ミッソーニ広場 - 002 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 ミラノ駅に来たついでに、駅の裏側に行き、72年に泊まった宿を探した。ホテルの名前も住所も判らなくなっていた。それらしい方角と距離を歩いてみたが、街はすっかり新しくなっていた。


 あの時はホテルの部屋のシャワーを修理している最中だったので、ノッコに手荷物の見張り役として部屋に残し、チャオと近くのガラーンとしたリストランテで遅い昼食をとった記憶があっる。


 地下鉄の駅を下りてホームを探す。路線の表示があるが、慣れていないので戸惑う。一瞬反対側のホームにでたのではと錯覚する。当時ミラノに地下鉄なんてあったのだろうか、記憶が定かでない。後で調べたところ、中央駅口駅は1970年に開業してるいから、出来てすぐのようだ。ただし、当時は出来たばかりの2号線に乗り、途中1号線に乗り換えてドゥオーモ駅に行った。中央駅からドゥオーモ駅まで直線で乗り換えなしの路線はなかった。
「ドゥオーモ行きはここでいいのかな?」
小声で叫んでしまった。
「ここはドゥオーモ行きですよ」
ホームにいた日本の青年が声をかけてくれる。博士課程で、フランスのアルザスのストラスブールに留学中らしい。休みになると汽車で7時間かけて何度かミラノに遊びに来ているという。


 ノッコがフランス語を教えていたクラブサンを弾く美沙さんもストラスブールに留学しているが、彼女は元気でやっているかなと思ってしまう。


 92年にノッコはストラスブールを訪れている。小田急商店街の「アルザス・ワイン街道を訪ねて」という海外旅行キャンペーンの抽選に当たったのだ。「アルザスやコマールはよかったわ」とよく聞かされたものだ。


遠い夏に想いを-hotel01  ミッソーニ駅で降りて外に出る。どうも駅の反対側に出てしまったらしい。ミッソーニ広場が判らない。地図を見ても見当がつかない。通りは人影が殆んど無く、ひっそりとしている。


遠い夏に想いを-電車  腰の曲がったおじいさんが通りの向こうからゆっくり歩いてくる。そのおじいさんに広場への道を訊いた。まだ何とかイタリア語を覚えていたので、言われた通りに歩いてゆくとホテルがあった。                                                 


 ホテルの部屋から広場を見下ろしてみたら、ミッソーニ広場の隅に地下鉄の出入り口があるではないか。人通りのない広場で、路面電車が時たま車輪を軋ませて通る。地下鉄の出入口に利用者の姿は見当たらないので、工事中か閉鎖されていると勝手に思い込んでしまった。

 ミネソタの遠い日々 - New -
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