アチュゲータ - 034 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

遠い夏に想いを-アチュゲータ  昨夜の失敗を繰り返さないよう、今夜の夕食は色々考えた。サン・マルコ寺院の裏手にカンポ・サンティ・フィリッポ・エ・ジァコモという小さな広場があり、そこに『アチュゲータ』という名のリストランテがある。店の体裁は悪い。結論を先に言うと、味は庶民的で素晴らしいし、値段も手ごろだ。少し早めに来たのだが、店は満員だった。


 偶然、テラスに席が空いた。店の中では、痩せてメガネをかけた黒服のおにーちゃんが飛び廻っている。どう見てもイタリア人というよりはイギリス人のようだが、このカメリエリ君、きれいなイタリア語を話す。こちらが日本人と見るや、流暢な日本語で注文を取りに来る。


 日本語のメニューも用意してあるが、手書きで粗末だ。英語のメニューと比べると料理の品数が少ない。またもや、メロンとプロシュットにパスタに魚。パスタも旨いが、魚の料理はこれまた旨い。白身の魚は調味料なしの白焼き、それも、炭焼きだ。それに少しの塩とレモンをたらして食べる。まさに活きのいい魚を焼いた風味がなんともいえない。


 メガネのほっそり君、説明は流暢な日本語で押し通す。イタリア語や英語でいろいろ聞いても、日本語で返事が返ってくる。日本語を喋るのが何とも楽しそうだ。こっちも英語やイタリア語を話すのを止めて、彼を応援することにし、日本語で話をした。
「どこで日本語覚えたの?」
「ここで」
「ここって、学校でも通ったの?」
「いえいえ、このリストランテでなんとなく」
明るく、朗らかな様子がなんともいい。忙しい中を、テキパキとテーブルを廻って、また戻ってきて会話がはずむ。笑顔を絶やさず喋るのがいい。


 これはもう、習うよりは慣れろの見本みたいなものだ。必要があるから日本語に関心を抱き、関心がるから覚えようとする。努力して上達すると面白くなる。そして、誰かしら日本人が現れ、それを試すチャンスが毎日ある。これは努力すれば何とかなるように聞こえるが、そうゆものではない。学校に通わなくとも、最低自分で勉強する日本語のテキストは必要だろう。


 先ず、語学の才能や感や記憶力と、更に応用する力が絶対必要だ。それに何よりも外国語での対人関係を克服する心構えが必要。特に日本人にはこれがひどく難しい。日本文化の影響かも知れない。だから、気持ちが「後ろ向き」ではなく、しかり「前を向いて」会話することが必要。それが無くては、学習循環はひたすら空回りするだけだ。


 40年前にアメリカに留学していたとき、近所にヴェネズェラからきた留学生の奥さんにアントニエッタという女性がいた。アメリカに来る前は英語のエの字も知らなかったらしいが、物凄いおしゃべりで、近くの語学学校に通って1年足らずで喋れるようになった。「おしゃべりな女性は最高のリングイスト」の見本みたいだった。語学に向きあうときは、常に前向きの気持ちが必要だ。決して、引っ込み思案にならないこと。