遠い夏に想いを -190ページ目

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 演奏会が終わってもまだ雨は止まない。歩く以外に乗り物が無い街だ。傘をもってこなかったので、プログラムを広げて頭に載せ、一目散に走る。会場の客はみな左の道を行った。この方が近道なのだが、来た道を戻る事にした。急がば回れだ。


 雨の夜はヴェネツィアの街も暗く、人通りも無く、店屋も閉まって、昼間の様相とは格段に異なる。どゆう訳か来た時と同じ間違いを犯してしまった。またもや迷子だ。雨は止まない。人は居ない。店屋も閉まっている。暗い。その時、後ろから2人の男が足早に私達を追い抜いて行く。2人とも片手に長いオールのようなものを抱えている。
「サンマルコ広場はどっちだい?」
イタリア語で私が怒鳴った。
「マッスグイテミギダ」
男達は振り向きもせず怒鳴り返した。雨の音が頭に載せたプログラムを打ち聞こえない。私は一瞬ぽかんとして意味が判らなかった。
「真っ直ぐ行って右よ」
ノッコが叫んだ。まるで日本語から日本語への通訳だ。そうか我々が日本人だと、ゴンドリエ達は後ろから来て判ったに違いない。


 ヴェネツィアでは客を相手に仕事をしている連中、例えば、ホテルのフロント、カフェやリストランテのカメリエリ、ゴンドリエ、等は日本語が判るし、日本人と判るとカタコトの日本語でどんどん話しかけてくる。


遠い夏に想いを-ギリシャ教会  さて、真っ直ぐ行き運河に出ると右に曲がる。左手遠くに昼間訪れたギリシャ正教の教会(サン・ジョルジョ・デイ・グレーチ教会)の塔が明かりに浮かんでいる。とんでもない所をうろうろして、かなりの距離を歩いて、演奏会に行くときと同じく、再びサン・ロレンツィオ(グレーチ運河)まで来てしまったらしい。これで位置関係は判った。これを真っ直ぐ行けば大運河に着く。手前で右に曲がりさらに歩くと、やっと見慣れた場所に出た。サンマルコ広場には人がいない。演奏はどこも中止だ。大変な一日だった。『ずぶ濡れの感動』の夕べとなった。

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 ヴェネツィアの寺院は丸天井で余り高くなく器楽演奏にはもってこいだ。各パートはどんどん出てきて、他のパートのために我慢などしないし邪魔もしない。凄く新鮮な感動を覚える。ヴィヴァルディの生きていた1700年前後は、ヴィルティオーゾ(名手)達が競いあってこのような演奏をしていたのではないか。


 当時は演奏家が互いに競い合うなどということはよくやっていたようだ。ヴェラチーニとタルティーニには有名な話がある。タルティーニがヴェラチーニと演奏を競うことになった。その前にヴェラチーニの演奏をこっそり聴いてタルティーニが逃げ帰ったという。



 彼らは床で足を踏み鳴らし、装飾音符を自由に操り、ソプラノの声のように激しく美しく歌う。現代のホッグウッドやらコープマンだのは糞くらえといいたげだ。これを聞いたら彼等のゲルマン式のヴィヴァルディなんて我慢がならなくなる。ノッコはすっかり感激してチェロの男(ダヴィデ・アメディオ)にサインを貰いに行くと言い出した。そこまではしなかったが、今でもサインを貰いに行けばよかったと残念がる。


遠い夏に想いを-CD  彼等のヴィヴァルディとタルティーニの演奏がCDで出ている。日本で売っていないだろうから、会場で販売していたCDを購入した。『ヴェネツィアのバロック音楽はこう解釈して、こう演奏するのだ』と主張しているようだ。


 演奏会が始まって直ぐに、教会の外でゴロゴロと雷の音が聞こえ始めた。教会の中ではヴィヴァルディが激しく美しく奏でられ、雷鳴を伴奏に天上まで聞こえよとばかりに響き渡っている。しかし、一向に雷は止む気配も無く、雨足は強くなるばかりで、教会の窓ガラスを打ち付ける。ヴィヴァルディの作品に「四季」を含む12曲のなかの1曲に「海の嵐」というヴァイオリン協奏曲があるが、まさにこの曲の第一楽章のように、雷を伴った雨が激しく荒れ狂う夜になってしまった。バロック音楽では管楽器が入らす、弦だけの合奏だが、ヴィヴァルディの真に迫った自然描写は凄い。

