遠い夏に想いを -169ページ目

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

遠い夏に想いを-bigben  地下鉄にのって、ウエストミンスター・ブリッジとウエストミンスター寺院へ行ってみる。橋の上からビッグ・ベンを望むと昔のチャオの懐かしい思い出がよみがえるから。











遠い夏に想いを-westminster  寺院には72年に訪れた時に一度入っているが、前回の二度目に来た時は、大勢の退役軍人が寺院内にいて、一般観光客が入れなかった。












遠い夏に想いを-brass rubbing

遠い夏に想いを-説明文  堂内の奥で、「ブラスラビング(Brass Rubbing)」という材料を売っている。13世紀にフランスのノルマンの高貴な人達がイギリスにもたらしたものらしい。これは絵を描く技法で、材料はワックスに銅の粉末を混ぜたものである。これで特殊な黒い紙に描くのである。試し描き用のサンプルをくれるので、我々も描いてみた。なかなかデザインが思うように行かない。(上はブラス・ラビングで描いた絵)


 ウエストミンスター寺院は歴代の英国国王の戴冠式がおこなわれるほど、荘厳で立派な寺院だが聖堂(Cathedral)ではない。その名の通り僧院(Abbey)にしか過ぎない。


遠い夏に想いを-painting
 ここの寺院は見かけより広く、更に、右奥に進むと、広いカレッジ・ガーデンという裏庭に出る。庭にはパラソルが沢山あって、なにか観光化した感じだ。ノッコとしばらく休憩していくことにする。のんびりとして、気持ちがいい。(上はその時の水彩画)


遠い夏に想いを-st.margaret church  今回は72年に訪れたセント・マーガレット・チャペルにも立ち寄った。この教会は12世紀にベネディクト派によって建てられた由緒ある教会だが、礼拝堂は綺麗で、可愛らしい。若い女性に好まれそうな教会である。



 ミネソタの遠い日々
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学へ留学した記録のホームページにもどうぞ

 イギリス滞在も残り少なくなった。今日はロンドン市内を歩いてみる。手始めに、ポートランド通りへ出て、18世紀の初めに造られたキャヴェンディッシュ・スクエアに行ってみる。ロンドンにはスクエアと名のつく小公園が多い。イギリス国会議事堂の横にあるパーリアメント・スクエアのように、芝生だけの小広場の場合もある。


 大英博物館やロンドン大学の周辺にあるブルームズベリー・スクエア、ラッセル・スクエアやべドフォード・スクエアなどはロンドンでも古いスクエアで、美しい公園になっている。この辺りはイギリス近代文学にも関係が深い場所で、ヴァージニア・ウルフとかT・S エリオットなどが住んでいた地区である。


 ロンドンにはハイド・パークやリージェント・パークなどの大きな公園、があるが、スクエアはもともと周囲の建物の住人に管理をまかせ、彼らが楽しむためのプライベートな小公園としてできたと聞いたことがある。


遠い夏に想いを-スクエア三菱  イギリスのスクエアをまねして、東京の丸の内にある三菱一号館美術館横にもスクエアと称して小さな広場がある。少し狭すぎるが、美術館の赤レンガと緑の芝生が作るコントラストは結構美しい。(右の写真は三菱1号館広場)







遠い夏に想いを-スクエアの建物  キャヴェンディッシュ・スクエアは四角形の空間に、その真ん中に円形の垣根で囲まれた公園である。周りに6~7階建てのヴィクトリア様式の建物や近代的なビルが建ち並び、道路が周囲を取り囲む静かなスクエアだ。









遠い夏に想いを-スクエアの女


 公園の一角に池の代わりに緑の芝生に覆われた低いマウンドがあり、周りには樹木が茂っている。マウンドの周囲にはベンチが置かれ、小さなスクエアーとしては木々も多く、花々が植えられている。(上は緑多いスクエアのパステル画)


遠い夏に想いを-スクエアの男  サラリーマンだろうか、紺色の背広を着た若い男性がベンチに腰掛けて、マウンドの芝生をじっと眺めている。天気はいいが、早朝なので彼以外の人影はない。







 ミネソタの遠い日々
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学へ留学した記録のホームページにもどうぞ

遠い夏に想いを-中庭  城主だった第16代・ウォーリック伯が一番名を成したのは、1450年代に起こったヨーク家とランカスター家のバラ戦争でキングメーカーとして活躍した時だ。バラ戦争は、百年戦争も絡んで、英国内で争われた王位継承の内戦だが、ヨーク家が白バラ、ランカスター家が赤バラでそう呼ばれている。ウォーリック伯はイギリスの大貴族で、当時の政治の世界でも権勢をふるっていた。最後は両家が和解し、そして、ヘンリー7世が即位しチューダー朝の時代へ移っていく。バラ戦争は複雑怪奇で、フランスも含め、様々な王族の婚姻関係が入り乱れて起こった話である。


