プラウマンズ・ランチ - 060 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 そろそろ12時になったので、車をとめておいたパブまで歩いて戻った。何の変哲もないパブだ。パブというより、田舎の民家という店構えである。食事の前にビールを持って夏草が伸び放題の裏庭へ行き、今にも朽ち果てそうな汚れた木のテーブルとベンチに腰をおろして、のんびりと夏のひと時を過ごした。庭の奥は広い空地になっていて、キャンピング・カーで来た人達が折畳みチェアーを引張り出し、緑の林の中で日光浴を楽しんでいる。


 この連中のように『自然に抱かれて何もしないで過ごす』というのが日本人には大変苦手である。苦手というより苦痛であ。思考回路と感性領域が根本的に重ならない。


 ミネソタでも小さな湖に結構大きなヨットやモーター・ボートを浮べて、アメリカ人は日が暮れるまで甲板に寝そべっているだけだ。これを見て、日本の連中は「ごろ寝なら日本人の方が得意さ。でも、あんな高価なヨットまで買ってゴロ寝とは、何が楽しいのかね」と吐き捨てるように言う。高いヨットを買ったり、高いキャンピング・カーを買ったら、無理をしてでもそれなりのことをやらなければ、というのが日本人の発想だ。



 さて、食堂に戻って壁に張られた今日のメニューを読む。英語は理解出来ても、中身が分らないのが料理である。かって、仕事で香港へ行った時に、漢字が読めるからと地元のレストランに入った。中国語のメニューしかないので、漢字から推測で料理を注文したら、とんでもない一皿が出てきてしまった。味も中身も全く想像外だった経験がある。


 チャールズのお勧めで3人とも同じ食事になった。『プラウマンズ・ランチ』である。パンとスティルトン・チーズの大きな塊にトマトとレタスとピクルスが付いているが、少々モサモサ・パサパサの感じはまぬがれない。前に行った『レッド・ライオン・イン』のように広くもないし、由緒ある店でもない、食事も素晴らしくないが、結構それなりに美味しくてシンプルで楽しい食事であった。


 店内には男女の客が6人ばかり食事をしている。パブのおやじもそうだが、客たちも何か落着かない。こんな田舎の村によそ者の東洋人(日本人?それとも中国人?)がいるなんて考えもつかないし、何となく不具合な感じなのであろう。思い過ごしだろうが、みんなの視線で集中砲火を浴びているような感じである。

 ミネソタの遠い日々
1970年の夫婦子供連れでのミネソタ大学、留学記録にもどうぞ