のバラ戦争で所有権争いが起り城は荒廃する。16世紀に現城主の先祖にあたる第2代伯爵によって再興されるが、17世紀の内戦で再び城は破壊されてしまう。しかし、その後直ぐに再建計画が練られた。有名な建築家イニゴ・ジョーンズの弟子のジョン・ウエッブによって計画が進められたが、1816年に発生した火災で城は焼け落ちてしまった。この時の損害は城だけに止まらず、ティツィアーノやファン・ダイク等の30点に余る名画が灰と化したという。波乱万丈と言おうか、イギリスにおける抗争史の縮図のような運命をたどってきた城なのである。



遠い夏に想いを-castle02  現在の城は19世紀の中頃にノルマン様式を模して建てられたものである。従って、ノルマン風の古い趣が凝らされているが、完成されてから、まだ150年程しか経っていない。


 城の横手のメーン・ゲートから城内に入る。外観のイメージと異なって、ホール内部はまるでカテドラル風というか修道院風というか、柱や天井はゴシック様式で作られている。現在イギリスでも名のある建築の多くは1800年代に建てられたものが結構多く、デザイン的にも様々な様式が取入れられている。ビーヴァー城も外観はノルマン様式を模し、内部はゴシック風、ルイ王朝風、リージェンシー式、古典様式、ジョージアン風、ビクトリア様式等、更に、当時流行した中国風室内装飾まで見られる。

 ミネソタの遠い日々
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 パブは地域のインフォーマルな集会所の役割を果たしているから、よそ者が入り込むと、どうしても違和感と緊張が生まれる。特に辺ぴな田舎のパブは閉鎖的だ。店の壁にはこの地域のクリケット・チームやサカー・チームの写真や表彰状が貼られている。何かがあれば村の人達はここに集まって、グラスを片手に楽しい会話に時を忘れて過ごすに違いない。


 パブ専門のチャールズだが、営業時間の規制だけは彼にもどうにもならない。イギリスのパブは営業時間が厳しいように見受けられる。平日は朝の11時から夜の11時まで営業しているが、日曜日は昼の12時から3時までと、夕方は5時から夜の10時まで開いている。地域によっては12時から10時まで閉めずに営業するところもあるらしいが、結構きちんと守られている。


 この営業時間の規則は第一次世界大戦中に制定された酒類販売免許法に基づいている。産業革命で社会の構造やシステムが激変した19世紀のイギリスはアル中天国であった。20世紀になって貧困者層のアル中は減ったものの、アルコールに対する寛容さは社会の底辺に残っていたに違いない。戦時中の士気高揚の意味もあっただろうが、アル中対策が本音であったらしい。だから、客にも規制があって、店で酩酊してはいけないとか、結構きびしいらしい。規則を破ると営業免許を停止されるので、確実に効果があった。戦時中の時限立法にも拘らず、いまだに効力を発揮し続けているし、誰も文句や不平を言わないのは、いかにもイギリス的ではないか。
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 さて、腹ごしらえも出来たし、のんびりしている暇もないので店を出た。ビーヴァー城がある丘の登り口に駐車場がある。車を駐車して、受付で入場料を払い、頂上の城まで急な坂道をゆっくり歩いて登った。まわりは高い木立に囲まれ、頂上近くまでこないと城の姿は見えない。昼を過ぎてから雲が少し出てきた。晴れているが、時々太陽が雲に隠れてあたりが薄暗い感じになる。7~8分ほど登ると右手前方に黄色い円筒型の城の塔が見えてきた。

 ミネソタの遠い日々
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 そろそろ12時になったので、車をとめておいたパブまで歩いて戻った。何の変哲もないパブだ。パブというより、田舎の民家という店構えである。食事の前にビールを持って夏草が伸び放題の裏庭へ行き、今にも朽ち果てそうな汚れた木のテーブルとベンチに腰をおろして、のんびりと夏のひと時を過ごした。庭の奥は広い空地になっていて、キャンピング・カーで来た人達が折畳みチェアーを引張り出し、緑の林の中で日光浴を楽しんでいる。


 この連中のように『自然に抱かれて何もしないで過ごす』というのが日本人には大変苦手である。苦手というより苦痛であ。思考回路と感性領域が根本的に重ならない。


 ミネソタでも小さな湖に結構大きなヨットやモーター・ボートを浮べて、アメリカ人は日が暮れるまで甲板に寝そべっているだけだ。これを見て、日本の連中は「ごろ寝なら日本人の方が得意さ。でも、あんな高価なヨットまで買ってゴロ寝とは、何が楽しいのかね」と吐き捨てるように言う。高いヨットを買ったり、高いキャンピング・カーを買ったら、無理をしてでもそれなりのことをやらなければ、というのが日本人の発想だ。



 さて、食堂に戻って壁に張られた今日のメニューを読む。英語は理解出来ても、中身が分らないのが料理である。かって、仕事で香港へ行った時に、漢字が読めるからと地元のレストランに入った。中国語のメニューしかないので、漢字から推測で料理を注文したら、とんでもない一皿が出てきてしまった。味も中身も全く想像外だった経験がある。


 チャールズのお勧めで3人とも同じ食事になった。『プラウマンズ・ランチ』である。パンとスティルトン・チーズの大きな塊にトマトとレタスとピクルスが付いているが、少々モサモサ・パサパサの感じはまぬがれない。前に行った『レッド・ライオン・イン』のように広くもないし、由緒ある店でもない、食事も素晴らしくないが、結構それなりに美味しくてシンプルで楽しい食事であった。


