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遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

遠い夏に想いを-tate  ロンドンでイギリス絵画を見るにはテイト美術館に行かなければだめだ。美術館に行くには、ヴィクトリア線でピムリコという駅で降りる。駅を出てテムズの方角へ歩くと、ケンブリジにあるフィツウイリアム美術館風の12本のイオニア式列柱が並ぶ建物がテムズ川岸に建っている。


 ここにはチューダー朝から現代までの英国絵画が展示してある。私の関心はコンスタブル、ターナー、ブレイクなど、更にラファエル前派などがある。ウィリアム・ブレイクは18世紀に活躍した象徴主義的、神秘的な詩人で、銅版画や挿絵などを得意としていた。(右下:ブレイク)

遠い夏に想いを-ブレイク










遠い夏に想いを-ミレイ  ラファエル前派のバーン・ジョーンズ、ミレイ、ロセッティ、ハントなど。特にバーン・ジョーンズは後年ラファエル前派から離れてゆくが、私の大好きな画家である。彼等の絵を見るには本当はバーミンガムの美術館に行かなければ駄目だ。何故なら、バーン・ジョーンズのコレクションが最も多い。しかしテイトでも彼等の主要な作品は揃っている。みな素晴らしい。(上はミレイの「オフィーリア」)


遠い夏に想いを-pre-raphael  ラファエル前派とは19世紀の中頃の余りにもアカデミズムに偏りすぎた美術界に対してロッセッティ、ミレイ、ハントが中心になって起こした象徴主義の絵画運動で、アカデミズムの頂点にたつルネッサンスのラファエロ以前に戻ろうという考えだった。(右は:ロセッティの「受胎告知」とジョーンズの「階段」)


 部屋ごとにコンスタブル(ここをクリック )の展示室、ブレイクの展示室、ラファエル前派の部屋などがある。特に、ターナーはギャラリーの右翼に広い特別室が設けられ、大作がゆったりと見られる。


遠い夏に想いを-turner seine  彼の描く絵は大半が漠然と曖昧で朦朧としている。しかし、絵を描くにあたって、嵐の日に帆船の帆柱にユリシーズみたいに身体をロープでくくりつけ嵐の中に船出していった(「Snow Storm」ロンドン・ ナショナル・ギャラリー蔵)、という現実主義を貫いたターナー。(右上はターナーのエッチング「セーヌ」)


遠い夏に想いを-turner venezia  ターナーは若くしてアカデミーの正会員になり、コンスタブルと違って、イタリアなど海外にも旅行し、名作を残している。フランスの印象派の画家たちが1874年に展覧会を開催し、ここでモネの『日の出、印象』が出品されて酷評された。それよりも30年も前にターナーは印象派を先取りする絵画を描いていたとは驚きである。(右上:ターナーの「ヴェネツィア」)


遠い夏に想いを-turner yacht  コンスタブルとターナーがフランスの印象派の出発点に与えた影響は大きい。1870年に普仏戦争の混乱を避けるため、ロンドンに飛んだモネは、そこで、コンスタブルとターナーの風景絵画に出会い、研究の末に1874年の印象派展で結実し印象派が確立された。(右上:ターナーの「ヨット」)


 ミネソタの遠い日々
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 ケンジントンには庭園があり、72年にも訪れたはずだ。少し低地になっていて、お花が整然と植えられた正方形の庭園だった記憶がある。たしか「マーガレット王女の庭」と呼ばれていたような気がする。今年は雨が降らず、芝や花々がしおれてしまって可哀想である。


遠い夏に想いを-kenginton palace  ケンジントン・パレスには72年に来たときに入った記憶があるが、何一つ覚えていない。1685年に王位ついたジェームズ2世が再び宗教問題でカトリックを擁護したために議会と対立し、ジェームズ2世は廃位に追い込まれた。その結果、オランダからウイリアム3世が呼ばれてイギリスの王位についた。日本の皇室はイギリスの王室を規範としているというけれど、全く、その経緯が異なる異質なものである。


遠い夏に想いを-palace01  ヨーロッパ各国の王室は婚姻関係で結ばれた親戚だ。ウィリアム3世も例外ではない。このエスタブリッシュメントの体制を打破するには、フランスみたいに革命を起こして共和制にするしかないのではないかと疑ってしまう。


遠い夏に想いを-garden01  英語も喋れないイギリスの王様がこのケンジントンにあった建物を建築家のクリストファー・レンに命じて王宮に作り直させたのがケンジントン・パレスの始まりである。



