そのまま、スティルトンの村をたち去った。
「しかたがないや、まだ時間が早いからね」
「おまけに、今日は日曜日だし」
「ビーヴァー城の近くのパブに行くとするか」
チャールズがそう言って車を走らせた。
我々はスティルトンの村を通り抜けてA1へ戻り、グランサムまで行った。そこからまた一般道へ降りて西へ向かい、ウールスソープの村へ辿り着いた。ウールスソープという地名はこの村の東側にあるグランサムの手前にもある。こちらにはウールスソープ・マナーという荘園があり、アイザック・ニュートンが生れ育った地として名を残している。
12時までには少し時間があるので、車をパブの前にとめた。
「ここも店が開くまで少し時間があるから、少し散歩しよう」
そう言って、人気の無い村の道を歩き始めた。
畑や低地の遥か先に丘があり、その上にビーヴァー城が小さな姿を現した。それ程大きな城ではないので、壮麗な景観とはいい難いが、古い教会や崩れそうな民家の間からの眺めはそれなりに味わいがあった。
イギリスでは古い木組みの田舎屋がいい。フランスの民家も木組みでなかなか洒落ているが、私はイギリスの古い石造りの民家が大好きだ。特に窓がいい。
日本の家には窓がない。馬鹿なって言われそうだが、窓がないのだ。縁側は窓ではない。北海道は道南を除いて湿度も温度も低く、気候がヨーロッパ的なので、北海道の家には窓があった。というより、窓が家の中と外とをつなぐ唯一の空間なのだ。ベランダや縁側など何の役にも立たない。夏は陽射しが弱く温度も低い、冬は太陽が低く昼間が短い。その上、雪や氷でガラス戸は閉ざされてしまう。だから、雪国の人には窓の大切さが分る。確かに数百年前の数寄屋造や書院造の家には『窓』があった。でも飾り窓の意味しかなく、なければ困るというものではない。
石造りの民家の窓は決して大きくはないが、住む人は一枚の絵のように創意と工夫を凝らし、個性的な美しさを表現しようとする。そして、最も素晴らしい点は常にシンプルであること。古い茅葺きの小さな平屋建ての分厚い石の壁にポッカリあいた、通りに面したたった一つの小さな窓。四角い黒い画面を白いレースのカーテンと小さな置物一つで、または紅いバラ一輪で、個性を演出する。住む人の力量とセンスが試される。しかし、住む人の楽しみだけでなく、道往く人にまで心のやすらぎを分け与えてくれるのは嬉しい。住む人の心の優しさとゆとりが伝わってくる。
ミネソタの遠い日々
1970年の夫婦子供連れでのミネソタ大学、留学記録にもどうぞ