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遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 夜10時にロンドンに着いた。ミュンヘンの空港での女性の担当者にも10時発の全日空に乗るから遅れる事を連絡しておいて欲しいと伝えたのだが、そうしますと言った切りで、結局、なしのつぶてだった。飛行機の中でも乗り継ぎの件をスチュワーデスに伝えたのだがこれも駄目だった。前もってフィレンツエで全日空の事務所に行き予定通り搭乗するからと知らせてあったのだが。


 帰国してから、世話になった小さな旅行代理店の恭子さんが笑いながら言った。

「おたくの客がロンドンで搭乗しなかったって、全日空からクレームがきてたわよ」

「私の責任でないので、どうしようもないよ」

私は苦笑してそう答えるしかなかった。


 さて、空港の一番遠い到着ゲートからハアハアいいながら、全日空のカウンターに行ったが、もう電気が消えて誰もいない。全日空の飛行機は定刻通りに飛び立った後だった。英国航空で間借りしている小さなカウンターだが、隣の英国航空の女性担当者に訊いたら、エア・ヨーロッパのカンターに行って対処してもらいなさいと言われて、急いでエア・ヨーロッパへ行った。


 中年の女性職員が乗り遅れた数人の客の対応に出ていた。我々を含め、6人ほどが乗り遅れたようだった。心細くなっている客、怒りが収まらない客など、これらの人たちに応対するのに、夜遅くとも中年の女性職員を当てている。クレーム処理にはなかなかの戦術である。なにせ、激怒している客にも、職員はみな親切で穏やかで心がこもっているのだ。事務的でないのがいい。


遠い夏に想いを-checkers01  結局、ホテル代と朝食代と空港の送り迎はエア・ヨーロッパが持ち、帰りの飛行機便はエア・ヨーロッパが手配するということになった。自分の都合で飛行機に乗り遅れると航空券は無駄になり、もう乗れないのが普通だ。


遠い夏に想いを-checkers02  空港の近くの『チェカーズ・ホテル』まで小型バスで送ってくれた。いかにもイギリスの郊外の小さなホテルという感じだった。ホテルに入ったのは夜中に近かった。夜遅いが、東京は昼間だから、会社に電話を入れ、事情を説明して予定日には帰れない旨を連絡する。ここで一泊して、小さなホテルの可愛らしいピンク色のダイニング・ルームで、久しぶりのイングリッシュ・スタイルの朝食をとった。


遠い夏に想いを-ガトウィック  早朝、ガトウィック空港まで送ってもらい、ここで英国航空の搭乗手続きを済ませて、ヒースロー空港へバスで移動した。


 空港のロービーの椅子に座って考えた。今度の『センチメンタル・ジャーニー』は廻り切れないところが多かったが、これで、もうヨーロッパで「迷子になるという、おかしな夢」は見ることもなくなるだろう。


 これで、「遠い夏に想いを」のイギリス編とフランス編は終了します。独断と偏見に満ちた紀行文を読んでいただき有難うございました。


 この後、ブログはやはり独断と偏見に満ちた「イタリア編」に続きますので、更に続けて、読んでいただければ幸です。

 飛行機はアルプスの白い山々を眼下に見下ろしながら飛ぶ。ロンドンでのチャールズと過ごした数日間、足を棒にして歩き回ったパリの街などを、飛行機の窓の外に広がる白雪の景色を眺めながら思い出していた。


 数日間ではパリは廻り切れない。行きたい処がたくさんあった。ヴァンセンヌの森も、ブーローニュの森も、モンマルトルも、サン・マルタン運河やマレ地区、それにクリニャンクールの「ノミの市」など。数えれば切りがないが、72年当時、チャオと二人っきりでノッコが学校へ行っている昼間はパリの街を歩く以外やることがなかった。


 フィレンツェは空港が小さく、ジェット機の離着陸が不可能なのでフッカー型の高翼式のプロペラ機だ。小型機で高度が低いからフィレンツェの街並みが手に取るように見える。やがて、飛行機はペレートラ空港に定刻に到着した。まだ、太陽は高く、乾ききった古都の上にさんさんと輝いていた。



