懐かしい話し - 012 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 時間はあったが、モンテナポレオーネ通りには結局行かなかった。ブランド娘なら感涙にむせぶところだろうが、我々にはまるで無縁な通りだと急に諦めたのだ。ただ、ブランド品を持っていると、大半の日本女性は無意識に心の不安から抜け出し、心が落ち着いてくるという調査があるそうだから、それなりに効力はあるのだろう。


 ミネソタ大学で中級イタリア語会話を教えていたノラという女性がいた。背丈は日本女性なみで、眼鏡をかけた色白で少し小太りの可愛らしい未婚女性だった。71年に私は彼女のクラスをとった。72年にミラノを訪れた時に、彼女は既にイタリアに帰国していたので、彼女の家にノッコとチャオの3人で訪ねたことがあった。


遠い夏に想いを-マリオッコ  ミラノのドゥオーモから南に2キロほどのところにマリオッコ通りがある。ここには札幌の大道り公園みたいな緑多い緑地帯があり、住むには環境がとても素晴らしい。この5番地にあった新築の赤レンガのアパート(日本流に言えばマンションの3DKくらい)の5階に妹のジュリアと一緒に住んでいた。妹は日本語が少しばかり話せて、大阪万博のイタリア館のコンパニオンとして日本に行ったことがあるという。


 エスプレッソをイタリアの家庭で使うポット(お湯が沸くとひっくり返すやつ)で入れてくれた。
「ミラノに来たら、買い物はモンテナポレオーネ通りね」
その時もノラに言われた。
「貧乏旅行だから余り縁がなさそうですね」
私は苦笑しながらそう言った。

 そんなこんなで、今回のミラノの予定にこの通りを入れてはいたのだが、結局行かなかった。ロンドンでもパリでも高級品や高級ブランドのある通りには行かずじまいだった。

 ミネソタの遠い日々 - New -
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