遠い夏に想いを-タッソー01  現在、この城は蝋人形で有名なタッソー・グループに売却されて、城は部屋ごとにウォーリック伯がキングメーカーとして活躍した頃の様子や、その後の時代の様子など蝋人形でデスプレーされている。



遠い夏に想いを-タッソー02  各部屋を順に見て廻る。蝋人形の置いてある部屋、置いてない部屋と様々だ。修復されてはいるが、どれも古い部屋で、歴史の重さを感じさせる。





遠い夏に想いを-エイヴォン川  北側の部屋の窓から見下ろした風景は忘れがたい。緑の中を流れるエイヴォン川が真下に望める。白い飛沫をたてて水車を流れ落ちる光景は素晴らしい。












遠い夏に想いを-tea room  立派な広い休憩室がある。ゴッシク調の柱や天井がひと際美しい。少し疲れたので、私たちはここでお茶を飲み、一休みする。


 外に出て城壁の階段を登る。螺旋状の階段でかなりある。城壁の上からの眺めはかなり遠くまで見えるが、エイヴォン川の景色のように美しくも感動的でもないが、緑が多い町の眺めは心が落ち着く。11世紀のドゥームズデイ・ブックにはすでに225軒の家屋があったと記されているそうだ。


 今日は一日バスに乗りっぱなしで疲れた。バスは一路ロンドンに向って走る。マーブル・アーチで降りた。時間があったので、ハイド・パークを散策し、地下鉄でホテルへ帰った。


 ミネソタの遠い日々
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学へ留学した記録のホームページにもどうぞ

 ウォーリック城には機会があれば一度来てみたいと思っていた。今度のバス旅行は、時間に制約はあるが、行きたい所を廻るので好都合だった。それに、城は一ヶ所だからバス見学に好都合である。


遠い夏に想いを-warwick  エイヴォン川に接して城が建っている。城壁が城の周囲をめぐっている。この場所には914年頃にサクソンの砦があった。それ以前にブリトン人が簡素な城塁を作っていたらしい。


 ノルマンによる征服時期の1068年にウイリアム征服王の命でここに木造の砦を造らせた。13世紀に石造りに改築され、17世紀にほぼ現在見られる城になった。



遠い夏に想いを-城の周り  敷地は最初に作られた時の面積とほぼ同じ。古い城だから決して広くない。城を取り巻く庭は広いが、城を見るだけでいい。





 ミネソタの遠い日々
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学へ留学した記録のホームページにもどうぞ

 シェクスピアは誰だったのか。長い間、議論の的だった。シェイクスピアは誰か。高名な人のペンネームだとか、シェイクスピアにはゴースト・ライターがいるとか、様々な人達が様々な主張をしてきた。


 20年も前だったろうか、「英国の劇作家クリストファー・マーローの墓を掘り返せばシェクスピアであると証明できる」と、イギリスの話を新聞で読んだことがある。とにかく、一番疑われたのはシェイクスピアと同時代の英国の哲学者フランシス・ベーコンだった。


遠い夏に想いを-trinity church  真剣にシェクスピアの墓を掘り返そうとした女性がいた。その名もディーリア・ベーコン。1800年代のアメリカ人女性でフランシス・ベーコンとは関係ないが、彼女はシェイクスピアがフランシス・ベーコンだと信じて疑わなかった。このことについては「シェイクスピアの墓を暴く女」(集英社新書・大場健治)に詳しい。シェイクスピアはストラトフォードのエイボン川を北に少し行った所にあるホーリー・トリニティ教会に眠っている。


 しかし、ホーリー・トリニティ教会の墓まで行って諦めてしまう。彼女は手がつけられないほど錯乱した精神状態に陥ってしまったからだ。


 シェイクスピアは小学校(グラマー・スクール)しか出ていない。今も、このグラマー・スクールがストラトフォードの町に残っている。小学校で習う知識くらいで、あの膨大な作品を、しかも素晴らしい修辞や広範な知識をちりばめた作品を書けるはずがない。そう疑うほど作品は素晴らしい。グローブ座の一芸人の作品とは想像しがたい。まるで日本の浮世絵師の写楽の本人探しに似ているかもしれない。勿論、シェイクスピアはシェクスピアだという熱狂的なシェイクスピア本人説が主流である。


 少し時間があるので、お土産屋を覗いたりして、町をぶらぶらした。天気が良いので気持ちが良い。バスに全員がそろって、出発した。今度は最後の目的地ウォーリック城だ。


 ミネソタの遠い日々
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学へ留学した記録のホームページにもどうぞ