ヴェネツィアの井戸 - 025 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 荷物をホテルの部屋に置いて街に出る。セレニッシマが「そのホテル」なのかを確認したかった。
 入り口を覗いて見た。中年の男が小さなフロントにいた。中に入ってみた。
「こんにちは」
「やあ、いらっしゃい」
男は顔を上げて何か用ですかと言いたげな表情をした。
「30年前にここに泊まったことがあるのですが」
「はあ・・・」
「昔、お父さんだと思うけど、ホテルの主人で、背の小さい、太って、愛想のいい人がいて、大変にお世話になったのです」
「ああ、父ですね。もう亡くなりました」
「そうですか。当時、連絡が取れなくて、夜遅く着いたら、『キャンセルしちゃったよ』って言われてね。小さな子供が一緒だったので、困っていたら、『何んとかしよう』って、やり繰りして一部屋提供してくれました。ミュンヘン・オリンピックの頃で、テレビを見ないかと、誘ってくれて居間で観戦させてもらいましたよ」
「それはよかったですね。お客さんに喜んで貰うのか一番だから」


遠い夏に想いを-ポッツオ  表の通りに出た。あの時、翌朝、窓を開けた時の印象が鮮やかによみがえっていた。1階だった。窓の外は矩形の中庭(といっても何にも無いただの空間)で、井戸のような形をした円形の構築物(ヴェネツィアのポッツオと呼ばれる井戸)が一個ポツンとあった。その側を黒い猫が一匹、のそりのそり歩いていた。あの中庭への入り口が有るはずだ。


 ホテルのある一画を一周したところで、中庭の入り口を発見。これは中庭などではなく、広場全体が地区の雨水を貯める巨大な貯水槽になっている。ヴェネツィアを歩くと、広場ごとにこのポツッオと呼ばれる井戸を見かける。この広場の中にも井戸が見えた。部屋は一階であの井戸の前のあの辺りだったろうか。当時泊まったホテルの名前も住所も、今は記録が無くなっており、今回の旅行で探し当てたのはこのホテルだけだった。


遠い夏に想いを-カード  このイタリアの旅から帰国して、古い書類を整理していたら、一枚の案内図が出てきた。72年の旅行で泊まったホテルの案内図や住所で唯一残っていたものだ。