ヴェネツィアの寺院は丸天井で余り高くなく器楽演奏にはもってこいだ。各パートはどんどん出てきて、他のパートのために我慢などしないし邪魔もしない。凄く新鮮な感動を覚える。ヴィヴァルディの生きていた1700年前後は、ヴィルティオーゾ(名手)達が競いあってこのような演奏をしていたのではないか。
当時は演奏家が互いに競い合うなどということはよくやっていたようだ。ヴェラチーニとタルティーニには有名な話がある。タルティーニがヴェラチーニと演奏を競うことになった。その前にヴェラチーニの演奏をこっそり聴いてタルティーニが逃げ帰ったという。
彼らは床で足を踏み鳴らし、装飾音符を自由に操り、ソプラノの声のように激しく美しく歌う。現代のホッグウッドやらコープマンだのは糞くらえといいたげだ。これを聞いたら彼等のゲルマン式のヴィヴァルディなんて我慢がならなくなる。ノッコはすっかり感激してチェロの男(ダヴィデ・アメディオ)にサインを貰いに行くと言い出した。そこまではしなかったが、今でもサインを貰いに行けばよかったと残念がる。
彼等のヴィヴァルディとタルティーニの演奏がCDで出ている。日本で売っていないだろうから、会場で販売していたCDを購入した。『ヴェネツィアのバロック音楽はこう解釈して、こう演奏するのだ』と主張しているようだ。
演奏会が始まって直ぐに、教会の外でゴロゴロと雷の音が聞こえ始めた。教会の中ではヴィヴァルディが激しく美しく奏でられ、雷鳴を伴奏に天上まで聞こえよとばかりに響き渡っている。しかし、一向に雷は止む気配も無く、雨足は強くなるばかりで、教会の窓ガラスを打ち付ける。ヴィヴァルディの作品に「四季」を含む12曲のなかの1曲に「海の嵐」というヴァイオリン協奏曲があるが、まさにこの曲の第一楽章のように、雷を伴った雨が激しく荒れ狂う夜になってしまった。バロック音楽では管楽器が入らす、弦だけの合奏だが、ヴィヴァルディの真に迫った自然描写は凄い。
ミネソタの遠い日々
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