 店内には男女の客が6人ばかり食事をしている。パブのおやじもそうだが、客たちも何か落着かない。こんな田舎の村によそ者の東洋人(日本人?それとも中国人?)がいるなんて考えもつかないし、何となく不具合な感じなのであろう。思い過ごしだろうが、みんなの視線で集中砲火を浴びているような感じである。

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 そのまま、スティルトンの村をたち去った。
「しかたがないや、まだ時間が早いからね」
「おまけに、今日は日曜日だし」
「ビーヴァー城の近くのパブに行くとするか」
チャールズがそう言って車を走らせた。


 我々はスティルトンの村を通り抜けてA1へ戻り、グランサムまで行った。そこからまた一般道へ降りて西へ向かい、ウールスソープの村へ辿り着いた。ウールスソープという地名はこの村の東側にあるグランサムの手前にもある。こちらにはウールスソープ・マナーという荘園があり、アイザック・ニュートンが生れ育った地として名を残している。


 12時までには少し時間があるので、車をパブの前にとめた。
「ここも店が開くまで少し時間があるから、少し散歩しよう」
そう言って、人気の無い村の道を歩き始めた。


遠い夏に想いを-Hill
 畑や低地の遥か先に丘があり、その上にビーヴァー城が小さな姿を現した。それ程大きな城ではないので、壮麗な景観とはいい難いが、古い教会や崩れそうな民家の間からの眺めはそれなりに味わいがあった。


 イギリスでは古い木組みの田舎屋がいい。フランスの民家も木組みでなかなか洒落ているが、私はイギリスの古い石造りの民家が大好きだ。特に窓がいい。


 日本の家には窓がない。馬鹿なって言われそうだが、窓がないのだ。縁側は窓ではない。北海道は道南を除いて湿度も温度も低く、気候がヨーロッパ的なので、北海道の家には窓があった。というより、窓が家の中と外とをつなぐ唯一の空間なのだ。ベランダや縁側など何の役にも立たない。夏は陽射しが弱く温度も低い、冬は太陽が低く昼間が短い。その上、雪や氷でガラス戸は閉ざされてしまう。だから、雪国の人には窓の大切さが分る。確かに数百年前の数寄屋造や書院造の家には『窓』があった。でも飾り窓の意味しかなく、なければ困るというものではない。


 石造りの民家の窓は決して大きくはないが、住む人は一枚の絵のように創意と工夫を凝らし、個性的な美しさを表現しようとする。そして、最も素晴らしい点は常にシンプルであること。古い茅葺きの小さな平屋建ての分厚い石の壁にポッカリあいた、通りに面したたった一つの小さな窓。四角い黒い画面を白いレースのカーテンと小さな置物一つで、または紅いバラ一輪で、個性を演出する。住む人の力量とセンスが試される。しかし、住む人の楽しみだけでなく、道往く人にまで心のやすらぎを分け与えてくれるのは嬉しい。住む人の心の優しさとゆとりが伝わってくる。

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 さて、ワーゲンはケンブリッジを過ぎて、ハンティンドンで自動車道A1に入り北上した。70キロほど北へ走ると、グランサムに出る。ここから、ビーヴァー城は近い。しかし、ロンドンから150キロは走らなければならないのだから、いかにも遠い。歴史的に余り価値のない城を一か所見るために、片道2時間半も走ってくるのは、私の価値基準では考えられない。


 ハンティンドンを過ぎて、15分ほどA1を北へ走ると、自動車道沿にスティルトンという村がある。チャールズはここでA1を降り、村の通りに沿ってゆっくり車を走らせた。
「スティルトン・チーズって知ってるかい」
チャールスが訊いた。
「ああ、知ってる。イギリスのチーズで知ってるのは、チェダーかスティルトンくらいかな」
「そのスティルトンの村がこの先にあるんだ」


 村の通りに沿って『ベル・イン』という大きな看板を出している宿屋がある。日曜日の午前中とあって、人遠い夏に想いを-サインボード 影も殆どなく、通りの店はみな閉まっていている。『ベル・イン』もまだ開いていので食事が出来ない。


 このスティルトンというところは、スティルトン・チーズで有名なところだ。『ベル・イン』がその発祥の場所だという。製法は秘密でスティルトン生産者協会員しか知らないらしい。私は、チーズは好きな方だが、いわゆる『通』ではないので、詳しいことは知らない。日本では青黴チーズの世界三大銘柄というのがあって、フランスのロックフォール、イタリアのゴルゴンゾラ、イギリスのスティルトンを指すのだそうだ。日本でもこれ等三大銘柄は有名デパートで手に入るが、かなりの値段を覚悟しなければならない。西ドイツやオランダ、北欧産のものなら、かなり安い値段で遠い夏に想いを-stilton 売っているが、味と本人の見栄は保証の限りではない。青黴チーズは見た目も匂いも嫌いという人は多いが、下戸の私でも、赤ワインと一緒に食べると味が一段と素晴らしい。


 ロックフォールは山羊の乳から作り、ブルー・チーズ特有のツーンとくる匂いと味が一番強烈である。ゴルゴンゾラが一番味が軟らかく、スティルトンはその中間位だろうか。黴を使ったチーズには色々の種類がある。私の好みから言えば、フルムダンベールやサンテギュなどもいい。それに、白黴を使ったカマンベールやブリーなどお馴染みのものもある。しかし、新鮮さを大切にするチーズなどは地元では安いが、一歩外国へ出ると信じられないほど高価になる。イタリアの本場のモッツァレラ・チーズなど、日本では買うのが馬鹿らしくなるほど高価である。固めの豆腐を食べたほうが気が利いている。16世紀に長崎にいたポルトガルの宣教師たちは当時の硬い豆腐(沖縄の島豆腐とか白山麗の堅とうふみたいな)をチーズのように美味しいと本国への手紙のなかで述べていたらしい。

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