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遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

遠い夏に想いを-verona01  ポルタ・ヌオーヴァ駅を降りて、右手にしばらく行くと同名の広場がある。ここからポルタ・ヌオーヴァ通りが北に延びている。この道を真直ぐ進むと16世紀中頃に建てられたポルタ・ヌオーヴァという門がある。この門を抜けると旧市内に入り、ブラ広場にたどり着く。


 ここまで歩くと結構距離がある。イタリアの夏は日照りが強い。日陰の東側の歩道を歩く。道は広く、通りの建物は割と新しく、明るく洒落た造りだ。


 ブラ広場の右手にバルベリーニ宮、正面にアレーナ、左手は緑色の日差しで覆われたカフェやらトラッタリアが延々と立ち並ぶ。この広場はヴェローナで一番広い広場で、広場の真ん中に大きな噴水もあり、なかなか美しい広場だ。


遠い夏に想いを-verona02  アレーナはローマのコロッセアムほどの高さは無い。それでも2万人は収容できる2階建ての平たいアレーナだ。入り口から中を伺うしかないが、今日は音楽祭の準備で忙しい。アレーナのまわりにはオペラの大道具小道具が山積みされている。ヴェローナの音楽祭はオペラが中心で、このアレーナで上演される。ヴェルディの作品が最適で、「アイーダ」とか「オセロ」などがこの野外劇場で上演されたら迫力があると思う。



 アレーナを迂回してマッツィーニ通りを歩く。通りを抜けて、左に曲がるとエルベ広場にでる。市場が出ている。果物屋が多い。「エルベ」とはイタリア語で「野菜」の意味だ。90年に行ったフィレンツェの通りで売っていた甘い完熟のスモモを思い出し、ここでもスモモを幾つか買った。しかし、紅く熟しているように見えたが、固くて甘くないかった。

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遠い夏に想いを-ミラノ駅内  今日はヴェローナに立ち寄って、夕方までにヴェネツィアに行く。出発時間になっても、ミラノ中央駅の何番線のプラットフォームにヴェローナ行きの汽車が入るのか決まらない。結局、30分後れで汽車は出発した。ヴェローナの情報もインターネットで入手していたが、意外とガルダ湖の情報が多い。


 ヴェローナの近くまで来ると、遠くにガルダ湖が見えてくる。銀色に輝く湖面、紺碧の空、溢れる緑。ガルダ湖入り口で大勢のイタリア人乗客が降りた。近くにいた小さな男の子と女の子を連れた太った中年の奥さんが子供たちの奇声と共にフォームに降りていった。ガルダの景観は写真でしか見たことはないが、日本の湖と違ってきちんと整備されていて絵の様に美しい。ガルダ湖は夏の保養地として名高い。時間があったら立ち寄りたいところだ。ヨーロッパの自然は人間が作った自然かもしれないが、そこに統一美、様式美というべきものが存在するようだ。


 2時間弱でヴェローナに着いた。駅の荷物預かりでバゲージを預ける。一個につき5千リラ。どこの駅にもコインロッカーではなく、荷物預かり所があるので助かる。昼は1時間半ほど閉まっている。その時間に来たら預けることも取り出すことも出来ない。いかにもイタリアらしい。駅の案内所で夏の音楽祭の切符を扱っている。有名な音楽祭だが、今日は音楽会がない。

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遠い夏に想いを-ストゥラッド博物館03  ストラディヴァリ博物館が開いていた。世界中で残っているストラディヴァリは400丁くらいと言われている。ストラディヴァリは93歳まで生きた。ヴァイオリンは手工業作品だから分業はしない。一人で全部作る伝統は今でも受け継がれている。


 一説には物凄い数のヴァイオリンを残したといわれているが、製作台数はヴァイオリンだけで年間10丁から12丁、チェロ、ヴィオラ、その他を合せて、14丁から多くても15丁が限度だろう。二人の息子のフランチェスコとオモボノが作った楽器に『アントニウス・ストラディヴァリウス』のラベルを張って(あってはならない事だが)売ったとしも余りに多い。製作者だった息子の名前がついた楽器というのは極めて少ないからだ。アマティの工房から20歳くらいで独立し、70年間で1,100丁というのが私の単純計算だ。それでも、一人で作るのは大変だ。現在400丁残っているということは、ストラディヴァリが活躍した時代から300年経って40%が残った事になる。


 ストラディヴァリのチェロは60丁ほど残っているらしいが、評価はヴァイオリンほどは高くない。カザルスが自分の音色に合わないとストラディヴァリを使わなかったと言われるが、それでも柔らかいヴィロードのような素晴らしい音に魅了される。チェロにはラージサイズと呼ばれる形と、現在使われている標準サイズがあり、ストラディヴァリも18世紀頃まではラージサイズのチェロを作っていたらしい。


遠い夏に想いを-ロンベルグ  ベートーヴェンとも親交のあったチェリストでロンベルグ(右の銅版画)という人がいた。ベートーヴェンが彼に「協奏曲を書いてやろう」と言ったのに、「自分で書くからいらないよ」と断ってしまい、ベートーヴェンにはチェロ協奏曲は残っていない。そのため後世のチェリストがしきりと悔しがる。彼の教則本には、図解と共にチェロの縮少方法が載っている。今では考えられないことだが、3~4センチも小さくするのである。古いチェロは殆どサイズを縮少され、元のサイズで現在残っているのは骨董品として保存されていたものだけらしい。


 ヴィラも作ったのだが、現在残っているのは13丁だけと伝えられている。ヴィオラもサイズが大小あって、日本で一般に使われているヴィオラのようにヴァイオリンと識別できないくらい小型のものから、大きな外国人男性がヨイショと持ち上げるくらい大きなものがある。


