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遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 旅行記とは関係ないのだが、ヴェネツィアのカメリエリの話が出たついでに、外国語の習得と活用について考えを述べてみようと思う。


 日本の語学教育は相変わらず花盛りだ。だが、覚える必要の無い者、本気で覚える気もない者、必要がないのに覚えておけば何かと格好がいいと思う者、周りがそうゆう雰囲気だから、などなど・・・漠然とした動機を持つ者が多い。


 このヴェネツィアのカメリエリ君のように、日常的に使う必要があれば英語は覚えられる。日常的に必要性がないのに、覚えられるわけがない。英語やフランス語の会話は知識ではない。次元が違うが、子供が海外にいて言葉を聞き、そして喋りだすのを想像すればいい。その子供が帰国して日本語しか使わなければ、3ヶ月もしない内にすっかり忘れてしまう。


 テレビなどでもよく見かけるが、東南アジアやアフリカの庶民が上手に英語でコミュニケーションをとっている。イギリスの植民地だった経緯もあるだろうが、それだけではないと思う。また、テレビでも時々紹介されるが、外国人が1年くらいの勉強で、日本にも来たことがないのに、日常会話で日本語を聞いたり、話したりしているの見て驚いてしまう。


 日本語は子音も母音も世界一単純だから、外国人にとって日本語は覚え易い。問題は漢字だけだ。とにかく漢字は音読みや訓読みがあり、日本人が考える以上に大変だと思う。そのうえ同音異義語がやたらと多い。


 外国人に「何年英語をやっていますか」って訊かれて、「中学・高校で6年間です」と答えると、「6年間も!」とみな一様に驚く。発音が単純な日本語を話しているから、複雑な音を含む外国語が聞けない。コミュニケーションだから、聞けないと、喋れない。英会話に必要なのは中学校の英語のテキストで充分。だから「英語が喋れますか」ではなく「英語会話が出来ますか」と訊くべきだ。


 ラジオやテレビの会話番組を熱心に聴いて、外国語を使えるようになった者を多く知っている。録音して何度も聞くことだ。具体的な目的と意思があれば何とかなる。そして実際に外人と会話してみるのだ。


 私はある外資系の企業に勤めていた。退職の1年半ほど前に、英語教育部門の責任者をやった。専任講師はカナダ人とアメリカ人の2人だった。派遣社員扱いでオフィスに毎日いてもらった。外資系の会社だが、外資系他社比べて駐在する外人は極端にすくない。その代わり、アメリカの本社から担当者が事業部ごとにやって来る。毎日オフィスのどこかに20人以上滞在している。どうしても英語が必要になる。


 私は最初希望する全ての社員に英語教育の機会を与えたが、結果は余り効果が上がらない。TOEICのテストも定期的に実施し、点数が少しばかり上がっても、実際には役に立たない。本当に覚えたいという社員には補助金をだして外部の英会話学校に通わせることにした。やはり身銭を切って習わないと駄目のようだ。


 会社の必要とする者が英語を充分に使えるようにするため、外資系特有の英語のプレゼンテーション方法とか特殊なフレーズなどを教えさせた。最低限のトレーニング方法だ。この方が効率がいいし、会社の要望にも答えられる。しかし、これではプレゼンテーションには役立つが、外人を交えたフリー・ディスカッションでは役にたたない。聞いて話せる「使える英語」でないと駄目だからだ。

遠い夏に想いを-アチュゲータ  昨夜の失敗を繰り返さないよう、今夜の夕食は色々考えた。サン・マルコ寺院の裏手にカンポ・サンティ・フィリッポ・エ・ジァコモという小さな広場があり、そこに『アチュゲータ』という名のリストランテがある。店の体裁は悪い。結論を先に言うと、味は庶民的で素晴らしいし、値段も手ごろだ。少し早めに来たのだが、店は満員だった。


 偶然、テラスに席が空いた。店の中では、痩せてメガネをかけた黒服のおにーちゃんが飛び廻っている。どう見てもイタリア人というよりはイギリス人のようだが、このカメリエリ君、きれいなイタリア語を話す。こちらが日本人と見るや、流暢な日本語で注文を取りに来る。


