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遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

遠い夏に想いを-グラッツエ教会  カドルアで地下鉄を降りて、歩いてサンタ・マリア・デル・グラツィエ教会を探す。不思議とこの教会へ行く時は迷子になる。教会にはダヴィンチの『最後の晩餐』がある。近年、修復されて公開されているという。ここは因縁の場所だ。この話は前編のフランス編のブルターニュの項(073話)でしたので、詳しくは述べない。


 72年に来た時には時間切れで諦めた経験がある。あの時も迷子になり、教会の近くまで来ている筈だが場所が判らない。通りがかりの小太りのイタリア人に訊いたが判らない。両腕を広げて肩をひよいとあげた。やはり駄目か。多分、ここから800メートルくらいの距離だと思うのだが。


 それにしても、ミラノに住んでいて、知らない筈がないと思っていたら、その男が更に通り掛かりの腰の曲った痩せた老人をつかまえて場所を訊いている。それでも判らない。更に通りかった中年のイタリア男性を呼び止めて更に聞く、最後はこっちのことも忘れた3人の男たち。
「あっちだ」
「いや、こっちだ」
「そこには、ダヴィンチはないぞ」
収拾がつかない。ノッコもチャオも疲れきった顔をして見ているだけ。15分程経って、教会が閉まる時間が来た。
「そろそろ教会が閉まる時間だ。今から行っても間に合わない。しかし、どうも有り難う」
私たちは礼を言ってその場を立ち去った。


 振り返ったら、彼らはまだ議論を続けている。あの時は本当のイタリア人を見た思いがした。
「あの時はおかしかったよね」
「でも、イタリア人って親切だから、気持ちがいいのよ」

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遠い夏に想いを-ガレリア01  1867年のイタリア統一を記念して建てられたガレリア。第二次大戦で破壊されたあと、完璧に復元されたガレリア。優美・華麗という言葉がぴったり、というガレリアの入口右手にモッタがある。そこのカフェで朝食をとった。カプチーノとクロワッサン。最もシンプルで、最も美味く、一番イタリアらしい。
「奥様、カプチーノをどうぞ」
ニコリと微笑む。奥様の笑顔がいい。


遠い夏に想いを-Duome01  これがイタアリでの朝食の定番になる予感がする。レジのおばさんが喋っているイタリア語とレジスターの表示とが違うために意味が判らない。その後、3度ほど行ったが、いまだに謎だ。消費税が20%あるからなのだろうか。イタリアの朝のカフェは立ち飲みで、時間がかからないから旅行者にはありがたい。


 ドゥオーモは3度目になる。入って直ぐは、暗くて何も見えないが、時間が経つと少しずつ見えてくる。左の側廊に沿って行くとエレベーターがあり、塔にのぼって行ける。当時のドゥオーモは現在のように煤とりをしていないから、黒々と荘厳であった。


遠い夏に想いを-Milano市01  72年のあの時は、チャオがドゥオーモの屋根に登ると言い出し、仕方なく(私は高所恐怖症で困ったが)3人で登り始めた。なにせチャオは高い所が大好きときている。確かに屋根の上からのミラノ市街の眺望は素晴らしかった。しかし、三角屋根のところまでが私の限界で、更に尖塔をのぼるのは諦め、ノッコにチャオを預けて頂上まで行かせた。屋根の上で真っ青になっている私に、ニコニコしながらチャオが塔の上から手を振っている。そんな思い出が昨日のように蘇ってくる。


 14世紀末に工事が始まり19世紀に正面が完成、なんと500年もかかって完成したというから大変な聖堂である。そのゴシックの美しさは言葉を失うが、屋根の上の過剰と思える装飾は豪華絢爛と言わざるとえない。


