遠い夏に想いを -194ページ目

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 荷物をホテルの部屋に置いて街に出る。セレニッシマが「そのホテル」なのかを確認したかった。
 入り口を覗いて見た。中年の男が小さなフロントにいた。中に入ってみた。
「こんにちは」
「やあ、いらっしゃい」
男は顔を上げて何か用ですかと言いたげな表情をした。
「30年前にここに泊まったことがあるのですが」
「はあ・・・」
「昔、お父さんだと思うけど、ホテルの主人で、背の小さい、太って、愛想のいい人がいて、大変にお世話になったのです」
「ああ、父ですね。もう亡くなりました」
「そうですか。当時、連絡が取れなくて、夜遅く着いたら、『キャンセルしちゃったよ』って言われてね。小さな子供が一緒だったので、困っていたら、『何んとかしよう』って、やり繰りして一部屋提供してくれました。ミュンヘン・オリンピックの頃で、テレビを見ないかと、誘ってくれて居間で観戦させてもらいましたよ」
「それはよかったですね。お客さんに喜んで貰うのか一番だから」


遠い夏に想いを-ポッツオ  表の通りに出た。あの時、翌朝、窓を開けた時の印象が鮮やかによみがえっていた。1階だった。窓の外は矩形の中庭(といっても何にも無いただの空間)で、井戸のような形をした円形の構築物(ヴェネツィアのポッツオと呼ばれる井戸)が一個ポツンとあった。その側を黒い猫が一匹、のそりのそり歩いていた。あの中庭への入り口が有るはずだ。


 ホテルのある一画を一周したところで、中庭の入り口を発見。これは中庭などではなく、広場全体が地区の雨水を貯める巨大な貯水槽になっている。ヴェネツィアを歩くと、広場ごとにこのポツッオと呼ばれる井戸を見かける。この広場の中にも井戸が見えた。部屋は一階であの井戸の前のあの辺りだったろうか。当時泊まったホテルの名前も住所も、今は記録が無くなっており、今回の旅行で探し当てたのはこのホテルだけだった。


遠い夏に想いを-カード  このイタリアの旅から帰国して、古い書類を整理していたら、一枚の案内図が出てきた。72年の旅行で泊まったホテルの案内図や住所で唯一残っていたものだ。


 何せ、あの時は日本を離れて2年は経っていた。札幌のオリンピックもミネソタのオンボロ白黒テレビで見た。何となく日本の事情にも疎なっていた頃だったから、チャオとノッコの3人で目をこすりこすり、家族がたむろする部屋でホテルの従業員と一緒に女子バレーを見ていた。


 それが「セレナ・・・ホテル」だった。突当たりが、今回宿泊予定のホテル・ボンヴェッキアーティで、その左側の小路を覗いたら、偶然、20メートルほど先の左側に、懐かしの『セレニッシマ・ホテル』はあった。


遠い夏に想いを-ボンベッキアーテ  ボンヴェッキアーティはセレニッシマよりは遥かに立派だ。入り口のロビーも広い。ボンヴェッキアーティのレセプションにはメガネをかけた背の高い中年の男がいて、カタコトの日本語がうまい。多分、日本の団体客が多いのだろう。


 使用人が部屋まで案内してくれる。なんとエレベータで最上階へ行って、更に階段を上る。日本の旅館にもこんな造りあったっけ。まさに屋根裏部屋だ。西日がもろにあたってものすごく暑い。クーラーは付いていても全然効かない。日が暮れるまでは雨戸を閉めておく。風呂場はもっと暑い。窓の外は眺めがよくないが、屋根伝いに遠くまでヴェネツィアの街が望める。


 最初、東京で予約したのがメトロポールだった。サン・マルコ寺院の東側にある5つ星の高級ホテルだ。宿泊代は一番安い部屋で48万リラ。3万4千円もする。相変わらず貧乏旅行が身にしみている。海外でこんなに払った事はないので、キャンセルしボンヴェッキアーティに変えた。それでも、このホテルは今回のイタリア旅行中で一番高い。おまけにこのくそ暑い屋根裏部屋だ。一番安い部屋だったからだろうか。