 イタリアの旅については次回の『イタリア編』で書こうと思うので、今回の帰途の土壇場で起こった顛末については書いておこうと思う。



 『初め良ければ、終わり良し』とか『終わり良ければ、全て良し』のことわざを信じていたのだが、ことわざには必ず反対の文句があって『竜頭蛇尾に終わる』などと言うのもある。今回は『初め良ければ、終わり良し』とはならなかった。


遠い夏に想いを-ミュンヘン  フィレンツェの空港は小さいから、小型機しか離着陸が出来ない。そこで近距離のミュンヘンに一度行き、そこで、エア・ヨーロッパに乗り替えてロンドンに飛び、東京行きの全日空に乗る予定だった。(写真右はミュンヘン国際空港)


 ミュンヘンには予定通りに到着した。夏の観光シーズンのヨーロパでは、飛行機が遅れることがしばしばだと、ロンドンに駐在していた友人から聞いていた。乗り換えに3時間とってあったのだが、刻々と時間が過ぎて行く。空港待合室の客は皆いらいらしている。その間エア・ヨーロッパの女性担当者は、何を訊かれても判らないの一点張りだ。飛行機がミュンヘンに到着し、折り返しロンドンに向けて飛び立ったのは3時間以上も遅れていた。

遠い夏に想いを-凱旋門  ここはパリの中心で、少し高台になっているので見通しがいい。エトワール広場は放射状のパリの中心なので手に取るように見通せる。凱旋門はナポレオンがオーストリアとロシアの連合軍をオーステルリッツの戦いで破った戦勝記念として建設を始めたものである。


 凱旋門の外壁はナポレオンの栄光の戦歴がレリーフに刻み込まれている。更に無名戦士のための火が点っている。周りに色とりどりの花束が配置され彩りをそえる。どこの国でも同じことを昔から繰り返す。

 
遠い夏に想いを-無名戦士  アメリカのワシントンにも凱旋門はないが、同じようなモニュメントがあり、南北戦争から朝鮮戦争までのアメリカ兵の戦死者が埋葬されている。さすがにベトナム戦争だけは例外であったが。(左写真:アメリカの無名戦士の記念碑)


遠い夏に想いを-ケネディ  炎が点っている墓といえばアメリカのワシントンDCのアーリントン墓地、その中にあるケネディの墓が最初ではないだろうか。(写真右:ケネディの墓)


 シャンゼリゼの北側にあるアメリカ式のハンバーガー店に入って一休みする。狭い階段を上って2階にあがると、いかにもフランス式と思わせる小粋なハンバーガー屋さんだった。店の作りはアメリカのハンバーガー店とフランスのカフェを足して2で割り、更にモダンさをプラスした感じだ。ハンバーガーはフランス風サンドイッチ。ジュースはアメリカ風。


 昔は、アメリカ式のハンバーガー店は無く、マクドナルドもバーガーキングも当然存在しなかった。フランス人の経営でローカルなパリ式アメリカ風ハンバーガー店がサン・ミシェルにあった。あんなアメリカのハンバーガーなんて、フランス人が食えるかと威張っていた時代だった。


 ホテルに戻って荷物をまとめ、フロントで支払いを済ませ外へ出る。フロントのナポレオン君は相変わらずにこりともしなかった。エトワール広場からバスに乗り、ドゴール空港へ向かった。

 パリは朝から雲一つなく晴れ上がり、気分がすがすがしい。今日はフィレンツェに発つ。出発時間は午後の2時15分だから時間はある。と言っても、ただパリからフィレンツェに移動するだけで1日はつぶれる。短期の旅行者にとってはこの時間がもったいない。


 10時頃までは市内でブラブラすることにする。シャンゼリゼ大通りに出ると角にカフェがある。ここで朝食を取った。例によってカフェとクロワッサン。店は空いていて、朝日が店内に差し込んでいる。東洋人の年老いた男性がコーヒーとクロワッサンをゆっくりと味わいながら通りに目をやっている。


