ヘンリー八世の離婚騒動 - 030 | 遠い夏に想いを

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アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

遠い夏に想いを-ウルジー  この城は1514年に大法官で枢機卿のウルジー卿が自宅を改造したのが始まりである。


 ロンドン塔が王様の居住としては手狭になっていた。1524年にヘンリー八世にハンプトン・コートを取り上げられる(名目上はウルジーが身の安全をはかるために進呈したことになっている)まで、王は10年間しかロンドン塔に住んでいない。



遠い夏に想いを-時計塔  2人目の王妃だったアン・ブ-リンが処刑されたロンドン塔の緑豊かなタワー・グリーンが思い出される。しかし、彼女はエリザベス1世の母でもあった。












遠い夏に想いを-ブーリンの門  例の悪名高い離婚騒動が起き、法王に顔のきくウルジーをヘンリー八世がローマに送る。いろいろな関係者の賭け引きもあって、上手く行かない。全ての地位を剥奪されてウルジーは死んでしまう。まるで、ヘンリー八世は織田信長みたいな男であった。

 ヘンリー八世はあくまでも離婚に執念を燃やしている。ローマ・カトリックと縁を切り、英国国教会を起こして、その長になってまで頑張るヘンリー八世。6人のお后を娶って4人処刑した。首を切ったのはロンドン塔なのだが、その亡霊が今でも現れるというこの城のホーンテッド・ギャラリー。


遠い夏に想いを-大ホール  ヘンリー八世が作らせた大ホールと台所はチューダー朝のものだが、その後の宮殿の改築や増設などでチューダー朝様式の建築物は少ない。


 ただし、イギリスの亡霊は日本の幽霊のように人を懲らしめたりしない。日本の宗教の根源には先祖崇拝があり、「怨念」がるから、死んだ人の「たたり」を気にする。キリスト教では人を苦しめるのは幽霊ではなく悪魔だ。だた、ここでは夜な夜な幽霊が姿を現すらしい。


遠い夏に想いを-ギャラリー庭

 チューダー・テニスコートという室内のコートがある。これはヘンリー八世が作らせたコートらしい。テニスの起源はイギリスなのかフランスなのか判らない。我々は英語でカウントをとっている。一つ判らないのが、ゼロをラブということだ。少し調べてみる必要がありそうだ。だだ、16世紀でもテニスをしていたのだろうか。ここのテニスコートで行われていたものは、現代のテニスとは違うらしい。

遠い夏に想いを-庭園  庭にでる。庭はフランスやイタリアの様式とは少し異なる。松がキノコ状にトリミングされてびっしり植えられている。正面に真っ直ぐ運河のように大きな池が横たわっている。王政復古をしたチャールス2世が17世紀後半にヴェルサイユのレイアウトを模して改築したものだ。


遠い夏に想いを-大池  この庭の敷地は広大である。ルイ十四世の国家財政を傾けたヴェルサイユの建築と造園がヨーロッパの国々に与えた影響は計り知れない。各国の君主が造園や建築に大なり小なりヴェルサイユの真似をしている。いかに革新的な庭作りであったかが判る。





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