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遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 ストラトフォード・アポン・エイヴォンとはエイヴォン川のそばにあるストラトフォードの町という意味である。現在の人口は2万人だが当時は、2千人くらいだったらしい。シェイクスピアの父は町長になったくらいだから、ある程度は裕福な家庭だったろう。シェイクスピアは結婚して、子供ができ、3年経って、21才の時、鹿泥棒をやったとかで、ストラトフォードにいられなくなり、ロンドンに逃げたらしい。このへんのところは、理由が定かではない。諸説紛々である。


遠い夏に想いを-通り  ストラトフォードの町はかなり賑わっている。通りはきちんと整備されており、小さな町だが活気に溢れている。イギリスで最も有名でな小さな町である。



 
遠い夏に想いを-銅像 通りにはフォルスタッフの銅像もあり、そばで大道芸人が何かわめいている。







遠い夏に想いを-シェイクスピア家  シェイクスピアの生家も残っている。町のほぼ中央にあり、チューダー様式の立派な建物である。500年以上も経ったとは思えない。庭も魅力的で、結構広い。




遠い夏に想いを-寝室  シェイクスピアが使っていたという寝室はエリザベス朝の作りで、部屋の内側にも木組みのこげ茶色の材木が白壁に映えて、古い調度品が置かれている。手入れがよく、保存状態もいい。


 ミネソタの遠い日々
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遠い夏に想いを-アンの家  満席のバスに乗り、次は、ストラトフォード・アポン・エイヴォンへ向う。言わずと知れたシェイクスピアの町だ。シェクイスピアは16世紀中頃にストラトフォードに生まれた。18才で隣町の農家の娘、アン・ハサウエイと結婚する。8才も年上の姉さん女房だ。今考えると、当時18才の青年と26才の女性が結婚するというのは何か不自然な感じがする。男はお遊びだったのに、妊娠してしまい仕方なく結婚したのではと疑いたくなる。


遠い夏に想いを-アンの室内  最初に、バスは妻のアン・ハサウエイの実家に行った。ストラトフォードの町から1.5キロほど西にある。アンの実家は裕福な農家だったしく、建物も立派である。16世紀のままなのか、チューダー朝様式の木組みの家に、きちんと整備された藁葺きの屋根が美しい。台所など、家の中を見学して歩く。ヨーロッパの市街地の建物は天井が高いが、庶民の家の天井は低い。


遠い夏に想いを-劇場  今度はバスでストラトフォードの町へ移動する。町に到着して、昼食をとることになった。エイヴォン川のそばにある広い現代的なレストランだったが、食べ物はまあまあであった。エイヴォン川はかなり川幅もあり、ゆったり流れる素晴らしい川で、シェイクスピア劇場と川の眺めは素敵である。


 ミネソタの遠い日々
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 今回はテムズの旅なのにオックスフォードに来ても、テムズ川を見られない。テムズ川はオックスフォード駅の外側を流れている。少しばかり時間があっても、川にいくには時間が足りないので諦めた。


 「ボートの三人」の主人公たちもオックスフォードに3日いて、折り返し雨の中下流の流れにのってロンドンに帰る。オックスフォードの情景は述べられていないが、やたらと犬が多い町だと記している。


 オックスフォードで見学したのはこのカレッジだけで、大学の構内を見ていないので、オックスフォード全体のイメージがわかない。


 90年に行ったケンブリッジの時のようにチャールズと冗談を交わしながら、ゆったりと歩いて構内を見て廻ったようにはいかない。あの時は午後の時間を費やしたのだから時間は充分にあった。


遠い夏に想いを-watercolor  ここを見終わったら、街をぶらついてバスに戻るだけだが、時間が少々ある。画材店があったので、携帯用の水彩絵具のセットをノッコ用に買った。ウィンザー & ニュートンの木製のケースに24色のハーフパンが入った可愛らしいものだ。
 「どうせ使わないで、このまま永久保存の記念品になると思うけど」とノッコは笑った。私は、下手ながら、時々、水彩、鉛筆、パステルなどの絵を描くのだが、多分、ノッコは使わずに終ってしまうだろう。


 30年以上も前のことだが、ノッコは彫金を始めた。彼女の妹が彫金の仕事をしていた影響かもしれない。2~3年続けたが、彫金の道具を姉に譲って、やめてしまった。もともと、デザインのセンスはあると思うのだが、本人はセンスがないと主張する。惜しいことだと思うが、その代わり学生時代に弾いていたチェロに再び夢中になった。


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遠い夏に想いを-brasenose  大学に40ばかりあるカレッジの中から、今日はブレイズノーズ・カレッジを見学するという。ハイストリートという広い道路に面してそのカレッジはあった。


 カレッジ名は通常教会用語とか聖人の名前が付けられるのだが、ここのカレッジの名前は変わっている。ブレイズとはブラス(真鍮)の意味らしく、ノーズは鼻だから「真鍮の鼻」となる。ここのカレッジの宝物になっている14世紀頃に出来た真鍮の鼻の形をしたドア・ノッカーに由来するらしい。カレッジの創設は1509年で、大学スポーツが盛んなカレッジらしい。


遠い夏に想いを-日時計  ブレイズノーズ・カレッジの門をくぐった。中庭は正方形の芝生が青々とまぶしい。右手の建物の上部に1719年製の日時計がついている。水色と白の大変に美しい図柄だ。












遠い夏に想いを-radcriffe

 このすぐ近くにボードリアン図書館があって、図書館の一部であるラドクリフ・カメラというドーム型の建物がブレイズノーズ・カレッジの背後に見える。ボードリアン図書館は英国で国立図書館の次に大きいそうだ。










遠い夏に想いを-ホール01  見学するのはホールだけだが、ホールは修理中で、足場が組んである。雑然としているが、よく見ると、いかにもカレッジの伝統あるホールという感じだ。ステンドグラスが簡素だが美しい。ここのカレッジの前身がホールだったからだろうか。


遠い夏に想いを-ホール02























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遠い夏に想いを-ブレナム  もう見慣れた褐色の草原と畑を抜けて走る。やがて、ブレナム・パレスを通過する。ここには一時停車もしない。ガイドが城の住人の説明をするだけだ。この18世紀初頭の城は世界遺産にもなっており、ウィンストン・チャーチルが生まれた城として有名だ。(右上はブレナム・パレスの門前を通過)


遠い夏に想いを-コッツウォルズ  オクスフォードへ行く途中にコッツウオルズを通る。コッツウオルズはライムストーンと呼ばれる石灰岩でできた家々が並ぶ。独特の灰色の石造りだが、その間の通りをバスで通り過ぎて行くだけ。(右はコッツウオルズ)


遠い夏に想いを-オックスフォード町  オクスフォードの市内に着いた。全員がバスを降り、オクスフォード大学の中にはいって行く。バス旅行で観光地を数ヶ所訪問するので、一ヶ所に費やす時間は少ない。だからオクスフォード大学のカレッジのうち一ヶ所しか廻れない。昔、チャールズとケンブリッジを訪れた時(ここをクリック )のようにはいかない。(右はSt.Mary大学教会)


 オクスフォード大学はイギリスで最も古い大学だ。大学の創設時期は不明だが、11世紀末にはここで学生を教えていたらしい。1167年にヘンリー2世が英国人の学生がパリ大学に通うのを禁止してから、急速にオクスフォードの規模が拡大したらしい。


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