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遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

遠い夏に想いを-pizza express  昼食をとりに町まで行く。船着き場を上流に向かって、川沿いに歩くと、瓦葺きの屋根に、2階部分が白塗りで1階部分が黒塗りの、地方の作り酒屋の和風建築のようなイタリアン・レストランがあった。ピッツア・エクスプレスだ。ここでパスタランチを食べた。2階の窓側に座ってスパゲッティを食べながらテムズの景色を眺める。ここの店はかって立ち寄ったロンドンの大英博物館の近くにあるピッツア・エクスプレス(ここをクリック ) と違って、同じ系列の店なのだが、パスタを主に出している。ピッツア・エクスプレスにも店によって、ピッツア系とイタリアン・パスタ系があるらしい。ここから眺めるテムズの景色は人工的なところがなく、自然なところがいい。同じ眺めるにしても和泉多摩川の川岸に座って眺める景色とは余りにも違う。


遠い夏に想いを-alfred  キングストンはAD900年から1016年(最後に戴冠式がおこなわれたのは979年のエセルレッド王)までサクソンの7人の王が戴冠式を行ったところで、キングストンは英国王室の特別区になっている。





遠い夏に想いを-coronation  近くのギルドホールの近くに行くと、屋外に当時の戴冠式礎石が7本の柱に囲まれて保存されている。最初にここで戴冠式をおこなったのはエドヴァルド長兄王で、英国を統一したアルフレド大王の長男である。彼はアルフレド大王がやり残した領土の安定と制度の整備などを行ったサクソンの名王だった。この時代はヴァイキングによる略奪や、デーン人の侵略・駐屯が相次ぎ、イギリスにとっては異民族との戦いで大変な時期であった。現在の英王室の祖先であるウィリアム征服王が1066年にフランスから侵入してノルマン王朝を起こす以前のイギリスのサクソン王たちだ。


 「ボートの三人男」流に言えば、キニンゲストゥンとなるキングストンだが、ローマ時代にはシーザーの軍隊がここでテムズを渡ったらしい。


遠い夏に想いを-old bridge01  クラッターン・ブリッジという橋がこの町のテムズの支流に架かっている。その起原は12世紀に溯り、テムズではロンドンで一番古い橋だそうだ。


遠い夏に想いを-old bridge02











遠い夏に想いを-station  ここから町を抜けて駅まで歩いた。「ボートの三人男」には「南西鉄道」でロンドンからやってきて、キングストンで降り、テムズに出てボートに乗ったとある。だが今は、キングストン駅は国鉄の駅だ。



遠い夏に想いを-market house  1840年代に作られたマーケットハウスは洒落たイタリアンスタイルの建物でギルドホールとして使われていたらしい。キングストンの街は今ではロンドンの郊外で、商業施設が新しく建てられている。次は汽車に乗ってリッチモンドに行く。


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遠い夏に想いを-HC橋  橋を渡って戻ると、橋の袂に小さな船着き場がある。コンクリートの護岸のような作りだが、階段を降りて行くと短いプラットフォームのような場所に出る。待っているのは我々と年配の女性2人と尼さん風の女性だけ。行き先に違いがあるのだろうか、船が着いても誰も乗らない。


 暫くして、我々が乗る船が着いた。出発時刻になったが、我々以外客はだれも乗らない。キングストン行きの船は出ていった。「貸し切り」でテムズ川を船旅することになった。


遠い夏に想いを-船上  薄曇りとはいえ、時々、顔を出す太陽の強い日差しを避けるために、船べりから離れてキャンバスで覆われた席に移動する。小さな船だし、「貸し切り」状態なので、何処に座ろうとも「貸し切り」なのだ。



遠い夏に想いを-C.レン  17世紀の名建築家クリストファー・レンが造ったハンプトンコートのゴシック宮殿がテムズからのぞめる。ハンプトン・コートは実に煙突の多い宮殿だ(下のパステル画)。チューダー朝の飾りとしての役割もあるから、ただの煙突ではないのだろう。しばらく、ハンプトン・コートの川岸に沿って船はテムズを下って行く。


