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遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 音楽会が終ったのは、9時頃だったろうか。夕食を取ってないことに気がついたが、何処で食べたらいいのか見当がつかない。そのままホテルに帰ることにした。


遠い夏に想いを-french  ホテルのレストランはデザインは新しいが、客が誰も居らず、何か料理は不味そうである。ホテルの前のランガム通りとティッチフィールド通りの交差点はレストランで賑わっている。別に高級レストランではないが、気楽に入って、1皿2皿と食べたいだけ食べられる気安い感じがいい。ホテルの並びの角には無国籍に近いフランス料理店。このフランス料理店には昼食に入ったが、何を食べたのか思い出せないくらい特徴がなかった。だだの安レストラン。


遠い夏に想いを-pub  その向いは英国のパブ。パブは落ちつくのだが、酒の弱い私には、チャールズみたいに気軽に入れない。しかし、この店は一度入ってみる価値がありそうである。




 その向いの南角には、大きな声で客の呼び込みをしている太った大将がいるイタリア料理「セルジョの店」。ここでも一度食べて見ようと思うが、いつも満席で、まだ入っていない。


遠い夏に想いを-italian  その隣のティッチフィールド通り沿いのイタリア料理店「モンテ・ベルラ」で夕食をとった。料理の味はロンドンでもこんなに美味しいイタリア家庭料理が食べられるのかというほどだ。



 この夜は遅く入ったので、夜の10時の閉店までいた。客もいなくなり、年配の主人が我々のテーブルに座って、いろいろ話してくれた。おやじさんは痩せ気味でイタリア人らしくなくすらりと長身である。彼の英語はイタリア語のアクセントが強い。
「出身はイタリアなの?」
「そうだよ、イタリアの中部からね」
「ロンドンは長いの?」
「そうだよ、故郷には時々帰るけどね」
料理は故郷の味をいまでも守っているらしい。

「25年前にも、私たちはロンドンに来たことがある。あの時はドーヴァー海峡を船でフランスへ渡ったのだが、船内はイタリア人とギリシャ人が大勢いたよ」

「そう、あの頃はイタリア南部から仕事を求めてやってきた人達が多かったからね」

「おやおや、長居してしまったよ。もう10時をとっくに廻って、閉店時間を過ぎたようだ。でも今夜の料理は飛び切り美味しかったよ」

そう言って、店を出た。


 そう言えば、72年にもロンドンを訪れているのだが、あの頃はイタリア人とギリシャ人がやたらと多かった記憶がある。


 とにかく、料理は美味しかった。ロンドンでイタリアの家庭料理を食べられるんだから最高。


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遠い夏に想いを-演奏会  教会の中に入ると、思ったより広く、天井も高い堂内なので驚きである。開演時間が近づくと、いつの間にか席は満席になる。我々の席は2階のボックス席である。と言っても、教会だからオペラ劇場のようにはいかない。演奏者は床の上で弾くから、1階の席では床が平らなので立っている指揮者とコントラバス奏者くらいしか見えない。2階の席も前に座れば、演奏者全員が見えるのだが、後側の座席からは殆ど演奏者の姿は見えない。まるで、東京の紀尾井ホールの2階の後部座席みたいに音は聞こえるが姿は見えずになる。


 今日の曲目は、バッハの「ブランデンブルグ協奏曲5番」を皮切りに、モーツアルトの「フルートとハープのための協奏曲」、そしてモーツアルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、あとはバッハで「組曲3番からアリア」と、しめくくりは「ブランデンブルグ協奏曲2番」だった。


 「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」は名曲に違いないが、夏の観光地での演奏会では必ずプログラムにのる。この曲には失われた楽章があって、最初は5楽章だったが、いま演奏されるのは4楽章だけだ。



遠い夏に想いを-mozart letters  モーツアルトの「フルートとハープのための協奏曲」はパリで書かれた。モーツアルトは母のマリアと2人で職を求めてパリへ行く。マリアが国にいる父のレオポルドに送った手紙によると、最初はフルート協奏曲とハープ協奏曲の2曲を作る予定だったらしい。これはパリのギース公爵が注文したもので、ギース公はフルートの名手だったらしく、彼の娘はハープが大変に上手だった。モーツアルトはお嬢さんに作曲法を教えていたのだが、200曲を暗譜できるほどの記憶力はあるのだが、作曲については創造力が乏しく、手に負えないとモーツアルトはぼやいている。父のギース公は娘が交響曲とか協奏曲を作曲できるよにと期待していた訳でなく、父と娘で合奏ができるようなソナタでも作って欲しかったらしい。そんな事でこの曲はフルートとハープのための協奏曲になったのだろう。


