城主だった第16代・ウォーリック伯が一番名を成したのは、1450年代に起こったヨーク家とランカスター家のバラ戦争でキングメーカーとして活躍した時だ。バラ戦争は、百年戦争も絡んで、英国内で争われた王位継承の内戦だが、ヨーク家が白バラ、ランカスター家が赤バラでそう呼ばれている。ウォーリック伯はイギリスの大貴族で、当時の政治の世界でも権勢をふるっていた。最後は両家が和解し、そして、ヘンリー7世が即位しチューダー朝の時代へ移っていく。バラ戦争は複雑怪奇で、フランスも含め、様々な王族の婚姻関係が入り乱れて起こった話である。
現在、この城は蝋人形で有名なタッソー・グループに売却されて、城は部屋ごとにウォーリック伯がキングメーカーとして活躍した頃の様子や、その後の時代の様子など蝋人形でデスプレーされている。
各部屋を順に見て廻る。蝋人形の置いてある部屋、置いてない部屋と様々だ。修復されてはいるが、どれも古い部屋で、歴史の重さを感じさせる。
北側の部屋の窓から見下ろした風景は忘れがたい。緑の中を流れるエイヴォン川が真下に望める。白い飛沫をたてて水車を流れ落ちる光景は素晴らしい。
立派な広い休憩室がある。ゴッシク調の柱や天井がひと際美しい。少し疲れたので、私たちはここでお茶を飲み、一休みする。
外に出て城壁の階段を登る。螺旋状の階段でかなりある。城壁の上からの眺めはかなり遠くまで見えるが、エイヴォン川の景色のように美しくも感動的でもないが、緑が多い町の眺めは心が落ち着く。11世紀のドゥームズデイ・ブックにはすでに225軒の家屋があったと記されているそうだ。
今日は一日バスに乗りっぱなしで疲れた。バスは一路ロンドンに向って走る。マーブル・アーチで降りた。時間があったので、ハイド・パークを散策し、地下鉄でホテルへ帰った。
ミネソタの遠い日々
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学へ留学した記録のホームページにもどうぞ