シェイクスピアは誰だ - 53 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 シェクスピアは誰だったのか。長い間、議論の的だった。シェイクスピアは誰か。高名な人のペンネームだとか、シェイクスピアにはゴースト・ライターがいるとか、様々な人達が様々な主張をしてきた。


 20年も前だったろうか、「英国の劇作家クリストファー・マーローの墓を掘り返せばシェクスピアであると証明できる」と、イギリスの話を新聞で読んだことがある。とにかく、一番疑われたのはシェイクスピアと同時代の英国の哲学者フランシス・ベーコンだった。


遠い夏に想いを-trinity church  真剣にシェクスピアの墓を掘り返そうとした女性がいた。その名もディーリア・ベーコン。1800年代のアメリカ人女性でフランシス・ベーコンとは関係ないが、彼女はシェイクスピアがフランシス・ベーコンだと信じて疑わなかった。このことについては「シェイクスピアの墓を暴く女」(集英社新書・大場健治)に詳しい。シェイクスピアはストラトフォードのエイボン川を北に少し行った所にあるホーリー・トリニティ教会に眠っている。


 しかし、ホーリー・トリニティ教会の墓まで行って諦めてしまう。彼女は手がつけられないほど錯乱した精神状態に陥ってしまったからだ。


 シェイクスピアは小学校(グラマー・スクール)しか出ていない。今も、このグラマー・スクールがストラトフォードの町に残っている。小学校で習う知識くらいで、あの膨大な作品を、しかも素晴らしい修辞や広範な知識をちりばめた作品を書けるはずがない。そう疑うほど作品は素晴らしい。グローブ座の一芸人の作品とは想像しがたい。まるで日本の浮世絵師の写楽の本人探しに似ているかもしれない。勿論、シェイクスピアはシェクスピアだという熱狂的なシェイクスピア本人説が主流である。


 少し時間があるので、お土産屋を覗いたりして、町をぶらぶらした。天気が良いので気持ちが良い。バスに全員がそろって、出発した。今度は最後の目的地ウォーリック城だ。


 ミネソタの遠い日々
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