 木が音の振動ともに自然に乾燥される時間が必要になる。現在の名工達が作るヴァイオリンも音が輝くまで最低150年は待たなければならないとすると、気が遠くなるような話しである。


 古いヴァイオリンも当時の姿を留めているものは少ない。現在の演奏環境に合せて、指板を長くしたり、駒を高くしたり、力木などで内部を補強したりして、大きな音が出るように改造されてしまっているからだ。バロック音楽ではもう未改造の古楽器が数少なくなっている。ストラディヴァリ博物館にはヴァイオリンの古い制作行程を示した図が有るが、ここには示されていない技が有ったのだと思う。どうして「ストラディヴァリ」がこんなに素晴らしいのかは、いまだに謎だから。

 街のヴァイオリン工房は数が多いが、みな閉まっている。クレモナはアマティー、ストラディヴァリ、グアリネリなどいわゆるクレモナの名工達が17世紀から18世紀にかけて活躍した町として知られている。


 アマティーがクレモナに弦楽器の工房を開いた。名声は広まり、名器といわれた。形は今の楽器よりも小振りだったようだが、音質は甘く女性がささやくようだった。この工房で働いていたストラディヴァリが独立して工房を開き、素晴らしい楽器を作り出す。甘美でビロードのような音質で、かなりの音量があった。ヴァイオリンの形は現在でもストラディヴァリが基本である。グアリネリはヴァイオリンしか作らなかったが(ヴィオラやチェロは現存していない)、音は素晴らしく、強い音が出た。パガニーニは最初ストラディヴァリを使っていたが、ある時借りたグアルネリを一生手放さなかったという。


 その後、クレモナの弦楽器製作の名声は歴史から徐々に消えて行く。原因の一つはポー川のほとりに茂っていたヴァイオリンに最適な木材をすべて使い果たしたからだという。しかし、このところクレモナはヴァイオリン作りの聖地としての地位を盛り上げつつあり、名前の通った弦楽器製作者も出てきている。


遠い夏に想いを-pace  コムーネ広場に近いパーチェ広場に見つけたガロ工房の前で写真だけでも撮ろということになった。パーチェ広場は周囲に洒落た、小奇麗な店が並んでおり、ドゥオーモの鐘楼が屋根越しに望めて素敵な場所である。


 コムーネ広場に戻ると、角のアイスクリーム店が開いていた。アイスクリームをなめなめ駅へ戻る。


 



遠い夏に想いを-roma  帰り道に公園になっているローマ広場を通る。今度はどうゆう訳か市民でいっぱい、特に老人達が沢山出てきて憩いの場と化している。


 この広場にはストラディヴァリの墓があり、白い彫像が立っている(写真奥に小さく見える像)。いかにもヴァイオリンの町という趣きだ。日曜日に来てしまったので、殆んどの店は閉まっており、何か欲求不満だけが残ってしまった。

「美味しかったわね」
「本当に、素晴らしかったなあ。ボリューもあったから、お腹がきついよ」


 満腹になってまた中心街を目指して歩き続ける。公園がる。ローマ広場という公園だが、誰も居ない。ヨーロッパのどこの町でも同じだが、日曜日の午前中は人出が極端に少ない。日曜日は安息日だからだろうか。


遠い夏に想いを-コムーネ宮  公園を抜けて、更に行くとドゥオーモ広場にたどりつく。左手にドゥーオモの瀟洒な姿が見える。日曜日で広場の角のインフォメーションは閉まっている。長方形のコムーネ広場を中心にドゥオーモと鐘楼、八角形の礼拝堂とコムーネ宮がある。


 コムーネの書店で情報を得るが、さすがに日曜日で、リュータイオ(弦楽器製作者)の店はみな閉まっている。折角、クレモナに来たのだから弦楽器の製作者に会いたかったのに。インターネットでクレモナのヴァイオリン製作の情報は入手していたのだが。


遠い夏に想いを-評議会  仕方が無いから、コムーネ宮の中にあるヴァイオリンの間に行った。ここに唯一ストラディヴァリが一丁ケースの中に吊るしてある。毎日定刻に音を出すために専門家が訪れるそうだ。楽器は音を奏でなければ、ただの木の箱になってしまう。上手な人が正しい音程で引くことが、特に弦楽器には大切なのである。


 コムーネ宮には殆ど来場者がいないが、係りのおばあさんや、若い娘さんや、青年が入れ替わり番をしている。おばあさんはイタリア語で(英語は3人とも駄目)案内してあげようと、『評議会の間』などに連れていって、いろいろ説明してくれるが、ノッコと私のイタリア語を総動員しても難しい歴史の話は半分しか判らない。こうゆう所の係員は英語が出来る場合もあるが、イタリア語しか話せない人が多い。


遠い夏に想いを-ドゥオーモ  この部屋の窓はコムーネ広場に面しており、その向うにドゥオーモと鐘楼が聳えている。上階からの眺めは素晴らしい。ここのドゥオーモは12世紀頃から建築が始まったロマネスク・ロンバルディア様式の建物だそうだ。シエナのドゥオーモのように威風堂々としたゴシック建築とは違うが、どことなく奈良の古いお寺を想像させる味わいがある。ドゥオーモの左側にトラッツオという鐘楼が聳えている。こちらはレンガ造りで、ロンバルディア特有の色をしているが、塔の高さは111メートルあり、階段は487段もあるというから、登るのは体力が許さないので、下から見上げるだけで満足するしかない。ドゥオーモに入り一巡する。堂内は荘重で豪華である。