 パリ滞在は大失敗に終わる。この後、母が病気を患い亡くなる。モーツアルトの心の内を思いやると、こちらの心も痛む。帰りには、愛しのアロイージアにも振られれ、傷心の気持ちでの帰国となる。パリ旅行では名曲もたくさん生まれている。パリ・スタイルで書かれたパリ交響曲、トルコ行進曲つきピアノソナタなど数知れない。


 フルート四重奏の4曲はパリ旅行の際に作られた。ノッコがチェロを弾くので、私も仲間と四重奏を演奏して楽しんだことがある。何とも楽しい室内楽曲である。「フルートとハープのための協奏曲」には心が癒される。ハープが軽快にリズムをとっていく。明るく、大変に美しい曲である。


 演奏はまあまあというところだが、2階で聞いている限り、会場の音の響きがよくない。音が全部そのまま塔の上部に吸い込まれて行く。教会なのに何も聞こえてこないのだ。高い所に設置してあるオルガンなどはいきなり天井に反響してくるだろうが、下で弾いているとそうゆうわけに行かない。イタリアの教会のようにドームが低く丸屋根の室内で演奏するのとは訳が違う。


遠い夏に想いを-feinstein  夏の教会で催す音楽会としてはありきたりな曲目だが結構楽しい。演奏はロンドン・ファインスタイン・アンサンブルという楽団で、フルート奏者のマーチン・ファインスタインがフルートの独奏もし、指揮もする1986年創設のアンサンブルだ。レコーディングもNaxosなどから出ている。


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遠い夏に想いを-st.martin  ナショナル・ギャラリーを出て左に歩き、セントマーチン・イン・ザ・フィールズ教会の角まで来たら、小さな張り紙が出ている。今晩音楽会があるらしい。地下の切符売場に行ってみると、モーツアルトとバッハを中心としたプログラムの演奏会と判った。








遠い夏に想いを-program  今晩と来週の木曜日にもあって、木曜日はバロック中心の曲目だ。演奏メンバーが違うのと、入場料が余り高くないので、2日分の切符を購入した。時間があるので、ホテルへ戻ってシャワーを浴び、着替えをして出直すことにした。


 7時半開演だが、6時45分頃教会についてしまった。少し早すぎたが、結構人が集まっていた。


 セントマーチン・イン・ザ・フィールズ教会は1726年に完成され、様式的は色々なスタイルが混ざった不思議な教会だ。パリのマドレーヌ教会のようにバシリカ式の建物だが、不思議な尖塔が聳えている。


 セントマーチン・イン・ザ・フィールズ教会というと、アカデミー・オブ・セントマーチン・イン・ザ・フィールズという長い名前のオーケストラがある。あの「アマデウス」で音楽監督をしたネヴィル・マリナーが1959年に創立したオーケストラである。バロックなどの小編成の管弦楽曲が中心であった。


 マリナーはフィルハーモニアとの競演も多い。フィルハーモニア管弦楽団は遥かに大きな楽団で欧州各国の名指揮者、トマス・ビーチャム、フルトヴェングラー、クレンペラー、カラヤン、更にトスカニーニやカンテッリなどが名を連ねている。マリナーは日本にもやって来てN響と競演することもしばしはである。


 どうゆう訳か(昔、私はミネソタ大学に留学していたので、大いに関心がある)、マリナーは、一時、ミネソタオーケストラの常任指揮者になったが、不評で人気が今一つだった。どうもオーケストラの質を上げようという意欲に欠けていたらしい。


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遠い夏に想いを-hotel  ホテルはランガムコート。オックスフォード・サーカスからポートランド・プレイス通りを北に5~6分歩いた場所にある。外観はピンクと濃茶色のツートンカラーで、大きくはないが、外観はかなりキゾチックな感じのホテルだ。何かアルジェリアあたりに迷い込んだ雰囲気がある。