遠い夏に想いを-パステル


遠い夏に想いを-水彩02


遠い夏に想いを-水彩01

 すれ違う船もロングボートや豪華な観光船だったり、セールを上げたヨットだったりと、見ていて大変に楽しい(上の水彩画)。


 この辺りでも、テムズ川は川幅が150メートル以上ある。下流に下って行くのだが、所々川幅がせばまって、行き交う船がすぐ近くまで寄ってくる。最近は日本でも建設省が、英国の真似をして、護岸をコンクリートで固めることは少なくなった。テムズ川は桟橋以外の岸辺は自然な景観を保っている。川沿いに、昔、馬で船を引いた後が遊歩道として残っていたり、ボートハウスや綺麗な庭をもった民家が点在し(上の水彩画)、川岸にあるレストランなどのテラスでお茶を飲んでいるご婦人方を眺めているだけで飽きることが無い。


遠い夏に想いを-Kingston  午後の川風が心地よく吹き抜ける船旅は快適だった。途中で誰も乗ってこなかったので、「貸し切り」のままこの船は終着であるキングストン・アポン・テムズの町に着いた。10キロほどの短い船旅だったが、素晴らしい思い出になった。キングストンで老婆2人が船に乗ってきた。今度は彼女達の「貸し切り」船になった。


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遠い夏に想いを-ウルジー  この城は1514年に大法官で枢機卿のウルジー卿が自宅を改造したのが始まりである。


 ロンドン塔が王様の居住としては手狭になっていた。1524年にヘンリー八世にハンプトン・コートを取り上げられる(名目上はウルジーが身の安全をはかるために進呈したことになっている)まで、王は10年間しかロンドン塔に住んでいない。



遠い夏に想いを-時計塔  2人目の王妃だったアン・ブ-リンが処刑されたロンドン塔の緑豊かなタワー・グリーンが思い出される。しかし、彼女はエリザベス1世の母でもあった。












遠い夏に想いを-ブーリンの門  例の悪名高い離婚騒動が起き、法王に顔のきくウルジーをヘンリー八世がローマに送る。いろいろな関係者の賭け引きもあって、上手く行かない。全ての地位を剥奪されてウルジーは死んでしまう。まるで、ヘンリー八世は織田信長みたいな男であった。

 ヘンリー八世はあくまでも離婚に執念を燃やしている。ローマ・カトリックと縁を切り、英国国教会を起こして、その長になってまで頑張るヘンリー八世。6人のお后を娶って4人処刑した。首を切ったのはロンドン塔なのだが、その亡霊が今でも現れるというこの城のホーンテッド・ギャラリー。


遠い夏に想いを-大ホール  ヘンリー八世が作らせた大ホールと台所はチューダー朝のものだが、その後の宮殿の改築や増設などでチューダー朝様式の建築物は少ない。


 ただし、イギリスの亡霊は日本の幽霊のように人を懲らしめたりしない。日本の宗教の根源には先祖崇拝があり、「怨念」がるから、死んだ人の「たたり」を気にする。キリスト教では人を苦しめるのは幽霊ではなく悪魔だ。だた、ここでは夜な夜な幽霊が姿を現すらしい。


遠い夏に想いを-ギャラリー庭

 チューダー・テニスコートという室内のコートがある。これはヘンリー八世が作らせたコートらしい。テニスの起源はイギリスなのかフランスなのか判らない。我々は英語でカウントをとっている。一つ判らないのが、ゼロをラブということだ。少し調べてみる必要がありそうだ。だだ、16世紀でもテニスをしていたのだろうか。ここのテニスコートで行われていたものは、現代のテニスとは違うらしい。

遠い夏に想いを-庭園  庭にでる。庭はフランスやイタリアの様式とは少し異なる。松がキノコ状にトリミングされてびっしり植えられている。正面に真っ直ぐ運河のように大きな池が横たわっている。王政復古をしたチャールス2世が17世紀後半にヴェルサイユのレイアウトを模して改築したものだ。


遠い夏に想いを-大池  この庭の敷地は広大である。ルイ十四世の国家財政を傾けたヴェルサイユの建築と造園がヨーロッパの国々に与えた影響は計り知れない。各国の君主が造園や建築に大なり小なりヴェルサイユの真似をしている。いかに革新的な庭作りであったかが判る。





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 ウオタールー駅は大きな蒲鉾型のガラス屋根をもった昔懐かしい駅だ。東京では上野駅が一部にその片鱗を残すのみで、ヨーロッパ・スタイルの駅は姿を消した。これは日本の全てが効率一点張りのスクラップ・アンド・ビイルドで、いまだに文化的断絶の時代が続いている証拠であろ。