 教会の外へ出ると、太陽の日差しが眩しい。ドゥオーモの左手の道を真っ直ぐ歩く。観光用のミラノの地図はパズルのようで、方向感覚をすこぶる鈍らせる。スフォルツア城の方角に歩いているつもりが、ほぼ正反対の地下鉄の駅が見えてきたりする。仕方なく、地下鉄に乗りカドルアで降りた。

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 フロントがパスポートを1時間以上も預かりっぱなしで返却してくれない。仕方がないので、7時半になっていたがドゥォーモ広場へ行く。夕暮れが押し迫っていた。ドゥォーモの塔が夕暮れに浮かび上がっている。昔よりも小さく見える。不思議な感覚だ。今日は時間が遅いのでドゥオーモは閉まっていた。


 ガレリアを散歩して通路の左側にある洒落た本屋に入った。大きくはないが立派な本屋だ。狭い店内には溢れんばかりに本が山のように置かれいる。所狭しとは正にこのようなことを指すのではないか。山積みの本の隙間を人間がやっと通る。ノッコが教え子から買ってきて欲しいと頼まれていた料理の本を、料理関係の書棚で見つけた。500ペ-ジ以上あるハードカバーで立派な装丁の分厚い本たった。とても重いので、旅の後半のフィレンツエのマルテッリ通りにある例の本屋で買うことにする。



 翌朝、ドゥオーモ広場へ行く。ミラノの観光はドゥオーモから始まると言っても過言ではない。1972年にこの広場に来たときは、新聞の売り子が大声を上げていた。人々が売り子に群がり、新聞を読みながら、不安そうな顔をしている。何事かと、私も新聞を買ってみた。なんと、ミュンヘンで開催されているオリンピックでアラブのテロリストが銃を持って立てこもっているではないか。大変なことになった。


遠い夏に想いを-新聞

     ”アラブのテロリストがオリンピックを血で染める”

         (コリエレ・デラ・セーラ紙)

 72年の時は、ミュンヘンに行く予定はなかったが、アテネとベイルートを経由して帰国する予定だった。特にベイルート空港では警備が厳重だたのを覚えている。手荷物検査は厳しく、あれこれと調べられた。たまたま、アメリカに留学していた時にチャオに買ってあげたアイスホッケーのスティックがひっかかった。


遠い夏に想いを-スティック  北の州のミネソタは雪国だから、スケートをしてアイスホッケーの真似事をしていた。帰国時に処分しようとしたが、絶対に日本にもって帰ると言い出し、スティックは別送便にも入らず、アメリカとヨーロッパをもって歩くことになった。南国のレバノンではライフルのような形をしたスティックなど見たことがない。通関をすませるのに長い時間が掛り、散々苦労したのを覚えている。


 オリンピックは海外でのテレビ観戦だった。72年の冬の札幌オリンピックはミネソタで白黒のおんぼろテレビを見たし、72年の夏のミュンヘンオリンピックはこの後ヴェネツィアのホテルでテレビを見せてもらった。

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 ミラノ駅に来たついでに、駅の裏側に行き、72年に泊まった宿を探した。ホテルの名前も住所も判らなくなっていた。それらしい方角と距離を歩いてみたが、街はすっかり新しくなっていた。


 あの時はホテルの部屋のシャワーを修理している最中だったので、ノッコに手荷物の見張り役として部屋に残し、チャオと近くのガラーンとしたリストランテで遅い昼食をとった記憶があっる。


 地下鉄の駅を下りてホームを探す。路線の表示があるが、慣れていないので戸惑う。一瞬反対側のホームにでたのではと錯覚する。当時ミラノに地下鉄なんてあったのだろうか、記憶が定かでない。後で調べたところ、中央駅口駅は1970年に開業してるいから、出来てすぐのようだ。ただし、当時は出来たばかりの2号線に乗り、途中1号線に乗り換えてドゥオーモ駅に行った。中央駅からドゥオーモ駅まで直線で乗り換えなしの路線はなかった。
「ドゥオーモ行きはここでいいのかな?」
小声で叫んでしまった。
「ここはドゥオーモ行きですよ」
ホームにいた日本の青年が声をかけてくれる。博士課程で、フランスのアルザスのストラスブールに留学中らしい。休みになると汽車で7時間かけて何度かミラノに遊びに来ているという。


