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遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 前に述べた通り橋のすぐ下にはホテルがる。その名はコンプリート・アングラー(Compleat Angler)。釣人には知れわたった名前。ピュリタン革命が起き、チャールズ1世が処刑された17世紀の物騒な時代、随筆家アイザック・ウオルトンが執筆した「釣魚大全」(Compeat Angler)と関係がありそうである。と言っても、ウオルトンの「釣魚大全」を読んでいないので内容については詳しくは判らない。


 しかし、このホテルはアイザック・ウオルトンとは関係ない。ウオルトンは英国の北部デヴォンシャーのダヴ川にあるダヴデールとかミルデールなどでよく釣りを楽しんでいたらしい。ダヴデ-ルには17世紀に建てられたアイザック・ウオルトン・ホテルがあり、ここでCompeat Anglerを書いたらしい。


 小学生の頃、釣りに夢中になり過ぎて、母親からサオを隠されたり、折られたりした遠い思い出が私にはある。北海道の石狩川河口近くの茨戸というところでよく河釣りをし、札幌市の豊平川上流で渓流釣りに2~3度行った記憶があるが、フライ・フィッシングはやったことがない。朝から夕方まで、鮎のとも釣りもやったが、初めてで一尾も釣れなかった。


 イギリスでは殆どが渓流釣りだからフライが主役だろう。釣りは気の短い人がやるもので、気の長い人には向かないというが、特にフライなどは常に流れに沿ってサオを出さなければならないから気の短い人向きであろう。成人してから釣りはやっていないので、釣りについて話す資格はない。ただ、日本では漁獲量に制限がないので、自然保護の観点からもいただけない。アメリカのようにライセンス制にして数を規制すべきだ。


遠い夏に想いを-church01  橋のたもとにある教会の名前はAll Saints Parish Church、1835年に完成された。決して大きな教会ではないのだが、場所が場所だけに優雅に見える。




遠い夏に想いを-church02  教会に入ってみる。明るく大変に親しみ易い教会だ。教会には年寄りの男性と女性が座っていた。





遠い夏に想いを-town  教会の前のハイストリートを散歩した。しばらく歩くと町の中心街にでる。町は小さいが、町並みは品があって素敵である。






 
遠い夏に想いを-pot  パウンド・レーンの角の雑貨屋に入った。種々雑多な装飾品が所狭しと並んでいる。といっても、決して安物ではない。セーブルの小物も置いてある。セーブルは高いので、ノッコは小さなフランス製の陶器の小物入れを買った。


遠い夏に想いを-frame   私は小さな額に入ったバッキンガムシャーの飾り地図を記念に買った。














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遠い夏に想いを-marlow town02  パウンド・レーンという商店街にでた。町並みが切れるところまで歩くとインフォメーション・センターがある。木造の小さな平屋だ。パフレットが置いてあり、張り紙などで情報が掲示されている。ここでマーローのことを聞いてみた。建物の裏は芝生と木々があり、その向こうにテムズが見える。


遠い夏に想いを-higginson  ヒギンソン・パークの芝生と木々の中を歩いて行く。ここにはコートガーデンという18世紀の建物もある。こもれ陽がちらつく広い緑地帯を抜けると、そこにはテムズが流れている。





遠い夏に想いを-marlow  川岸には沢山のボートが係留され、静かな川面に微かにゆれている。川下には白い吊橋のマーロー・ブリッジが架かっており、左側には教会の塔がそびえている。白鳥や鴨や雁が水面を泳ぎまわり、まさに絵に描いたような景色だ。川幅が随分広い。下流のロンドン市内を流れるテムズとさして変わらない。ロックごとに水をせき止めているからだろうか。


 日本では考えられないほど水がゆったりと流れる。日本の大型河川は上流にダムや貯水池を作ってしまうので下流が痩せてしまう。それと日本は如何に山国なのかが分る。イギリスで一番高い山はスコットランドにあるベン・ネイビス山で1340メートルしかない。国全体が丘陵地帯でゆったりとしているから、流れる川もゆったりと流れるのだろう。



遠い夏に想いを-color pencil
 ゆったり流れる川面を眺めながら、川岸に沿ってマーロー・ブリッジの方へゆっくり歩く。心地よい陽の光を浴びながら、時々深呼吸をして空気の美味しさを味わう。冬の寒さがなかったら、こんなところに住んでみたいものだ。(上の色鉛筆画はホテルのそばの白い水しぶきをあげるせき)



