遠い夏に想いを -196ページ目

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 1時間10分でクレモナに着いた。駅を出て左手に真っ直ぐ中心街に延びる道がある。


遠い夏に想いを-ストラッド  しばらく行くと左側にストラディヴァリ博物館がある。一見倉庫か工場風の建物で、門扉には3時30分から再開となっている。帰りに寄ることにして更に歩く。



 やがて、商店街に出る。端正な街並みだ。クレモナの街自体は小さいのに大変奇麗だ。もう『クレモナ』も名前だけで、実質的には廃れてしまって、町は寂れているかと思ったのだが、大変洒落た街並みで驚かされる。今日は日曜なので、街には私達以外、時折思い出したように自転車に乗った中年男とか少年が通り過ぎるくらいで人影が見当たらない。みんな昼寝の最中なのかな。街は静まりかえり、店はレストランも本屋も化粧品店もみな閉まっている。


遠い夏に想いを-トラッタリア  レストランはたった一軒だけ開いていた。駅のカフェテリアに戻る以外、昼食はとれないのだから、このトラットリアに入るしかない。小さな店だが、うなぎの寝床みたいに奥行きがある店内には新しい椅子やテーブル、更に壁や天井は少々派手に装飾がほどこされ、ピカピカに磨かれていて、なかなか小ぎれいだ。食堂は家族経営で、とうちゃん、かーちゃん、ねーちゃん達が総出だ。


 ニンニクとオリーブオイルでカリッと焼いて、バジルとトマトをのせたカナッペ。余りに量が多いので突き出しとは思えないほどだ。メロンとプロシュット、大ボリュームのサラダミスト、スパゲッティーはノッコがトマト・ソース、私は貝や海老などがいっぱいのペスカートレ。新鮮な魚介類でパスタが隠れてしまうほど。ものすごく美味しい。クレモナのこんなトラットリアでこんなすばらしい料理を出すなんて期待もしていなかった。日曜日の昼とあって、老年の夫婦と、若い2人の男性の2組だけ。充分イタリアを堪能させてくれる。

 ミネソタの遠い日々 - New -
1970年の夫婦子供連れでのミネソタ大学、留学記録にもどうぞ

 今日はクレモナに行く。72年に来た時は、美術館のピナコテッカやその他の寺院なども訪れている。今回は時間的にも余裕がないので、これ以上ミラノだけを見ている訳にはいかない。時間があったら行きたいと思っていたクレモナ行きを決行する。


 朝はゆっくりと思い(まだ時差ぼけがある)、10時15分の汽車で行くことにした。この汽車は中央駅でなくポルト・ガリバルディ駅から出るらしいので地下鉄で行った。ところが、10時15分発のクレモナ行きの汽車などないではないか。切符売場で尋ねてみた。
「この駅からはクレモナ行きの汽車はない。ミラノ中央駅に行け」
肥って威勢のいいおじさんの答えが、幾度訊いても、これ一点張り。


 インターネットに"Italian Tourist Web Guide"(現在は"Viaggia Treno"を参照)なるホームページがあった。ここから時刻表に関する情報を入手していた。曜日で汽車の時刻が変わるのだが、曜日指定で調べなかったので、日曜日には出ないことに気が付かなかったのか、情報が間違いだったのか、私の思い込みだったのか不明である。


遠い夏に想いを-プブリッチ01  さあ、どうしよう。やもうえず、中央駅に行き切符を買う。次の汽車は12時20分発。まだ時間がある。この近くで時間を潰せるところを地図で探す。プブリッチ公園が一番近い。地下鉄で2駅。ミラノ市内ではスフォルッア城の後ろに広がるセンピオーネ公園に次いで大きい。18世紀後半に造られた市立公園らしい。


遠い夏に想いを-プブリッチ02  この時期のプブリッチ公園は少々埃っぽかったが、池や小川もあり、緑が多く、まさに都会のオアシスだ。日曜日の午後を孫と過ごすおじいちゃんや、乳母車を押して散歩する母親など、のんびりと時を過ごしている。あめ売りの馬車が池のほとりで店開きをして、子供たちが集まり賑わっている。のどかな風景だ。市立公園だから自由に入れる。休日にぶらり訪れるには最適だ。

 ミネソタの遠い日々 - New -
1970年の夫婦子供連れでのミネソタ大学、留学記録にもどうぞ

遠い夏に想いを-スカラ  ブレラからブレラ通りを歩いてスカラ座へ出た。スカラ座は72年にも劇場内に入った。今回も時間があるので入ってみる。観光用の入り口から階段を上り、上の階からスカラ座の場内をみる。昔と変わらない豪華な光景だ。赤い客席の列が薄暗い照明のなかで広がり、周囲の壁には個室席(バルコニー席)が並ぶ。6階位あり、最上階は立見席の天井桟敷になる。1776年に最初の劇場、ドゥカーレ劇場が焼失し、現在のはその跡に建てられたものだ。


 博物館に寄ってみる。前に来た時より展示品が多くなった気がする。マリア・カラスとパヴァロッティが加わっていた。モ遠い夏に想いを-モーツアルト01 ーツアルトの髪の毛も相変わらず片隅に展示してある。当時、イタリア北部はオーストリアの支配下にあり、1770年に14才でモーツアルトはイタリアを訪問している。オペラ『ミトリダーテ』を作曲し、ドゥカーレ劇場で上演したのである。それから続けて3度モーツアルトはミラノを訪れている。モーツアルトの曲はみな明るいが、幼少期にイタリアで最初の花を咲かせたからだろう。