遠い夏に想いを-ベルベデーレ 「旅行者に見えないわね」
老人に目をやりながらノッコが言う。確かに身なりは普段着で旅行者風ではない。
「パリに住んでいるのかな。年老いてから異国に無名で住むのは大変だろう。昔、ウィーンのベルベデーレ宮殿へ行った時、日本人のおばあさんに出会ったの覚えている?」
(写真上はウィーンのベルベデーレ宮殿)


 私は遠くを思い出すように言った。
「あー、あのウィーンに音楽留学した娘についてきたおばあさんね。東京の家を引き払って来たって言っていたから、もう帰るところがないんだって歎いていたわね」
「ドイツ語は出来ないし、友達もいないし、することが無いから、毎朝ベルベデーレに散歩に来るんだって言っていたっけ」


 カフェの老人は相変わらず通りを見つめている。後ろ姿が疲れて寂しそうだ。私達はカフェを後にした。そのままエトワール広場に向かって進み、地下道を抜けて凱旋門へ行った。

 夕方になり、ポールの家に行く時間が来た。今回は迷わず到着。室内はかなり整理されていた。今日はジュディが腕を振るってディナーの準備が完了していた。ポールがワインの赤を1本持って来た。カロリーヌも一緒だ。カロリーヌは学校で日本語を習っているとジュディが言うが、彼女ははにかみやで、日本語で喋ろうとしない。今日は鶏肉が主采でなかなかおいしい。ワインも高級ではないが、程よくタンニンがあり、ブーケの香りがして、味はいい。


 前にも書いた通り、私は40年以上も前からワインを飲んでいる(と言っても、酒飲みでないのでチビリチビリやるだけ)。ワインも100本近く半地下の部屋に貯蔵している。ワインの製造方法とか産地なども本で読んだだけだから、いたって門外漢というか、ワインの実際の知識はまるでなかった。イギリス人の友達から「ボルドーが多いようだが、ブルゴーニュの方が良し悪しを見分けるのが易しいよ、なにせブルゴーニュはピノ・ノワールしか使っていないから」と言われても、懐と相談しながらボルドーのグラン・クリュの5級クラスに手が出てしまう。


 「まず、産地だね。AOCかどうか。AOCでなくともいい酒はあるが、これは難しいだろう。それから、ネゴシアン。特に、ブルゴーニュ産のワインはネゴシアンで選ぶのが安全だ」
昔はホテル・コンデで両親を手伝っていたポールが忠告する。
「ネゴシアンは数も多いし、難しいよね」
「難しいが、旨いと思ったらネゴシアンを覚えておくことさ」
「ビンテージは」
「ビンテージは大切だ。古ければ古いほど高いとは限らない。7年前のワインより、3年前の同じワインの方が高いこともある。だから、地域ごとの良い年・悪い年を覚えておくといい。我々には過去10年くらいのビンテージの善し悪しを覚えておけば充分だし、そう難しくないよね」


 食事のときに水を飲むのはカエルとアメリカ人などと揶揄された時代もあったほどフランスの飲料水はひどかった。今は高級なカルフォルニア・ワインがフランスものを凌駕するというが、ヨーロッパに来たらワインのことを少しは勉強して置かないとだめかも知れない、と思ってしまうのだ。


遠い夏に想いを-屋上  やはり、家庭料理はいい。充分満足して、お別れすることにした。帰る前に、ここのアパートの屋上へ昇ってみようということになり、ポールとジュディと4人でエレベーターに乗り30階にある展望台に行った。


遠い夏に想いを-夜景  眼下に広がるパリの夜景は息を呑むばかりだ。左手にエッフェル塔が、正面にシャンゼリゼが光々と輝いている。私は高所恐怖症なのだが、昔よりはマシになったとはいえ、手すりに近づくのは恐いので、一歩下がっての展望となった。


 その後、2006年になって、彼らはフランスの西の地域に引越していった。パリには娘たちがいるので時々出てくるらしいが、田舎の小さな町で気候も良く、のんびりと元気に暮らしていると手紙があった。


 胃袋にはワインが入って、酔いと疲れが一度に襲って来た。地下鉄の中でも居眠りをしないように目をパチパチしながら、やっとの思いでホテルへ戻った。ノッコは普段余り飲まないが、アルコールに強いのでこうゆう時ははなはだ頼りになる。