遠い夏に想いを-water color
 「ボートの三人」には『僕の知っている限りでは、マーローはテムズ河畔の中心地の一つである。それは人出の多い活気のある町だ・・・・マーローからソニング(数百メーター上流にある)までは、さらに一段と美しい』とある。こんな美しいところに住んだら命の洗濯が出来ようというものだ。(上の水彩はマーロー橋の遠景)


遠い夏に想いを-copleat angler  テムズをはさんで教会の対岸にはコンプリート・アングラー・ホテルがある。吊橋は車が通れるようになっており、橋の左右に申し訳程度の歩行者用通路がついている。この橋からの眺めは素晴らしい。川下側にはせきがあり、川の水が白い泡になって右側に落ちている。なんとも清々しい光景だ。堰(ロック)を通るのに順番待ちをしているボートが10隻ばかり。


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遠い夏に想いを-paddington  今日はテムズを更に上流に向って、日帰りでマーローとヘンリーに足を伸ばしてみようと思う。朝から雲の少し多い空だったが、だんだん晴れてきて気持ちが良い。国鉄の汽車に乗らなければならいので、地下鉄でパディントン駅に行く。パディントンといえば有名な「パディントン・ベア」が迷子になった駅である。


 駅はかまぼこ型のアーチ状でがらんと広い。1838年に開業した。ヨーロッパの大都市ではどこでも見られる駅だ。駅のホームの端にはタクシーが入ってこられる通路がある。汽車は空いていて、車内はガラガラだ。我々の車両には4~5人の乗客しかいない。


 テムズ上流といえば、まず、ウィンザーが最初に浮かぶ。ウィンザーはハンプトン・コートより上流だが、どうゆう訳か、この時はウィンザーを訪れてみようと思わなかった。ウィンザー城はウイリアム征服王がここに木造の要塞を築いたのがはじまりらしい。ウィンザーは今でも英王室が使っている宮殿で、週末にはエリザベス女王が滞在するという。「ボートの三人」でも当時から町らしい町だとほめている。


遠い夏に想いを-maidenhead thames  汽車はやがて緑の林を抜け、メイドンヘッドのテムズ鉄道橋を渡る。とても美しい。もうすぐ、メイドンヘッドに着く。




 
遠い夏に想いを-maidenhead station マーローに行くにはここで支線に乗り換えなければならい。乗り換えの待ち時間で、メイドンヘッドの町に立ち寄ってみることにした。残念ながらテムズまで行くには時間がない。




遠い夏に想いを-maidenhead  仕方なくメイドンヘッドの町を散歩する。町までは少し歩くが、街並はどうとゆうことのないところだ。一時間ばかりぶらついて駅までもどる。「ボートの三人」には『メイドンヘッドはどうも俗物的な感じで、愉快な町ではない着飾った女を連れた洒落者がうろうろしている町である』とあるが、今ではそんな気配もない町である。


遠い夏に想いを-way to marlow  マーロー行きの列車もがらがらである。メイデンヘッドから4つ目だから、やがて車窓からテムズの田園風景が現れてくる。マーローで降りた人達は数えるほどしかいない。




遠い夏に想いを-marlow station  小さな駅で、まるで玩具の駅みたいだ。駅を出て町まで歩き、更にハイストリートを真っ直ぐテムズの方へ一キロほど歩いた。







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 さて、今日の夕食は何処で食べるか。ホテルをぶらりと出て、通りを見わたす。昨夜入ったティッチフィールド通りのイタリア料理店の一軒おいて隣に「エフェス」というトルコ料理店がある。


 旅行でヨーロッパに来ると、普通は欧風料理店にしか入らない。インド料理店やタイ料理店はおろか、日本料理店にも入ったことがない。日本に帰って日本料理を食べたほうが美味いに決まっているからだ。


 この界隈は料理店が国際的だ。中東風のトルコ・レストラン。イタリア・レストランが三軒。フランス料理店とイギリスのパブ。角には中東から来ているという、狭いが何でも置いている雑貨店。この他にも勿論あるのだが、目に留まっただけでもこれだけある。営業時間も夜の10時頃までは開いている。それに、ホテルの地下にはちゃんとしたレストランもある。


