教会での音楽会 - 026 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

遠い夏に想いを-演奏会  教会の中に入ると、思ったより広く、天井も高い堂内なので驚きである。開演時間が近づくと、いつの間にか席は満席になる。我々の席は2階のボックス席である。と言っても、教会だからオペラ劇場のようにはいかない。演奏者は床の上で弾くから、1階の席では床が平らなので立っている指揮者とコントラバス奏者くらいしか見えない。2階の席も前に座れば、演奏者全員が見えるのだが、後側の座席からは殆ど演奏者の姿は見えない。まるで、東京の紀尾井ホールの2階の後部座席みたいに音は聞こえるが姿は見えずになる。


 今日の曲目は、バッハの「ブランデンブルグ協奏曲5番」を皮切りに、モーツアルトの「フルートとハープのための協奏曲」、そしてモーツアルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、あとはバッハで「組曲3番からアリア」と、しめくくりは「ブランデンブルグ協奏曲2番」だった。


 「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」は名曲に違いないが、夏の観光地での演奏会では必ずプログラムにのる。この曲には失われた楽章があって、最初は5楽章だったが、いま演奏されるのは4楽章だけだ。



遠い夏に想いを-mozart letters  モーツアルトの「フルートとハープのための協奏曲」はパリで書かれた。モーツアルトは母のマリアと2人で職を求めてパリへ行く。マリアが国にいる父のレオポルドに送った手紙によると、最初はフルート協奏曲とハープ協奏曲の2曲を作る予定だったらしい。これはパリのギース公爵が注文したもので、ギース公はフルートの名手だったらしく、彼の娘はハープが大変に上手だった。モーツアルトはお嬢さんに作曲法を教えていたのだが、200曲を暗譜できるほどの記憶力はあるのだが、作曲については創造力が乏しく、手に負えないとモーツアルトはぼやいている。父のギース公は娘が交響曲とか協奏曲を作曲できるよにと期待していた訳でなく、父と娘で合奏ができるようなソナタでも作って欲しかったらしい。そんな事でこの曲はフルートとハープのための協奏曲になったのだろう。


 パリ滞在は大失敗に終わる。この後、母が病気を患い亡くなる。モーツアルトの心の内を思いやると、こちらの心も痛む。帰りには、愛しのアロイージアにも振られれ、傷心の気持ちでの帰国となる。パリ旅行では名曲もたくさん生まれている。パリ・スタイルで書かれたパリ交響曲、トルコ行進曲つきピアノソナタなど数知れない。


 フルート四重奏の4曲はパリ旅行の際に作られた。ノッコがチェロを弾くので、私も仲間と四重奏を演奏して楽しんだことがある。何とも楽しい室内楽曲である。「フルートとハープのための協奏曲」には心が癒される。ハープが軽快にリズムをとっていく。明るく、大変に美しい曲である。


 演奏はまあまあというところだが、2階で聞いている限り、会場の音の響きがよくない。音が全部そのまま塔の上部に吸い込まれて行く。教会なのに何も聞こえてこないのだ。高い所に設置してあるオルガンなどはいきなり天井に反響してくるだろうが、下で弾いているとそうゆうわけに行かない。イタリアの教会のようにドームが低く丸屋根の室内で演奏するのとは訳が違う。


遠い夏に想いを-feinstein  夏の教会で催す音楽会としてはありきたりな曲目だが結構楽しい。演奏はロンドン・ファインスタイン・アンサンブルという楽団で、フルート奏者のマーチン・ファインスタインがフルートの独奏もし、指揮もする1986年創設のアンサンブルだ。レコーディングもNaxosなどから出ている。


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