 ホテルに関しては、ヴェネツィアは最悪の状態だ。土地が限られているし、新規にホテルを建てるわけにもいかず、規制があるから仕方がないのだろう。それでも観光客は増える一方なのだから。

 当時の旅行は降り立った空港のインフォメーションでホテルを予約してもらっていたが、ヴェネツィアだけは夜遅く着くので、出発前にミラノの日本航空事務所でホテルを予約してもらった。10時頃の到着だから伝えておいてくれと言っておいたのに、「はい、了承しました」ばかりで、到着の時刻はホテルに伝わっていなかった。当時の日本航空は何をやらしても駄目な航空会社だった。


 8時半頃、マルコポーロ空港に着いた。空港の発着所から船に乗りサン・マルコ広場に着いたのは9時半頃だった。地図を片手に、ホテルへ急いだ。


遠い夏に想いを-セレニッシマ  ホテルに着くと、丸々と太って背丈の小さいおやじが出てきて言う。
「遅いし、ぜんぜん連絡がないからキャンセルしたよ」
「困ったな、これからホテルを捜すのは」
結局、日本航空が何も連絡していなかった。
「うーん、俺の部屋に一緒に泊まるかい」
「それは、ちょっと・・・、子供がいるし・・・」
チャオと一緒の3人連れだ。困った顔をしていると、結局、使用人の部屋を空けてやろうと言ってくれた。泊まるところは何とかなった。人のいいおやじさんだった。まるで昔のひなびた温泉旅館みたいだ。チャオには赤ん坊用のベットを急いで用意してもらたら、部屋の中は歩く隙間さえない。


 夜中になって、トントンとドアをたたく音がする。
「起きてるかい。今テレビで日本の女子バレーががんばっているぞ。よかったら見に来な」
おやじの声だ。

テレビなど部屋にない時代だから、家族が集まる部屋へ3人で行った。


 丁度、72年のミユヘン・オリンピックのさなかだった。日本のバレーチームは大いに頑張った。女子チームは「銀」を、男子は「金」を取った。今ではイタリアは強豪チームだが、当時はまだ日本の全盛時代だった。外国で日の丸が揚がる光景を見ると、何か誇りに感じろ。


 国旗と国歌の問題はいまだにくすぶっている。政府がとやかく口を挟むより、国際スポーツの場でどんどん日本の選手が活躍し、日の丸の旗を挙げるように国が助成金をだす方がましだ。かっての共産圏の国々が国策でやったようなことは必要ないが。日本のように島国で単一民族と思っている国で、多民族国家のアメリカのように国旗と国歌が国を統一し、愛国心を育てると信じるのとは訳が違う。

 ミネソタの遠い日々 - New -
1970年の夫婦子供連れでのミネソタ大学、留学記録にもどうぞ

 1時間半ほど汽車に乗る。緑の草原を抜けて、さらに干潟の上を汽車が進み、ヴェネツイアのサンタ・ルチア駅につく。
「まるで『旅情』の映画みたいね」
ノッコが昔を思い出すようにポツリと呟いた。
往年の名画『旅情』の導入部で、汽車の両側に広がる青い海をキャサリン・ヘップバーンが目を輝かせて見ている光景そのままだ。1955年製作の映画だから、若い人たちは見ていないも知れない。1972年に初めてヴェネツイアを訪れたときは、北のマルコポーロ空港から船で来たので、この鉄道の情景は経験していなかった。


遠い夏に想いを-橋01  サンタ・ルチア駅は相変わらず人でごった返している。満員のヴァポレットに乗りカナルグランデを進む。やがて視界が開けて、運河沿いに色とりどりの家並みが目に飛び込んでくる。そして、華麗な石造りのレアルト橋や木造のアカデミア橋をくぐりぬけて、右手にサンタ・マリア・デッレ・サルーテ教会のドームが見えてきたころ、船はサン・マルコ広場に到着した。 この船着き場はサン・マルコの一番西側にある。夕方だがまだ明るい。それでも店の明かりが点灯し始めている。


