ミラノの朝 - 003 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 フロントがパスポートを1時間以上も預かりっぱなしで返却してくれない。仕方がないので、7時半になっていたがドゥォーモ広場へ行く。夕暮れが押し迫っていた。ドゥォーモの塔が夕暮れに浮かび上がっている。昔よりも小さく見える。不思議な感覚だ。今日は時間が遅いのでドゥオーモは閉まっていた。


 ガレリアを散歩して通路の左側にある洒落た本屋に入った。大きくはないが立派な本屋だ。狭い店内には溢れんばかりに本が山のように置かれいる。所狭しとは正にこのようなことを指すのではないか。山積みの本の隙間を人間がやっと通る。ノッコが教え子から買ってきて欲しいと頼まれていた料理の本を、料理関係の書棚で見つけた。500ペ-ジ以上あるハードカバーで立派な装丁の分厚い本たった。とても重いので、旅の後半のフィレンツエのマルテッリ通りにある例の本屋で買うことにする。



 翌朝、ドゥオーモ広場へ行く。ミラノの観光はドゥオーモから始まると言っても過言ではない。1972年にこの広場に来たときは、新聞の売り子が大声を上げていた。人々が売り子に群がり、新聞を読みながら、不安そうな顔をしている。何事かと、私も新聞を買ってみた。なんと、ミュンヘンで開催されているオリンピックでアラブのテロリストが銃を持って立てこもっているではないか。大変なことになった。


遠い夏に想いを-新聞

     ”アラブのテロリストがオリンピックを血で染める”

         (コリエレ・デラ・セーラ紙)

 72年の時は、ミュンヘンに行く予定はなかったが、アテネとベイルートを経由して帰国する予定だった。特にベイルート空港では警備が厳重だたのを覚えている。手荷物検査は厳しく、あれこれと調べられた。たまたま、アメリカに留学していた時にチャオに買ってあげたアイスホッケーのスティックがひっかかった。


遠い夏に想いを-スティック  北の州のミネソタは雪国だから、スケートをしてアイスホッケーの真似事をしていた。帰国時に処分しようとしたが、絶対に日本にもって帰ると言い出し、スティックは別送便にも入らず、アメリカとヨーロッパをもって歩くことになった。南国のレバノンではライフルのような形をしたスティックなど見たことがない。通関をすませるのに長い時間が掛り、散々苦労したのを覚えている。


 オリンピックは海外でのテレビ観戦だった。72年の冬の札幌オリンピックはミネソタで白黒のおんぼろテレビを見たし、72年の夏のミュンヘンオリンピックはこの後ヴェネツィアのホテルでテレビを見せてもらった。

 ミネソタの遠い日々 - New -
1970年の夫婦子供連れでのミネソタ大学、留学記録にもどうぞ