 日本語のメニューも用意してあるが、手書きで粗末だ。英語のメニューと比べると料理の品数が少ない。またもや、メロンとプロシュットにパスタに魚。パスタも旨いが、魚の料理はこれまた旨い。白身の魚は調味料なしの白焼き、それも、炭焼きだ。それに少しの塩とレモンをたらして食べる。まさに活きのいい魚を焼いた風味がなんともいえない。


 メガネのほっそり君、説明は流暢な日本語で押し通す。イタリア語や英語でいろいろ聞いても、日本語で返事が返ってくる。日本語を喋るのが何とも楽しそうだ。こっちも英語やイタリア語を話すのを止めて、彼を応援することにし、日本語で話をした。
「どこで日本語覚えたの?」
「ここで」
「ここって、学校でも通ったの?」
「いえいえ、このリストランテでなんとなく」
明るく、朗らかな様子がなんともいい。忙しい中を、テキパキとテーブルを廻って、また戻ってきて会話がはずむ。笑顔を絶やさず喋るのがいい。


 これはもう、習うよりは慣れろの見本みたいなものだ。必要があるから日本語に関心を抱き、関心がるから覚えようとする。努力して上達すると面白くなる。そして、誰かしら日本人が現れ、それを試すチャンスが毎日ある。これは努力すれば何とかなるように聞こえるが、そうゆものではない。学校に通わなくとも、最低自分で勉強する日本語のテキストは必要だろう。


 先ず、語学の才能や感や記憶力と、更に応用する力が絶対必要だ。それに何よりも外国語での対人関係を克服する心構えが必要。特に日本人にはこれがひどく難しい。日本文化の影響かも知れない。だから、気持ちが「後ろ向き」ではなく、しかり「前を向いて」会話することが必要。それが無くては、学習循環はひたすら空回りするだけだ。


 40年前にアメリカに留学していたとき、近所にヴェネズェラからきた留学生の奥さんにアントニエッタという女性がいた。アメリカに来る前は英語のエの字も知らなかったらしいが、物凄いおしゃべりで、近くの語学学校に通って1年足らずで喋れるようになった。「おしゃべりな女性は最高のリングイスト」の見本みたいだった。語学に向きあうときは、常に前向きの気持ちが必要だ。決して、引っ込み思案にならないこと。

遠い夏に想いを-サン・ヴィダル  サント・ステファノ広場を歩いていると、ヴァイオリンの音が聞こえてくる。ヴェネツィアは歩くだけの街だから、くたびれてきた時に突然ヴァイオリンの音が聞こえてくると、心が休まり疲れもとれる。なかなか上手いが、プロというほどでもない。音楽学校の学生だろうか。旅の途中で窓辺からもれるヴァイオリンの音を聞くと何かほっとする感じだ。


 細長い広場の中央に19世紀の詩人・辞書編纂者ニコロ・トマセオの立派な像がたっている。イタリア人には大切な人かも知れないが、我々には殆ど知られていない人だ。この広場はかなり広くて眺めもいい。アカデミア橋から広場に入ってすぐ左にサン・ヴィダル教会(上の写真)、奥にサント・ステファノ教会(下の写真の右側)がある。この近くに有名なオペラの殿堂ともいえるフェニーチェ劇場がある。だが、残念ながら、前の年の1996年に火事で焼失してしまった。当時の噂ではマフィアの仕業ではないかと取りざたされていた。実際は電気工事業者の放火と判明したのだが。劇場が焼けてしまったので、行くのを諦めた。


遠い夏に想いを-サント・ステファノ  サント・ステファノ広場のカッフェで昼食をとる。窓側のテーブルに座ってツナや卵のサンドイッチを食べる。暑いので私は余り飲めないビールを小さなグラスで、ノッコは細長いグラスに入ったアイスコーヒーを注文した。氷が7割、コーヒー(又は他の飲み物でも)が3割の日本と違って、氷が5分、コーヒーが9割5分のイタリア式アイスコーヒーは冷えていないし、甘ったるくて美味しくないとノッコはいう。