 ノッコがフランス語を教えていたクラブサンを弾く美沙さんもストラスブールに留学しているが、彼女は元気でやっているかなと思ってしまう。


 92年にノッコはストラスブールを訪れている。小田急商店街の「アルザス・ワイン街道を訪ねて」という海外旅行キャンペーンの抽選に当たったのだ。「アルザスやコマールはよかったわ」とよく聞かされたものだ。


遠い夏に想いを-hotel01  ミッソーニ駅で降りて外に出る。どうも駅の反対側に出てしまったらしい。ミッソーニ広場が判らない。地図を見ても見当がつかない。通りは人影が殆んど無く、ひっそりとしている。


遠い夏に想いを-電車  腰の曲がったおじいさんが通りの向こうからゆっくり歩いてくる。そのおじいさんに広場への道を訊いた。まだ何とかイタリア語を覚えていたので、言われた通りに歩いてゆくとホテルがあった。                                                 


 ホテルの部屋から広場を見下ろしてみたら、ミッソーニ広場の隅に地下鉄の出入り口があるではないか。人通りのない広場で、路面電車が時たま車輪を軋ませて通る。地下鉄の出入口に利用者の姿は見当たらないので、工事中か閉鎖されていると勝手に思い込んでしまった。

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 イタリアを旅したお話です。北イタリアが大好きなので、今回も自然と北部を中心に、各駅停車(Rigionale)で楽しい旅をしてきました。


 72年に短期留学でフランスに3ヶ月滞在、その後イギリス、スイス、オーストリア、イタリア(ミラノ、ヴェネツェア、フィレンツェ、ローマ)を廻り、ギリシャ、レバノンを経由して帰国しました。90年にもフィレンツェに行っています。97年にも再度旅しましたので、この旅を中心に、昔の思い出をとりまぜて書いた旅行記です。


遠い夏に想いを-map01


 今回の旅は、ミラノ、クレモナ、ヴェロナ、ヴェネツィア、パドヴァ、フェラーラ、ラヴェンナ、フィレンツェ、シエナ、パルマです。


 イタリアというと、私は門外漢なのですが、ルネッサンス美術とバロック音楽と宗教は避けて通れないので、それらの話になったら少々のご辛抱をお願いします。



 東京に1か月ホームステイして、フランスへ帰国する物静かなフランス青年が一人、隣の席に座っている。アリタリア航空でローマへ飛び、そこからフランスのプロバンスのトゥーロンへ帰ると言う。秋からの新学期にはパリ大学の学生になってコンピュータ関係の勉強をします、とにこやかな表情で話す好青年であった。


 夕方にミラノの北西45キロにあるマルペンサ空港に到着した。イタリアは3度目だが、72年に来た時には、ジュネーヴからの飛行機で、ミラノの街の東10キロのリナーテ空港に到着した。この空港はマルペンサよりも小さいが、クラシックで落ち着いていて、親しみの持てる空港だった。


遠い夏に想いを-ミラノ駅  バス乗り場で20待って、市内の中央駅へ行く。


 イタリアの駅には昔ながらの手荷物預かり所がまだ健在である。ミラノに有るということは他の駅にも有ると思って差し支えないだろ。今回の旅ではこれがどうしても必要になる。


ミラノ駅の構内に入ってみた。昔の記憶をたぐりながら駅の中を一周する。72年当時はガランとして、息子のチャオと妻のノッコの3人で薄暗い駅構内を歩いていると、靴の音や幼いチャオのはしゃぐ声がこだまして聞こえてくる。まるで静かな駅だった。
今はものすごい混みようで、騒音と雑音で隣のひとの声がかき消されてしまうほどだ。

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