遠い夏に想いを-エフェス
 「エフェス」というトルコ料理店。エフェスとはエフェソスのことで、古代ギリシャ時代に栄えた町の名前。何となく名前に誘われて入ってしまった感が強い。店内は横に細長い。電飾が紫や緑や赤を使っているから、それらしい怪しい雰囲気はある。しかし、れっきとした料理店だから、装飾の趣味は余り上品ではないが、料理は大変に上手い。


 私たちはラム・チョップを頼んだが、今まで食べた中で、焼き具合といい、味といい、芳ばしいかおりといい、一番うまいラムだった。私は海外でレストランに入ると、日本では余り食べられない、兎だとか、蛙だとか、鳩だとかの料理をよく食べる。またラムを結構食べるのだが、後にも先にもここのが一番上手に料理されていた。東京でも何度もラム・チョップを食べた。イタリア・レストランで出すことが多いのだが、どうも焼き具合、味のつけかた、風味や舌触りなど、満足のできる料理がでてこない。日本では、羊のつく漢字が多いのに、羊の文化がないから、羊のある風景もないし、牧童としての羊飼いの歴史も無く、これを上手に料理する文化もない。それに、スーパーや肉屋にも置いていない。


 戦後、食肉不足を補うために、政府はオーストラリアから最下級の羊肉を輸入した。現地では食用に適さないとのことで捨てる肉だったらしい。当然、日本人は羊の肉は「臭くて」・「不味い」ものと思い込んだ。今でも羊の肉は臭い思っている日本人は殆どらしい。だから食肉としても、ろくな肉が手に入らない。せいぜい、「ジンギスカン料理」などに使う薄切りの羊肉しか手に入らない。羊の肉は栄養価も高くてカルニチンが豊富で美容と健康にもよい。だが、世界的にみて、日本人は大変に変わった人種なのである。

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遠い夏に想いを-テムズ遠景  キングストンから汽車でリッチモンドに行く途中、テムズを渡る。そのときテムズに架かるリッチモンド橋の遠景が一瞬目に飛び込んだ。なんと美しい景色だろう。そう思って駅に着いた。



 リッチモンドの駅前は賑やかな繁華街だった。左に向かってくだり坂になっており、そのまま行くとテムズに出る。リッチモンドの駅は地下鉄の終点だし、ロンドンからも近い。昔はロンドンの郊外で、優雅な町だっただろうが、今は通勤者のベッドタウンと化している。

遠い夏に想いを-グリーン  まず、リッチモンド・グリーンに行ってみる。坂を下って途中まで行き、右に折れる。広い芝生の公園が見えてくる。公園といても芝生だけの単純なもので、いかにもイギリス的な広場である。ここには Richmond Palace があったそうで、ヘンリー七世がここで亡くなっており、メアリー一世の時代にエリザベス一世がここに捕らえれていたこともあり、そして1603年に息をひきとった場所もここらしい。ウイリアム征服王いらいこの場所は英国のパレスであった。エリザベスは独身で通したために、前女王メアリーの子でスコットランド王ジエームス六世が彼女の遺言でスコットランドとイングランドの王となり、ジェームズ一世となる。今は、館は残っていない。この後ろ側にはリッチモンド・パークという広大な面積をもつ公園があるのだが、今回は割愛することにする 


遠い夏に想いを-リッチモンド橋  そのままなだらかな坂を下ってゆくとテムズに出る。左手にリッチモンド・ブリッジの優雅で端正な姿が見える。この橋は1777年に建てられ、現在ではロンドン郊外を含めてテムズに架かる橋としては最も古いものである。絵画に描かれている橋の姿からみて、少し中央がせり上がったひし形のように思っていたが、実際はもっとなだらかな形をしている。


遠い夏に想いを-川岸建物  川のたもとにレンガ造りの建物と白い石造りの建物がたっている。両方にパブがあり、その前はテラスで、更にその下は広い遊歩道になっている。なんと川岸には大勢の若者が座り込んでいるではないか。まるで隅田川の花火大会のように人、人、人である。日曜日なので仕方がないのだろう。もっと静かなところを期待していたのに、期待はずれだった。静かに景色を楽しんでいるどころではない。早々に引き上げることにした。


遠い夏に想いを-駅前  チャールズに言わせると、リッチモンドはロンドン近郊の住宅地で郊外にもならない。地理的にはヒースロー空港より遥かにロンドンに近く、13キロほどしかない。カントリー・サイドを満喫するには、もっと遠くまで行く必要がある。








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