遠い夏に想いを-舟溜まり  サン・マルコ広場の西側の狭いハトの糞だらけの通路を抜ける。

「ここには昔、来たことがあるよね」
昔の記憶を手繰りながら、私はノッコに呟いた。
「私もそう思っていたところ」

ノッコも記憶をたどりながら答えた。


 通路を抜けると右側は掘割のようになっていて、今はゴンドラの船溜まりになっている。この先を行けば、72年に宿泊した、名前は思い出せないが「セレナ・・・ホテル」だったろうか、あのホテルがあるはずだ。


 ミネソタの遠い日々 - New -
1970年の夫婦子供連れでのミネソタ大学、留学記録にもどうぞ

遠い夏に想いを-romeo&julietta  ジュリエッタの館と称する場所はこの近くにある。13世紀頃からたっている古いレンガ造りの建物である。


 かって「ロメオとジュリエット」をパゾリーニが映画化した。「ロメオとジュリエット」の映画作品としは名作だが、教会部分はアッシジで撮ったらしい。我々が帰国してから、大きな地震があってアッシジの教会も壊れたらしい。


 パゾリーニのジュリエットの館での「おー、ロミオ、ロミオ」のバルコニーに比べて、ここのバルコニーは余りにも質素だ。しかし、いかにもそれらしくていい。オリヴィア・ハッセイの可憐な姿は今でも忘れられない(彼女と結婚した日本人歌手の某氏、何故離婚してしまったのだろうか)。


 今年(1997年)はまたシエクスピアの映画の当たり年で、ロメオが2作も出た。シエクスピアは国際派の作家だったに違いない。題材の扱いにも国は多彩だし、史実にそれらしさがある。ロメオとジュリエットの史実的は正しくない、ヴェローナは関係ないと言われても、これだけヴェローナがロメオとジュリエットが観光資源として利用され、観光客も楽しんでいるとすれば、細かい事はどうでもよくなる。歩いてロメオの家へ行く。今はレストランに化けてしまって、架かっている説明文以外それらしいものはない。これなどもデズニーランド以上の演出で、ここまでくると、この街も「ロメオとジュリエット」のテーマパークとし化した観があり、さすがに商売がうまい。


遠い夏に想いを-scalatombs  スカリジェレ家廟へ。ヴェローナは中世の時代にスカラ家によって支配されていた。そのスカラ家の墓なのだが、昼で閉まっている。当時の支配者の廟なのだが、余りに東洋的と言おうか、異質と言おうか、ユニークな廟ではある。



 サンタアナスターシア教会は13世紀末に建てられたドミニコ派の教会で、ヴェローナで一番大きいらしい。建物もユニークだが、重厚な堂内はゴシック様式で、幻想的な絵画が不思議な雰囲気をかもし出している。


遠い夏に想いを-churches  更に、ドゥオーモへと足を進めた。12世紀の末に建てられた聖堂で、正面は大変に優しく、優美なロマネスクとゴシックが融合している。堂内は荘厳で素晴らしい。ティツィアーノのヴェローナで描きあげた唯一の作品「聖母マリア被昇天」の絵画もある。


 アディジェ川沿いに歩き、ガリバルディ橋から更に川沿いにヴィットリア橋まで来て、ここからアレーナの方へ進んだ。5時間ばかりの滞在ではヴェローナの街は見切れない。おまけに、昼は店屋や名所も閉まっている。


遠い夏に想いを-ristrante  昼食が遅くなったので、ブラ広場のトラッタリア街にいった。一軒の店が開いていた。昼食の時間はとっくに過ぎて、席に就いている客は殆どいない。テラスでパスタを食べるがひどく不味い。日除けのテントに太陽が照りつけ、蒸し風呂の中に居るようだ。クレモナのトラットリアの昼食は何だったのだろうか。幻だったのだろうか。同じイタリア料理なのに、余りにも落差が大きい。さて、今日は時間が余りないので、急いで駅まで歩く。そして、汽車でヴェネツィアへ向かった。

 ミネソタの遠い日々 - New -
1970年の夫婦子供連れでのミネソタ大学、留学記録にもどうぞ