 今日の午後は市内を廻る。ナショナル・ギャラリーに行ってみようと思う。ロンドンに3度来ているが、一度も入ったことが無いのが美術館だった。72年のときはチャオが一緒だったので諦めたし、90年の旅では時間に余裕がなくてこれも駄目だった。


遠い夏に想いを-national gallery  キングズ・クロスまで地下鉄で行って、トラファルガー広場に出る。相変わらず人が多い。トラファルガー広場は余り好きな場所ではないが、1838年に完成したナショナル・ギャラリーの建物は大変に魅力的だ。男性的な列柱が並ぶ正面玄関に比べ、女性的な感じのドームのアンバランスはいかにもイギリス的である。正面入り口から入る。英国で最も有名な美術館である。


遠い夏に想いを-plan  ギャラリー・プランを見ると、ルーブルほどではないが、とてつもなく広い。左翼はジオットからヴェロネーゼまでのイタリア絵画、奥と右翼はフランス、オランダ、イギリスの絵画が展示されている。イタリア絵画は名品が多そうなのだが、これは諦めて、全部は見切れないので、一番右端のサックラー・ルーム(34号室)というイギリス絵画の展示室に行く。イギリス絵画はロンドンのテート美術館の方が遥かに多いのだが、ここにはレイノルズ、ゲインズボロー、ターナー、コンスタブルなどの見ごたえのある名画ばかりである。更に、玄関へ戻りながら、フランスの印象主義の絵画を見て廻る(46室まで、緑の部屋)。セザンヌ、モネ、ルノワール、シスレ-、ゴッホ、ドガ、ピサロなどの素晴らしい絵がある。

 空港の喫茶店でチャールズとお茶を飲んでから、地下の鉄道駅に降りて行った。30分ごとに1本づつロンドンまで列車が走っている。切符を買った。チャールズが余り高いので驚いている。まあ、新しい線だから仕方ないだろう。列車が発つまで少し時間があるので、ホームでチャールズと別れた。


 もうチャールズとは会えないかもしれない。これからも、我々は多分ヨーロッパに来ることはあるだろうが、イギリスに来るかどうか判らない。チャールズの両親が亡くなり、チャールズ自身もバックハースト・ヒルからクレアに引っ越して、23年前のバックハースト・ヒルの記憶とのつながりはチャールズ自身しか無くなった。


遠い夏に想いを-charles  だが、暫らくしてチャールズはクレアの家を売り払って、バックハースト・ヒルに戻ってきた。昔の家よりも遠いらしいが、どんな家かは分らない。もう会えないだろうと思っていたチャールズが東京にやって来た。10日ぐらい東京に滞在して帰ったが、多分これが最後だと思う。この「遠い夏に想いを」を書き出したのも、彼が98年に東京を訪れたことがきっかけだった。メールでもう一度東京に来たいといっているが、多分無理だろう。1957年頃チャールズが日本にやって来て、10年以上東京に住んでいた。その間面白い逸話がたくさんあるけれど、それ以来50年以上の付き合いだ。(写真は我が家で談笑するチャールズ)


 時間が早いから、列車は空いていた。「スタンステッド・スカイトレイン」と呼ばれる空港快速線だから、途中停車する駅はビショップス・ストートフォードとトッテナム・ハーレーの2ヶ所だけ。終着駅はロンドンのリバプール・ストリート駅で、所用時間は41分であった。


遠い夏に想いを-station  リバプール・ストリート駅に降りたのは初めてだ。ここには地下鉄のセントラル・ラインも通っており、チャールズの家のあったバックハースト・ヒルへの行き帰りなどでよく通った駅である。ガラス天井になった明るく感じのよい古風な駅で、昔のヨーロッパにはよくある駅舎である。屋根の形状は違うが、オルセー駅に感じが似ている。今日は土曜日の昼下がりのせいか、利用客が構内に多く、かなり騒音が大きい。「ロンドンに来たな」という感慨がわいてくる。




 ホテルに行くには、セントラル・ラインに乗り換えてオックスフォード・サーカスで降りればよいのだが、今日は荷物がありので、リバプール・ストリート駅からタクシーで行くことにする。