遠い夏に想いを-72 garden  イギリスの皇太子がなるプリンス・オブ・ウエールズが住むことになっているというから、チャールスとダイアナが住んでいたのだろうか。ここではヴィクトリア女王が生まれている。女王に即位するまで住んでいたらしい。パレスは庭の部分とか一部分だけ公開されているが、落ち着いてイギリスらしい。何度見ても飽きない。(右上は72年に訪れた時の写真)


 ミネソタの遠い日々
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 今朝は天気がよく晴れ上がっている。まづケンジントン・パレスに行ってみる。ケンジントンといえば、中学生の頃初めて英語を習った時に、「ケンジントンとワシントンは、ケとワにアクセントをつけて発音しないとイギリス人やアメリカ人に通じないのですよ」と言った女の先生の表情を今でも思い出す。語尾が---ingtonと付く語は頭にアクセントがつく。Paddingtonも同様。


遠い夏に想いを-hydepark  ケンジントン・パレスはハイド・パークの西側に位置している。今年は雨不足で何処の芝生でもすっかり枯れている。ハイド・パークやケンジントン・パークも例外でない。(右はハイドパーク)



遠い夏に想いを-peterpan  ハイド・パークのロング・ウオーターのそばにピーターパンの銅像がある。1972年のイギリス訪問時にチャールズのお母さんと一緒に立ち寄った。息子のチャオはまだ6歳で、元気な明るい子だった。
「ピーターパンの銅像のところで写真を撮ったわね」
ノッコが昔を思い出すうにポツリと言った。(右は72年に撮ったチャオとピーターパン)






遠い夏に想いを-kensington park  ここからケンジントン・パークの中央へ出る。緑が全くない公園の真ん中に「円形の池」がある。パリのリュクサンブール公園の「大泉水」を想像させるが、こちらの方は趣が全くない。それよりも、朝の公園の散歩はなんともいえずいい気持ちだ。朝から晴天で、風がなく、気温が低めでさらりとしている。ダルメシアンのリードを握って、ゆっくり犬と散歩する中年の男性。日陰のベンチで新聞を広げている初老の男。子供連れの若いカップル。朝だからまだ人出は少ない。


 ミネソタの遠い日々
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遠い夏に想いを-テムズ眺望  川岸に沿って橋まで歩く。教会が見えてくる。まるでマーローの配置と同じだ。だが、教会の塔は形が違う。橋も教会もマーローの方がロマンティクだ。





遠い夏に想いを-tea terrace  だが、橋のそばの川岸にテラスがでており、お茶をとっている中年のご婦人方がちらほら見える。花が飾ってあって、シェードがあり、ご婦人方がにこやかに談笑している雰囲気が素晴らしい。



 橋の反対側の袂に、明るいレンガ造りのボートクラブ(下の絵)の艇庫がある。艇庫としては立派で洒落た建物である。

遠い夏に想いを-Rowingboatclub水彩
 「ボートの三人」にはヘンリーの記述が余りない。『ヘンリー村はボートレースをひかえて賑わっていた』としか書かれていない。小説が発表されたのが1889年だから、既にヘンリーではレガッタ・レースが開催されていた。


 橋に立ってみる。川はボート競技のために造られたかのような長方形に 見える。コースは1600メートルほどあり、1839年からレガッタが開催されている。毎年7月に開催される。1851年にヴィクトリア女王の旦那様のアルバート公が臨席され、「ロイヤル」レガッタになった。レガッタが開催されると、ボート競技だけでなく、華やかに着飾った美男美女の社交場と化するのは、アスコット競馬やウィンブルドン全英オープンでも同じだ。


遠い夏に想いを-boat houses  遊覧船乗場があり、行ってみると丁度船が出る時刻である。一時間ほど遊覧して戻ってくるらしい。乗ってみることにする。ハンプトン・コートからキングストンまでのボートと違って、今日はかなりの観光客が乗船している。船はレガッタ・コースに沿ってゆっくり進む。岸にはボートハウスが軒を連ねている。まさにボートの町である。日本の川ではみな渓流くだりを楽しむが、こうゆうのんびりとした船旅は外国で楽しむしかない。日本でなら湖で楽しむしかないのではないか。


遠い夏に想いを-島の水彩

 夏の川風を肌に受けてしばらく進むと、川の中央に中州のような島が見えてくる。Temple Islandという小さな小島(上の絵)だが、小さな祠のようなものが見える。1771年に作られたTempleだが、Henley Royal Regattaのスタート地点になるという。もともと釣り師の番屋として作られたものらしい。


