72年にもブレラ美術館に行っていないので、今回は行くことにする。もとは17世紀に建てられた教会の施設だったらしい。18世紀になってマリア・テレジアが美術アカデミーをここに置いた、そして、ナポレオンが美術館として一般に開放したらしい。イタリアは統一するまでオーストリアやスペインやフランスなどに支配される大変な国だった。周囲の国々が統一国家なのに、イタリアはまだ都市国家の集まりに過ぎなかったためだ。
ブレラは街の北東に位置し、交通の便が余りよくない。歩いても行けるが、地下鉄のモンテ・ナポレオーネ駅で降りて、いきなり迷子になてしまった。とにかくイタリアでは迷子の連続だ。何処を歩いているのだろうとキョロキョロしていると、近くにモンテ・ナポレオーネ通りがあるではないか。一応予定通り、モンテ・ナポレオーネ通りを歩いてみるつもだったが、何となく行くのを止めてしまった。今まで来た道を戻って、少し遠回りだが、ブオーゴヌオーヴォ通りをブレラに向かって歩いた。人が殆どいない。
ブレラは初めてだ。1階は美術学校になっているそうで、美術館へは2階に昇る。マンテーニャの「死せるキリスト」は構図の異常さだけでなく、物凄い迫力のある絵だ。ジョヴァンニ・ベリーニの「聖母子像」がとてもいい。私が見たいベリーニの「化粧する女」は彼には珍しい世俗的な絵だが、残念ながらウイーンの美術館にある。
しかし、ここのベリーニの聖母はブルーを基調とし、品があって格調が高く、人間味に溢れている。ラファエロのマドンナのようにふっくらとしていず、ほっそりとしていて、か弱さと哀愁がある。
でもベリーニを見るにはヴェネツィアに行かなければ。父のヤコボとともにヴェネツィア派を代表する画家だから。この美術館はまさにマンテーニャやベリーニなどのヴェネツィア派を中心とした北イタリアのルネッサンス絵画の宝庫である。
ミネソタの遠い日々
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