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遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 似たようなことはコーヒーにも言えて、水の違いがコーヒーの入れ方や味に大きな影響や違いを生むらしい。72年にヨーロッパからの帰路に立寄ったベイルートで飲んだコーヒーはデミ・タス風の小さなカップに入れたアラビア式の濃いコーヒーで、カップの底にべっとりと挽き滓が残る。我々が飲んでいるコーヒーとはかなり異なる。酒でいうと、ドブロクと清酒の違いくらいはある。イタリアのエスプレッソは入れ方が違っても、飲み方はアラビアと同じ部類にはいる。
遠い夏に想いを-眺め

 また、イタリアのカプチーノや、ウイーンで飲んだクリーム入りのメランジェや、フランスのカフェオレなどは同類で、ミルクを入れて飲む。硬水でコーヒーを上手に飲むためには、豆を強くローストして、うんと濃く入れるか、又は、クリームを加えるか以外に方法がない。遠い夏に想いを-孔雀


 城を出て正面の広場に回る。下には見渡す限りゆるやかな丘陵地帯がどこまでも広がる。殆ど森のない夏枯れした平原だが、何と美しいのだろう。


 孔雀が2羽うろうろしている。なんでこんな所に孔雀がと思うが、孔雀はここラットランド伯爵家の紋章にもなっている。ラットランドの地も今はレスター・シャーに組み込まれているが、かつてはラットランド・シャーとして独立した地域だった。この城には残念ながら見るべき庭園がない。城の下方に彫像がいくつか並んだ小さな庭があるだけだ。しかし、そこから見上げる城の姿も悪くない。


遠い夏に想いを-Nokko

 イギリスでも貴族は自分達の古い城を維持してゆくのが大変である。ここも、城を一般に公開し、更に、大きな催し物に場所を提供し、一般の人達にもパーティーや結婚式に城の一部を貸して、維持費を捻出している。ここは大きな庭園がないだけ、維持費が少なくて済むかもしれない。また、映画のロケーションの場所としても提供され、スピルバーグの「ヤング・シャーロック・ホームズ」や、その他、2,3の映画にも使われたらしい。さて、4時も大幅に過ぎたし、早めに帰路につくことにした。

 ミネソタの遠い日々
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 最大の違いは水だと思う。誰でも知っていることだが、日本の水と違ってイギリスの水(ヨーロッパの水はみなそうだが)は、かなり強い硬水である。マグネシュームやカルシュームの含有量が多く、日本の水より5倍も多い。日本の水は硬度が20から60。30くらいが標準だろう。これに反して、ヨーロッパの水は100から150はある。このことはコーヒーの入れ方にも当てはまる。
遠い夏に想いを-カプチーノ
 丁度、日本でアルミかアルマイトの薬罐でお湯を沸かして入れた紅茶と同じ感じである。硬水用にブレンドされた茶葉であっても、イギリスで紅茶を入れるのは大変難しい事なのだと思う。余り通ぶったことを述べるやからが多いから、こうゆう連中はよくジョークで茶化される。しかし、硬水は沸かすと、ひどい場合、白濁してしまう。だから、お湯の沸かし具合、茶葉の選択、ポットの形、ミルクの種類、砂糖の入れ具合、と気を使わないと美味しい紅茶が出来ない。


 ついには、ミルクは先か後かまで言出す。王室では先だとか、自分の家では昔から後だとか、一見ナンセスに近い論争まで起きるが、これも一概に馬鹿げていると言えないのかも知れない。その昔、ボーンチャイナなどの陶磁器以前の茶器は質が悪く、熱湯を注ぐとひびが入ることが多かった。だから、冷たいミルクを先に入れるのが合理的なのだ。その習慣が現在でも残っているのではないだろうか。

 極論すれば、イギリスの水では脂肪分の多いミルクと砂糖をたっぷり入れないと紅茶は飲めないのである。だから美味しい紅茶を入れるには充分気を使う必要がある。


 その点、日本の軟水では面倒なことは一切不要。輸入紅茶葉のブレンドは軟水用なのかどうか分からないが、それでも、なんだかんだと御託を並べる奴がいたら、「このあほが」という顔をして相手にしないことだ。


 18年前に来た時はチャールズの家ではお母さんが紅茶を入れてくれた。ポットやら布製の保温カバーとかストレーナーなど、結構うるさい事を言いながら入れてくれた紅茶はとても美味しかった、ミルクはかなり濃く、脂肪分はミルクとクリームの中間くらいでジャージ種を使う。当時は日本でジャージ種のミルクは手に入らなかった。

 ミネソタの遠い日々
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 ビーヴァー城が建てられた頃の、1839年12月から翌年の4月までの5カ月間に、従者達を含めて約1万6千人の訪問客に食事を供した、と記録に残っている。また、19世紀の終りまで城専用の醸造所を村に持っており、出来たビールを樽に詰めてこの貯蔵庫に保管していたという。


 貯蔵庫のうちの一つが現在見学者用の食堂に使われている。見学疲れの我々3人はひと憩みすることにした。紅茶に自家製のチーズ・ケーキをとった。チャールズも今回はビールをやめて紅茶にした。ロンドンの一流ホテルとは違って、何の飾り気もない黄色い部屋で、いかにも質素な4時のティー・タイムとなった。


 チーズ・ケーキは素朴な作りで美味しい。紅茶は少し冷めている上に、入れ方も少々手抜き気味である。まあ、この辺りで余り贅沢を言ってもしようがない。ぬるくて、風味に欠ける紅茶を飲みながら、気持ちは帰りの遠い道のり移っていた。


