イタリア語?日本語? - 045 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 演奏会が終わってもまだ雨は止まない。歩く以外に乗り物が無い街だ。傘をもってこなかったので、プログラムを広げて頭に載せ、一目散に走る。会場の客はみな左の道を行った。この方が近道なのだが、来た道を戻る事にした。急がば回れだ。


 雨の夜はヴェネツィアの街も暗く、人通りも無く、店屋も閉まって、昼間の様相とは格段に異なる。どゆう訳か来た時と同じ間違いを犯してしまった。またもや迷子だ。雨は止まない。人は居ない。店屋も閉まっている。暗い。その時、後ろから2人の男が足早に私達を追い抜いて行く。2人とも片手に長いオールのようなものを抱えている。
「サンマルコ広場はどっちだい?」
イタリア語で私が怒鳴った。
「マッスグイテミギダ」
男達は振り向きもせず怒鳴り返した。雨の音が頭に載せたプログラムを打ち聞こえない。私は一瞬ぽかんとして意味が判らなかった。
「真っ直ぐ行って右よ」
ノッコが叫んだ。まるで日本語から日本語への通訳だ。そうか我々が日本人だと、ゴンドリエ達は後ろから来て判ったに違いない。


 ヴェネツィアでは客を相手に仕事をしている連中、例えば、ホテルのフロント、カフェやリストランテのカメリエリ、ゴンドリエ、等は日本語が判るし、日本人と判るとカタコトの日本語でどんどん話しかけてくる。


遠い夏に想いを-ギリシャ教会  さて、真っ直ぐ行き運河に出ると右に曲がる。左手遠くに昼間訪れたギリシャ正教の教会(サン・ジョルジョ・デイ・グレーチ教会)の塔が明かりに浮かんでいる。とんでもない所をうろうろして、かなりの距離を歩いて、演奏会に行くときと同じく、再びサン・ロレンツィオ(グレーチ運河)まで来てしまったらしい。これで位置関係は判った。これを真っ直ぐ行けば大運河に着く。手前で右に曲がりさらに歩くと、やっと見慣れた場所に出た。サンマルコ広場には人がいない。演奏はどこも中止だ。大変な一日だった。『ずぶ濡れの感動』の夕べとなった。

 ミネソタの遠い日々 - New (シカゴへの旅を追加) -
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