遠い夏に想いを-タイトル画水彩
 テムズの流れは緩やかで、川を吹き抜ける風も心地よく、緑豊かな両岸の風景は美しい。次々と現れる岸辺の民家は着飾ったご婦人のようで、大変に魅力的である。(ヘッダの写真から書き起こした水彩)


遠い夏に想いを-ハンブルデン水彩

 更に、船はハンブルデン・ロック(上の絵)という下流の堰まで遊覧し、この辺からボートは180度回転してヘンリーに戻る。一時間ほどの遊覧船の乗船だが、のどかで、気持ちが爽やかになるひと時だった。


遠い夏に想いを-テムズ川面  駅まで戻って、トワイフォードで乗り換えて、帰路に着く。ジェローム・K・ジェロームの「ボートの三人」ではオックスフォードまでテムズを手ごきのボートで上って行くのだが、エンジン付きのボートでも時間がかかるので、オックスフォードへは改めてバスで行こうと思う。


 テムズ上流への日帰り旅行のしめくくりとしてイメージした色鉛筆画を掲載してこの項を終わりにしたい。

遠い夏に想いを-イメージ画鉛筆

 ミネソタの遠い日々

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 マーローはまだ見足りないが、これから、ヘンリー・オン・テムズに行く。汽車で行くので、一旦、マーローの駅に戻ることにする。なにか団体旅行的でせわしない。


 マーローからヘンリーへは船でも行ける。距離は数キロしか離れていないのだが、曜日によって便数が少なく、この日は夕方まで待たねばならない。マーローの駅は赤レンガの平屋で、小さな無人駅である。少し遠回りだが、まずは汽車でメイドンヘッドに戻らなければならない。


遠い夏に想いを-twyford  メイドンヘッドから乗換駅のトワイフォードはすぐで、更に、ここで支線に乗り換えてヘンリー・オン・テムズまで行く。





遠い夏に想いを-henley station  ヘンリーの駅はマーロー駅よりは遥かに立派である。ヘンリーの駅を出てテムズまでは近そうだ。




 

遠い夏に想いを-imperial hotel   その途中に4階建ての木組みのインペリアル・ホテルがある。なにか古い町の雰囲気がする。リバーサイド通りに出るとテムズが現れ、橋が見えてくる。1786年にセント・メアリー教会と同時に作られた橋で、5つのアーチからなっているが、リッチモンドの橋のように優美ではない。むしろ無骨な橋という感じだ。ただ、凝った欄干と架橋は洒落たデザインになっている。


 
遠い夏に想いを-st.mary church  セント・メアリー教会にも入ってみた。マーローの教会のような優雅なたたずまいではないが、いかにも無骨な外観で内陣も余り飾り気のない教会だ。




遠い夏に想いを-river thames  ヘンリー・オン・テムズといえば1839年から毎年行われているヘンリー・ロイヤル・レガッタで有名だ。レガッタとはこぎ手が8人、コックスが1人で漕ぐ細長いボートだ。イギリスではオックスフォードとケンブリッジの対戦は有名だ。現在の正式な対戦場所はヘンリー・オン・テムズではないく、テムズの別の場所で、リッチモンドからロンドン寄りのハマースミス周辺で上流に向かって競うらしい。当初、オックスフォードがヘンリーを対戦場所に主張したが、ケンブリッジが反対したらしい。


 大学対校戦といえば、日本では早慶戦が有名だが、早慶戦には結婚前の思い出がある。妻のノッコは早稲田の仏文なのに早慶戦では慶応の応援席に陣取る。何故か解らない。早慶戦になると早稲田の大抵の学部は休講になった。教授も学生がクラスに出ないから諦めてしまう。ところがガンとして休講にしない教授がいた。仏文などは休講にしないだろうから、サボって観戦に出かけたらしい。もし、彼女が慶応に入学していたら、めぐり逢わないから結婚もしなかったであろうし、大学のオーケストラで私がヴァイオリンを弾いていなかったら、チェロを弾いていた彼女にもめぐり逢わなかっただろうから、互いに別々の人生を送っていたであろう。結婚は偶然が重なり合った巡り逢わせだと思うのだが。

あれ、あれ、話がとんでもない方にいってしまいましたね。


 デュフィーにヘンリー・レガッタの絵が数枚ある。橋の上からレガッタ競技を描いたもので、暗いが、派手な色彩とデュフィーの独特なタッチ。賑やかなヘンリー・オン・テムズの様子を描いている。


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