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遠い夏に想いを-日本プログラム  インテルプレーティ・ヴェネツィアーニなんて初めて聞く(2000年5月に初来日した)。どだいネーミングからして妙な名前だ。ところが、演奏が始まると実にダイナミックだ。


 インテルプレーティとは英語で「インタープリター」、即ち、「通訳」の意味だ。通訳はある言葉の意味を解釈して伝える仕事である。音楽では作曲家または楽譜を解釈して、演奏によって伝える人たちになる。余り音楽では使われないが「演奏家」という意味だ。演劇でも同じ意味で使われ、俳優や女優と同義語になる。


 だから、まさに名前の通り『ヴェネツィア音楽の演奏家』なのだ。1987に結成されたこの楽団の演奏はイギリスやオランダやドイツのゲルマン系統の古楽演奏とは全く異質だ。抑制されたところが微塵もなく、各人は自由奔放でいかにも個性的だ。まさに、新しい解釈で演奏するヴィルトゥオーゾの集団と言った感がある。特に、チェロの男は体を左右に激しくゆすってすばらしい演奏をする。教会の残響を旨く使っている。彼の名はダヴィデ・アマディオ、ヴィオラにソニア・アマディオという女性がいる。彼の奥さんか妹か定かでない。コントラバスもジャンニ・アマディオというから兄弟なのかもしれない。彼のチェロは小奇麗な音ではないが、荒々しく激しい響きを持っている。ノッコはすっかり気に入ってしまった。


 ここの教会はロンドンのセント・マーチン・イン・ザ・フィールズ教会よりも響きがいい。ゴシック式の教会は天井が高く、残響時間が長く、オルガンのようにかなり高い位置に楽器(パイプ)が配置されているのであれば、全体に音響がよくなるが、器楽演奏のように床面で演奏すると、残響が影響してどうしてもよくない。

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 まだ早いが、帰り道の途中のリストランテで夕食をとる。かなり広い店でテラスがあり、まだ客は2組しかいない。北欧の若い男の子が4人、入るか入らないか迷っている。結局、隣の席に陣取ったが、ウエイターの対応が悪い。メニューを持って来たまま、何時まで待っても全く注文を取りにこない。4人は痺れを切らして立ち去ってしまった。残念ながら、食事は記憶に残るほど美味しくなかった。時間が早いので、一度ホテルに戻る事にする。


遠い夏に想いを-オーケストラ  戻る途中に、ガラス細工屋があった。小さなオーケストラの演奏者をガラスで作る。ノッコが前から欲しがっていたものだ。店に入ると、イタリア人にしては大柄な男が出てきた。愛想はすこぶる良い。話によると、この店の工房で作っているとのこと。なにやら写真帖みたいなものを拡げて指し示す。
「この女性、知っているかね」

「ああ、知ってるよ」
そこには、日本で有名なピアニストが写っている。そして、彼女の本名(H.Fukuda)で差し出された簡単な手紙を見せてくれた。手紙には製品の出来具合を褒めている。そんなこんなでオーケストラの楽士一式を買うことになった。


遠い夏に想いを-フォルモーサ教会  さて、音楽会だ。会場の教会は既に場所を確認していたから、急ぐことはなかったが、時間があるので早目に出かけることにした。ところがどう勘違いしたのか、迷子になってしまった。歩けば歩くほど遠のいているみたいだ。夕暮れの景色が昼間のとは異なっているせいだろうか。リオ・デイ・サン・ロレンツオ運河に出てしまった。全く反対だ。地図を見ると西へ戻ればいいのだが、直線道路はないから、一度か二度角を曲がると判らなくなる。そのうち、土地感も無いのに、勘に頼ろうとして罠にはまる。