遠い夏に想いを-ハンプトン駅  ウオタールー駅からは、汽車というよりも、郊外電車に乗る感じなのだが、日曜日なのか大変に空いている。30~40分の短い乗車時間。ロンドンから20キロくらい。新宿から江ノ島に行くより近い。途中、下町工場の跡地のようなところを通り、やがて緑豊かなサリ-州を電車は進む。と言っても、ハンプトン・コートはロンドンから近く、ヒースロ-空港にいくよりも近い。小さくてかわいい駅に到着した。



遠い夏に想いを-モルシー・ロック  終点のハンプトン・コート駅からハンプトン・コート宮殿へ行くにはテムズ川を渡らなければならない。駅を出て、少し行くと橋がある。ハンプトン・コート橋の上からの眺めは素晴らしい。川の水はゆったりと流れ、上流には堰(ロック)が一段と高いところから水しぶきを上げている。テムズ川の源流はオックスフォードの先にあり、さほど長い川ではないが、ロックが44もあり、管理人がいて水門の開閉を管理している。ここのロックはモゥルシー・ロックといい、川にはボートが順番待ちをして、長い列をつくっている。「ボートの三人男」では、いつも順番待ちの船で賑わっているのだが、この時はどういう訳か1隻も船がいないと不思議がっている。



遠い夏に想いを-バーとパン屋  橋のそばにはヴィクトリア風の2階建ての白い角間の建物があって、川岸が洒落たテラスになっている。ここはバーとパン屋らしい。


 橋を渡って対岸のハンプトン・コートに出る。この橋は1778年にできた橋が起源だそうだから、城ができた頃には橋はなかったのだろうか。英国映画「わが命つきるとも」(1966年製作のヘンリー八世との葛藤を描いた作品)を見ると、主人公のトマス・モアが小船に乗って城を訪れる夜のシーンがあるが、橋らしいものは見当たらない。当時は渡し舟で渡っていたらしい。トマス・ムアはローマ法王に従うこととし、英国国教会の国王に従うことをよしとしなかったために、処刑されてしまう。


遠い夏に想いを-宮殿正面  橋を渡ってすぐ右側に門がある。門を入ると、大きな前庭が広がっており、その正面にエリザベス朝の赤レンガの宮殿が青空にそびえている。ヘンリー八世が時の財務長官のウルジー枢機卿から巻き上げた代物だ(歴史では城を差し出したとあるが)。ウルジーはヘンリー八世の大法官で枢機卿だったのだが、王様よりも立派なものを持っていると、洋の東西に係わらず、巻き上げられるのが常だ。城だけならいざ知らず、命も取られる危険がある。


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 今日はハンプトン・コートに行こうと思う。英国に来る度に、行こうと思っていて果せない場所だ。今回はテムズの上流に沿って行き、テムズにのぞむ町々を訪れたい。


遠い夏に想いを-3 men in a boat  ジェローム・K・ジェロームの「ボートの三人男」(丸谷才一訳-中公文庫)という小説がある。1889年に発表された痛快小説で、テムズ川をボートで上って行く3人の男達と犬1匹の冗談ともつかない破天荒な物語である。この3人の主人公のように、ボートでとはいかないが、ロンドンを拠点にして、日帰りでテムズを散策してみようと思う。


 今日も曇が太陽を時々よぎる程度で天気は上々。テムズ川を散策するには最適な一日である。ハンプトン・コートへ行くには方法が4つある。


ジーロームK・ジェロームを現代風にいうと、
① 歩いて行く。
② ヘリコプターで行く。
③ 自動車で行く。
④ ボートで行く。
⑤ 汽車で行く。
「歩いて行く」のは時間がかかるし、疲れるので除外。
「ヘリコプター」は料金が高いからこれも除外。
「自動車で行く」はレンタカーを使わないと駄目だし、英国の狭い道を運転する自信がなので除外。
「ボートで行く」はウエストミンスター桟橋からフェリーに乗船。前回の訪英まではこれで行きたいと思っていたが、所要時間が4時間以上(帰りは下流だから半分くらいの時間か?)かかると聞いてこれも諦らめた。


遠い夏に想いを-waterloo  結局、汽車で行くことにする。地下鉄でウオタールー駅に行き、ここから国鉄でハンプトン・コート行きの汽車に乗る。ヨーロッパの駅は、豪華で広々とした空間で、構内にいると一種の静寂のなかに、騒音とその反響が音楽のように広がってくる感じがとてもよい。まるでオペラ劇場の中にいるようだ。


 「ボートの三人男」ではキングストンの町から手漕きの船に乗ってテムズ川をのぼるのだが、今日は、更に上流のハプトンコートがらスタートしてテムズをくだり、キングストンまで戻ることにする


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