遠い夏に想いを-ガレリア02  スカラ座を出てガレリアに入る。まだ早いが夕食をガレリアのリストランテで取ることにした。ドゥオーモ広場からの人の往来がはげしいい。テラスに座って夕食とる。メロンとプロシュットのアンティパストはノッコの定番になった。ここのは量は多いのだが、プロシュット(生ハム)が少し乾燥し過ぎてかたい。


 食後ドゥオーモ裏手の商店街を歩いてみる。ノッコが姉妹にちょっとしたお土産を買いたという。2~3軒の店を見て歩いた。革製品で高くないものをという。一軒の店屋を覗いたら、日本の女の子がアルバイトをしているバッグ店。ローマとミラノに10店舗構えていると豪語する店のおやじが出て来て挨拶となった。背丈が小さくて小太りでよく喋る愛想のいいイタリア男だ。こちらも挨拶程度のイタリア語は覚えていたから、和気あいあいと話に花が咲いた。

「革製品はイタリアに限るよ。うちのは皮は厳選しとるから。ほらこれを見てごらん」

おやじが自慢げに喋っているうちに、何か雰囲気で買ってしまった感じはあるが、少々無理に免税扱いにしてくれたのでまあいいだろう。

 ミネソタの遠い日々 - New -
1970年の夫婦子供連れでのミネソタ大学、留学記録にもどうぞ

 時間はあったが、モンテナポレオーネ通りには結局行かなかった。ブランド娘なら感涙にむせぶところだろうが、我々にはまるで無縁な通りだと急に諦めたのだ。ただ、ブランド品を持っていると、大半の日本女性は無意識に心の不安から抜け出し、心が落ち着いてくるという調査があるそうだから、それなりに効力はあるのだろう。


 ミネソタ大学で中級イタリア語会話を教えていたノラという女性がいた。背丈は日本女性なみで、眼鏡をかけた色白で少し小太りの可愛らしい未婚女性だった。71年に私は彼女のクラスをとった。72年にミラノを訪れた時に、彼女は既にイタリアに帰国していたので、彼女の家にノッコとチャオの3人で訪ねたことがあった。


遠い夏に想いを-マリオッコ  ミラノのドゥオーモから南に2キロほどのところにマリオッコ通りがある。ここには札幌の大道り公園みたいな緑多い緑地帯があり、住むには環境がとても素晴らしい。この5番地にあった新築の赤レンガのアパート(日本流に言えばマンションの3DKくらい)の5階に妹のジュリアと一緒に住んでいた。妹は日本語が少しばかり話せて、大阪万博のイタリア館のコンパニオンとして日本に行ったことがあるという。


 エスプレッソをイタリアの家庭で使うポット(お湯が沸くとひっくり返すやつ)で入れてくれた。
「ミラノに来たら、買い物はモンテナポレオーネ通りね」
その時もノラに言われた。
「貧乏旅行だから余り縁がなさそうですね」
私は苦笑しながらそう言った。

 そんなこんなで、今回のミラノの予定にこの通りを入れてはいたのだが、結局行かなかった。ロンドンでもパリでも高級品や高級ブランドのある通りには行かずじまいだった。

 ミネソタの遠い日々 - New -
1970年の夫婦子供連れでのミネソタ大学、留学記録にもどうぞ

 72年にもブレラ美術館に行っていないので、今回は行くことにする。もとは17世紀に建てられた教会の施設だったらしい。18世紀になってマリア・テレジアが美術アカデミーをここに置いた、そして、ナポレオンが美術館として一般に開放したらしい。イタリアは統一するまでオーストリアやスペインやフランスなどに支配される大変な国だった。周囲の国々が統一国家なのに、イタリアはまだ都市国家の集まりに過ぎなかったためだ。


遠い夏に想いを-ブレラ  ブレラは街の北東に位置し、交通の便が余りよくない。歩いても行けるが、地下鉄のモンテ・ナポレオーネ駅で降りて、いきなり迷子になてしまった。とにかくイタリアでは迷子の連続だ。何処を歩いているのだろうとキョロキョロしていると、近くにモンテ・ナポレオーネ通りがあるではないか。一応予定通り、モンテ・ナポレオーネ通りを歩いてみるつもだったが、何となく行くのを止めてしまった。今まで来た道を戻って、少し遠回りだが、ブオーゴヌオーヴォ通りをブレラに向かって歩いた。人が殆どいない。


 ブレラは初めてだ。1階は美術学校になっているそうで、美術館へは2階に昇る。マンテーニャの「死せるキリスト」は構図の異常さだけでなく、物凄い迫力のある絵だ。ジョヴァンニ・ベリーニの「聖母子像」がとてもいい。私が見たいベリーニの「化粧する女」は彼には珍しい世俗的な絵だが、残念ながらウイーンの美術館にある。

 

 しかし、ここのベリーニの聖母はブルーを基調とし、品があって格調が高く、人間味に溢れている。ラファエロのマドンナのようにふっくらとしていず、ほっそりとしていて、か弱さと哀愁がある。


 でもベリーニを見るにはヴェネツィアに行かなければ。父のヤコボとともにヴェネツィア派を代表する画家だから。この美術館はまさにマンテーニャやベリーニなどのヴェネツィア派を中心とした北イタリアのルネッサンス絵画の宝庫である。

 ミネソタの遠い日々 - New -
1970年の夫婦子供連れでのミネソタ大学、留学記録にもどうぞ