遠い夏に想いを-Don't look now  ダフネ・デュ・モ-リアというミステリー・ロマンを得意とする英国の作家がいた。私の大好きな作家の一人だが、彼女の代表作の「レベッカ」はローレンス・オリビエとジョン・フォンテーンで映画化されたので、年配の人は知っているかもしれない。そんな彼女に『Don't Look Now』(『赤い影』とい題名で映画化された)という短編小説がある。娘を亡くして、夫婦でヴェネツィアにやってくるのだが、その中で、一度歩いた道なのに、夜にはどうしても迷子になり、同じところをぐるぐると回って歩く話がある。ヴェネツィアでは一度歩き出したら、間違っていても、先へ先へと進んでしまう衝動に駆られる。益々分らなくなる。この時は行きも帰りもこの小説のごとく訳が分らなくなってしまった。


 とにかく、教会には2倍以上の時間をかけて、開演10分前に着いた。まだ、80%くらいの入りである。後ろから3列目くらいにやっと座れた。開演頃には補助席がどんどん出されて超満員になった。今日の曲目はヴィヴァルディが中心で最後はバッハのコンチェルトで終わる。

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 演奏会の会場を確認し、安心して外へ出る。広場の西端にカフェがある。客は誰も居ない。体格のいいおやじがカウンターで所在なさそうにしている。テラスというにはお粗末で、白い椅子とテーブルが数脚乱雑に置かれているだけだ。空模様が幾分よくなり、ところどころ薄日が差してくる。サンドイッチとカプチーノ。少々不味い昼食だが、しゃにむに胃袋に押し込んだ。


遠い夏に想いを-リアルト03  リアルト界隈に出た。ヴェネツィアの干潟のなかでもこのリアルト地区は土地の高いところで、地盤がよく、昔から繁栄した場所だったらしい。橋の上には小さな店屋が軒を連ねる。フィレンツェのポンテ・ヴェッキオみたいだ。うんと昔はパリでもロンドンでも橋の上に民家があるのは普通だったようだ。



遠い夏に想いを-市場


 魚や野菜の市場にも行ってみる。もう朝の市場が終わろうとしていた。橋のたもとにきて、ノッコが振り返った。






遠い夏に想いを-ガラス
「あそこの小さな屋台覚えている?」
「ええ?」
「あそこで、昔、エンジェルフィッシュのガラスの置物を買ったわ。まだ家の飾り棚にあるでしょう」
「親の代から引き継いだのかな。パリのセーヌの川岸の屋台みたいに」




遠い夏に想いを-橋の  リアルト橋を戻り広場に出る。正面にカフェが有り、アイスクリームを食べに入る。ここでカメラを床に落としてしまった。蓋が開き、直ぐ閉じたのだが、シャッターの巻き上げなど肝心なところが作動しない。旅行が始まったばかりで、カメラが駄目になると大変だ。とにかくデジタルカメラのない時代だから、フィルムが巻き取れないと大変だ。カメラ屋をさがして使い捨てのカメラ(コダックのがあった)を買う。


 それよりもホテルに戻って、フィルムを入れ替えないと。ホテルに戻る途中、通りの奥に小さな楽譜店をノッコが発見した。例によって3時30分までは『昼寝の時間』で閉まっている。時間はあるので、一度、ホテルに帰って黒い小さなバッグにカメラと手を突っ込んで手動でフィルムを巻きもどす。新しいフィルムを入れ換えると作動し始めた。蓋が開いたので、リアルト方面で撮ったフィルムが駄目になっているかもしれない。


 もう一度、リアルト方面に写真だけを撮りに戻る。露天でスイカの切り売りをしている。買ってほおばる。余り冷えていないが、暑いので美味しい。帰りには楽譜店が開いていた。リコルディ版のヴィヴァルディの楽譜を買う。リコルディ版の楽譜は正確で間違いのないことで有名で、その昔、名指揮者トスカニーニがオーケストラの練習中にリコルディのパート譜に間違いを発見し「ブラボー、リコルディに間違いがあったぞ」と叫んだという逸話が残っている。しかし楽譜の総数では東京のヤマハの方が遥かに多いのだが、バロックの楽譜が豊富なのと、小さな店でCDも扱っているので結構役に立ちそうな店だ。

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