遠い夏に想いを -166ページ目

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 ゲーテハウスを捜すが一向に見つからない。レーマー広場くらいは行けるだろう思うが、これも当てにならない。とにかくゲーテのおじさんの家に行かなくては。


 「行動を起こす前に地図を調べて、通り名くらいは確認しなければ」
喫茶店で地図を広げて、ノッコがもっともな事をおっしゃる。


 喫茶店を出て西の方向に行く。地図にはそう書いてあるからだ。フランクフルトは、この辺りから高層建築が乱立する地域になる。また、朝のゲーテの像まで戻ってきてしまった。


 それらしい通りに入ると、やっと『ゲーテ』という文字の入った看板が見つかった。どうも本屋の広告らしい。ドイツ語が読めないので、誰もいない店の中を覗くが、どう見ても本屋としか思えない。裏手に廻って、うろうろしていると黒い作業服というか制服というかを着た中年の男性がどこからとなく現れた。郵便配達夫かと思った。


 英語は通じない。遠い夏に想いを-ゲーテハウス

「聞いてみたら」とノッコに促すと、ノッコがドイツ語で訊いている。男はぐるぐる廻ってあっちだこっちだとと指差すが、我々が要領を得ない様子なので、「ついてきなさい」と言ってゲーテハウスが見えるところまで連れていってくれた。


 いまだ、迷った場所がどこなのか地図を見ても判らない。正に、不思議の国に連れて来られたアリスさん達というところだ。ここを一度去ったら、二度と戻れないだろうと思う。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学へ留学した記録のホームページにもどうぞ

遠い夏に想いを-cake  ケーキとコーヒーで暖まった。ナッツ入りのケーキはこってりしているが、見かけよりも美味しい。ケーキというとイタリアやフランスを連想するが、本当はドイツ・オーストリア圏はケーキの美味しいところだ。


 72年に入ったウイーンのお菓子店は、名前は忘れたが格式ある店で、白い壁にダークオークの調度品が印象的で、天井が高くて立派であった。チョコレートで包んだケーキの味は忘れられない。


 東京に帰ってもオーストリア菓子の味が忘れられず、オーストリア・ドイツ・スイス菓子店があるとよく通ったものだ。今はないが、東京の渋谷の東急百貨店の前にあったドイツケーキの店にはよく通った。ドイツ菓子の特徴は生クリームを極力使わず、無縁バターのクリームで作るしっかりとしたケーキである。これらの菓子は、最近では流行らないが、本物の味のするケーキなのである。


 戦前は菓子屋の倅だった私が言うのだから間違いない。子供の頃、父が工場で無塩バターのクリームを使ってケーキにデコレーションしていたのを思い出す。今のケーキはアメリカの影響か、まるで軟弱で、生クリームの固まりみたいな代物である。私の基準からするとケーキとは呼べない。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学へ留学した記録のホームページにもどうぞ

 それはハウプトバッヘ広場だった。まるで無人の広大な広場だ。観光客らしい中年の女性が地図を片手に広場の手前の交差点で信号待ちをしている。


遠い夏に想いを-ハウプトバッヘ  広場の真ん中に田舎の駅舎のような建物が見える。いかにもドイツという感じの建物で、何か懐かしい感じのするカフエだった。この寒さでカフェテラスには誰もいない。開いているのかどうか判らないが、とにかく覗いてみる事にした。


 店内に入る。店には3組ほどの客がいた。左は菓子のウィンドーになっており、右は広いカフェになっていて、テーブルが10個ぐらいある。余り暖かくはないが、外よりましだ。


 驚いた事に、『しゃけどんぶり』と日本語で書いて、写真まで添えて、入り口にぶら下がっている。日本人の観光客用だ。遂に、極まれりという感じだ。


 72年にローマで坂道を歩いていたら、レストランの店先に日本語で『日本食あります』という大きな張り紙を見て驚いたが、今の時代に『しゃけどんぶり』の張り紙があっても驚かなかった。もうそうゆう時代なのだから。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学へ留学した記録のホームページにもどうぞ

 フランクフルトに観光に来たら、先ずはゲーテの家を訪問しなければならない。


 カイザー通りを旧市内に向かって進み、南に折れてベルリナー通りを歩く。このあたりにゲーテの家があるはずだが、これが見つからない。ゲーテの家は何処にあるのだろうか。


 「ゲーテ・・・」という看板があるので行ってみるが、本屋の広告にだった。ドイツ語がたどたどしいが、「ゲーテの家はどこですか」と訊いて見ようと思った。だが、本屋はまだ開店していなかった。ノッコはドイツ語で簡単な会話ができるのだが、決して自分から話そうとしないので、本屋が開いていても前を素通りしてしまっただろう。


 通りを歩いている者は見かけない。まるで、前年のイタリア旅行でクレモナに行ったときのようだ。やはり日曜日の朝だった。店屋は閉まっていて、街には人の姿が見当たらない(ここをクリック)


遠い夏に想いを-カトリーナ教会  コルンマルクト通りに出て、北に上がる。そして探すが何も見つけられない。更に北に向かって歩くと、広い通りの角に教会がある。この教会は地図にカタリーナ教会とあるが何も記述がない。


 とにかく寒い。寒いと頭の回転が悪くなり、方向音痴が益々ひどくなる。私は暑いのは幾らでも我慢できた(今は駄目だが)。その昔、真夏の猛暑の中でゴルフを朝から夕方まで36ホールプレーしたことがある。同伴者たちが「暑くてもう動けない」と木陰でへばっていたが、私は平気だった。だが寒さもからきし駄目になった。北海道生まれで、冬には-40度になる極寒のミネソタにも居たのに、寒さにはからきし弱くなった。暖を取るのにどこかに入りたいのだが、店屋は開いていないし、教会は日曜のお祈りの最中だし、どこにも入るところが無い。


 目の前は広い広場になっており、手前の大通りには市電が走っていて、地下鉄の駅もある。とりあえず、ゲーテの家を探すのを一時諦めて、広場に行ってみることにする。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学へ留学した記録のホームページにもどうぞ

 外は寒い。空気が肌を切る感じである。思わず襟のボタンを閉める。前日の雨が明け方まで降り続け、まだ道路がぬれている。空は曇っているが、時々太陽が顔を出す。


 寒い。東京の冬と同じくらい。10度前後だろう。まだ9月の上旬だ。駅前のカイザー通りを真っ直ぐ旧市街に向かって歩く。


 日曜日の朝なので人は歩いていない。ヨーロッパはどこの国でも日曜日の午前中は教会に行くか自宅で休息するかで、午後にならないと人々は街には出てこない。


遠い夏に想いを-ゲーテ像  300メートルほど歩くと幅100メートルほどの緑地帯にぶつかり、左側にゲーテの像がある。前世紀の中頃までここに都市を囲む壁が有り、これを取り払って緑地帯ができたらしい。


 右側に行くと市立劇場がある。近代的な建物で、まるで市民ホールというデザイン。1960年に完成されたというから、結構古い建築だ。フランクフトには1880年に完成された旧オペラ劇場がある。これは戦時中に爆撃をうけ、以来使われていなかったのを、現在は修復されて多目的劇場として使用されているという。


 今夜の出し物はヴェルディの「リゴレット」とある。8時開演だから、ホテルからも近いし当日券を求めて来てもよいのだが、余りにも寒い。残念ながら、オペラに関心が薄い。と言うより興味が無いので結局来ずじまいだった。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学へ留学した記録のホームページにもどうぞ