イタリア人は親切だ - 005 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

遠い夏に想いを-グラッツエ教会  カドルアで地下鉄を降りて、歩いてサンタ・マリア・デル・グラツィエ教会を探す。不思議とこの教会へ行く時は迷子になる。教会にはダヴィンチの『最後の晩餐』がある。近年、修復されて公開されているという。ここは因縁の場所だ。この話は前編のフランス編のブルターニュの項(073話)でしたので、詳しくは述べない。


 72年に来た時には時間切れで諦めた経験がある。あの時も迷子になり、教会の近くまで来ている筈だが場所が判らない。通りがかりの小太りのイタリア人に訊いたが判らない。両腕を広げて肩をひよいとあげた。やはり駄目か。多分、ここから800メートルくらいの距離だと思うのだが。


 それにしても、ミラノに住んでいて、知らない筈がないと思っていたら、その男が更に通り掛かりの腰の曲った痩せた老人をつかまえて場所を訊いている。それでも判らない。更に通りかった中年のイタリア男性を呼び止めて更に聞く、最後はこっちのことも忘れた3人の男たち。
「あっちだ」
「いや、こっちだ」
「そこには、ダヴィンチはないぞ」
収拾がつかない。ノッコもチャオも疲れきった顔をして見ているだけ。15分程経って、教会が閉まる時間が来た。
「そろそろ教会が閉まる時間だ。今から行っても間に合わない。しかし、どうも有り難う」
私たちは礼を言ってその場を立ち去った。


 振り返ったら、彼らはまだ議論を続けている。あの時は本当のイタリア人を見た思いがした。
「あの時はおかしかったよね」
「でも、イタリア人って親切だから、気持ちがいいのよ」

 ミネソタの遠い日々 - New -
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