ロンダニーニのピエタ - 010 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

遠い夏に想いを-pieta  最後はミケランジェロの「ロンダニーニのピエタ」。ミケランジェロの遺作となった像で、ローマのロンダニーニ家に置かれていただめにそう呼ばれているらしい。「ピエタ」とは死せるキリストを抱いたマリアの聖母子像で、慈悲を意味する。


 72年に来た時には薄暗い隅のほうに置かれていたが、今は場所が変わり、ピエタだけの特別展示スペースが出来ている。青い制服をきた説明員のおじさんが色々教えてくれる。像の右側に太い腕の削り残しのようなものがあるが、これは最初のプランの一部で右腕だという。前3作(サン・ピエトロ、フィレンツェのドゥオーモとアカデミア美術館)のピエタは確かにミケランジェロの筋骨たくましいイエス像だが、ここのは痩せ衰えた救世主だ。作風がそれまでのミケランジェロとは大きく異なる。


 私はこの未完のピエタが大好きだ。
「ミケランジェロのピエタの中では最高傑作だね」
説明員のおじさんに言った。
「ああそうさ・・・」
余り自信がなさそうな返事だ。


『未完』というのは西洋風に言うと『完璧ではない』となる。東洋人には、どこまでが『完成』なのかは見る人の判断次第だ。「心」を顕わす方法の違いだと思う。


 円空の仏像はその見本だと思うのだが、いかがなものか。これを『未完』というべきか『完成』というべきかは分らないが、西洋的に言えば完成していないとなるだろう。西洋画が「未完成風」に展開してきたのは近世になってからだと思う。特に19世紀後半の印象派からで、専門家も庶民もやっと時代に追いついたと言うべきだろう。


 このピエタ像はルネッサス的でなくて、バロックをも飛び越えて、現代的で、真に見る者の感情を癒してくれる。ミケランジェロは衰え、もう石を掘り進める力もなくなり、筋骨隆々とした彫像を諦めたのかも知れない。ミケランジェロはやはり彫刻家である。バチカンのシステナの礼拝堂の天井画は、絵画というよりも、彫刻的な力で表現した群像だと思う。