遠い夏に想いを-Tea  ご主人は紅茶党なので、家では殆ど紅茶、外ではコーヒーになってしまう。ノッコも最近は肌のためにコーヒー狂(コーヒーを飲みすぎると肌が黄色くなる?)から紅茶党に変わった。コーヒーは自分で入れても、店で飲んでも余り味に優劣はないが、日本の喫茶店で出す紅茶は絶望的な場合が多い。ぬるい、薄い、香りがないが典型的な喫茶店・レストラン紅茶である。しかし、自分で入れる時は、七面倒臭いことを言わなくとも、日本の水なら簡単に美味しい紅茶が入れられる。
 
 ところで、今回イギリスへ来て飲んだ紅茶だが、味がどうもしっくりこない。一流どころで飲んでいないので、全てにあてはまる訳ではないが、どうも、入れた紅茶にアクが強すぎる。水と紅茶のマッチングが良くないか、入れ方が悪いかのどちらかだ。イギリスでは、ローバック・ホテルで自分でお湯を沸かしていれた紅茶と、チャールズの家で彼が入れてくれた紅茶と、ここの城の紅茶しか飲んでいなが、どうも、気に入らない。

 ミネソタの遠い日々
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 大食堂やキングス・ルームもなかなか凝った趣向が伺えて美しい部屋である。しかし、この城の中では、部屋の大きさと豪華さではリージェント・ギャラリーが一番である。中央に半円形の大きな格間があり、金銀のゆりの花模様の赤い絨毯やカーテンで飾られた明るい美しい部屋である。暖炉の上には一段と大きな美しい女性の肖像画が掛けられている。第5代伯爵婦人で、美的センスの勝れた女性だったらしく、この城の建築に当たっては彼女の意見が随所に取入れられたという。その他、豪華なものに、ルイ16世時代にパリで入手したという、ドンキホーテを主題にした、色彩が美しいゴブラン織のタペストリーもある。

遠い夏に想いを-ムリーリヨ
 また、階段を降りると小さなチャペルがあって、ここも簡素で清楚な美しさが漂う。祭壇の中央には聖家族の絵が掛けられている。ムリーヨの作で、わりと小さな作品だが親しみ易く心和む絵である。

 つまらないようで、意外に楽しいのは、豪華絢爛なる生活を裏で支えていた台所や貯蔵庫である。華麗な世界とは無縁の下働きの庶民が働く場所であった大きな台所は、今は使われていない。真白な壁面と高い天井。黄色い扉や収納パネル。銅製の調理器具が並べられている黒い棚。日本の小さな家が一軒まるごと入ってしまいそうな広い台所だ。盛大な夜会が開かれた折に、台所で慌しく動き回る女達、赤い炎をあげる大きな窯、湯気が激しく立ち上がる鍋や釜、甲高く響く声、まるで火事場のような目まぐるしいこの部屋の情景や様子を想像するのは楽しい。


 地下の貯蔵庫は薄暗く、ひんやりと温度が低く、何か羽織らないと寒くて居られない。今は使われていない大きな古い酒樽がそこここにころがっている殺風景なところだ。広い蔵の中から外までの通路にはレールが敷いてあり、トロッコが置いてある。薄暗いが、かなり広く、外が眩しい。

 ミネソタの遠い日々
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 舞踏会ホールはゴシック様式で、壮麗さで有名なリンカーンの大聖堂からヒントを得て造られたといわれる細長いホールである。決して大きな部屋には見えないが、教会の趣がある。ここには歴代の当主の肖像画が掛けられている。現在の城主のご母堂に当たる第9代の伯爵婦人の絵がいい。絵の善し悪しは別として、モジリアニ風の長い首と極端ななで肩、顔は、うちの奥様みたいに、頬骨の張った感じだが、大きな瞳に憂いと優しさを秘めた、優雅で美しい立ち姿は見る者をその場に釘付けにする。


 更に足を進めると、『中国風の部屋』がある。美しい象眼の調度品と周囲には豪華な中国風の黒い漆に金の装飾が施された壁がある。ヨーロッパでは浮世絵とともに日本趣味が広がる以前に、東洋風エキゾシズムとして中国趣味が上流階級に珍重された時代があった。

遠い夏に想いを-Salon  舞踏会室に接して、『エリザベス・サロン』と呼ばれるルイ14世風のサロンがある。この部屋に一歩足を踏み入れた瞬間、目が眩むほどの衝撃で、一瞬言葉を失う。それは一種の錯覚がなせる業である。72年に訪れたベルサイユ宮殿の一室に居るのではないかという理性を越えた時空の中に自分を発見する狼狽である。バロック風の白い壁面に大きな鏡がはめ込まれ、天井は鮮やかな色彩のフレスコ画で飾られ、リージェンシー様式のピンクと銀のダマスカス織りの椅子や長椅子が並べられている。少々装飾過剰気味ではあるが、なんとも美しい部屋である。


遠い夏に想いを-Book
 天井が高くて、明り採り窓がある絵画室では、周囲の真赤な壁に所蔵の絵画が展示されている。絵画の知識が有る無しは別にして、絵を見た瞬間にアレッと驚くことが時々ある。例えば、子供の頃から記憶の底に残っていた絵に思いがけない場所でめぐりあう時の、一瞬のハッとする驚きと感動である。ここにはホルバインが描いたヘンリー8世の肖像画のうちの一点がある。手を腰にあて両足をひろげた仁王立ちの等身大の姿は日本の教科書や歴史書にしばしば採用され、ヘンリー8世の肖像としては馴染み深い絵である。ホルバインはヘンリー8世の肖像をたくさん描いているから、これそのものでは無いのかも知れない。


 ミネソタの遠い日々
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