 後で知った事だが、これは日本式のアイスコーヒーとは作り方が違う。日本では氷の上にコーヒーを注ぎ、好みでシロップやクリームを入れる。イタリアのアイスコーヒーは、まずエスプレッソに甘味料を入れ、冷蔵庫で凍らせ保存する。これを必要な分だけ取り出してフラッペし、背の高いグラスにいれて出す。だから、最初からたっぷりの甘さがついている。氷にも味がついているし、フラッペにするので氷がどんどん解けてゆ。味は薄まらないのだが、ぬるくなるだけで冷たくない。夏の暑い日には冷たいものが欲しいのに。

遠い夏に想いを-accademia  アカデミア美術館に入る。ここの美術館は余り大きくないが、展示してある作品がすごい。祭壇画からルネッサンス絵画まで数は少ないが、ヴェネツィア派の絵画を選別して展示してある。ティントレット、ベリーニ、ティツアーノ、カルパッチオ、カナレットなど。


 ジョヴァンニ・ベリーニは展示室が2部屋もあり圧巻である。『小樹の聖母』など、彼の聖母子像は他にもある。ティントレットはイタリア・ルネッサンスでは最後期の画家である。美術館の各展示室を一通り見てまわって外に出る。ルネッサンスの絵画は美しいのだが、密度が高く、キリスト教徒でないので、見ていて疲れる。




遠い夏に想いを-accademia bridge  ここからアカデミア橋を渡る。アカデミア橋は、岩国の錦帯橋のように全て木製かと思って、橋の下の方をのぞいて見たら、厚い鉄の板で木の橋を支えていた。同じ木製の橋で歩行者専用の橋といえば、パリのポン・デザール橋がある。同じ方式だが、このアカデミア橋の方が遥かに素晴らしい。だが海の橋としては長持ちしないのでわないだろうか。カナル・グランデにはアカデミア橋、リアルト橋、駅の傍のスカルツィ橋と最近出来たコスティトゥィツョーネ橋という4つの橋があるが、この次にこの橋を造り直す時には鉄橋にしようという話があるらしい。



遠い夏に想いを-サルーテ教会  アカデミア美術館を後回しにして、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会に行く。大運河沿いに歩く。曲がり角一つ間違えても、とんでもない所へ出てしまうので、大運河の水面を建物の合間に確認しながら進む。


遠い夏に想いを-撮影中  サルーテ教会の先で映画の撮影をしている。ルネッサンス風の衣装をつけた女性がゴンドラに乗って、ゴンドリエも当時の衣装で櫓を漕いでいる。これを何度も繰り返す。周りには撮影機材が所狭しと散在している。その割には撮影スタッフの人数が少ない。CM作りなのかもしれない。


 いつまで見ていても仕方が無いので、サルーテ教会に戻る。この教会はカナル・グランデの出口の狭い三角地帯に建っており、ヴェネツィアで最も写真写りの良い建物になっている。建物は八角形でその上に丸いドームがのっている。この教会は外観的にかなり目立つ存在だ。しかし、相変わらずここを訪れる人は少ない。17世紀にペストがおさまって、その感謝の印として建てられたものらしい。完成したのは17世紀後半だ。


 ヨーロッパのぺストは5世紀頃に発生し、暫らく鳴りをひそめていたが、14世紀には爆発的に広まった。人口の半分近くが死亡したと伝えられている。17世紀になって、再びヨーロッパにペストが猛威をふるいだし、人口が激減した。ヴェネツィアでも人口の30%以上が死んだそうだ。ヨーロッパ各国の人口が比較的に少ないのはペストの影響だと思う。フランス、イギリス、イタリア、ドイツなどの面積は日本と余り変わらないが、人口は日本の半分位しかないからだ。


遠い夏に想いを-チャオ  外観とは打って変わって、教会の中は飾り気が余り無くガラーンとして、いかにも明るい丸いドームが広がる。ここでヴァイオリンを鳴らしたら、もの凄くいい音がするだろうな・・・と見上げてしまう。


 その昔、チャオとノッコの3人で訪れた時のことを思いだした。あの時も道を間違え間違え、やっとの思いでたどり着いた記憶がよみがえってくる。やはり訪れる人も殆どいなかった。たしか、この裏の場所でサン・ジョルジョ島を背にして元気なチャオの写真を撮った記憶があった。