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遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

遠い夏に想いを-レーマー広場  とにかく、歩くより他に方法が無い。暫くして、ベルリナー通りへ出た。地図を見るともうレーマーは近い。ベルリナー通りを右に曲がり、暫く行くと、左手にレーマー広場があった。


 これだけ迷って歩いて到達した広場にしては余りに貧弱で、ノッコも私も一抹の失望感を味わう事になる。広場の真ん中に天秤を持った正義の女神像が立っている。低い潅木がその周りにを囲い、像の土台から小さな噴水がでている。


 もし、真っ直ぐ来れたら多分印象は違っていたかも知れない。人間なんてそんなものだ。ベネツィアのサンマルコ広場やミラノのドゥオーモ広場などを想像してしまうからだ。でもこれは、破壊からもと通りに復元したフランクフルト市民の賜物ではないか。その情熱と意志の強さに敬服し感謝したい気持ちだ。悲しい事だが、効率を求める日本だったらどうするかは判り切っているから。


遠い夏に想いを-ニコライ教会  ニコライ教会は奇跡的に戦争で爆撃にあわず、1290年の創建当時の姿を残している。内部は少々古くさい感じだが、落ち着いた教会である。














遠い夏に想いを-Dom  ニコライ教会の後ろにある聖バルトロメウス教会(DOM)も戦争で爆撃にもあわず、12世紀からここに建っているが、神聖ローマ帝国皇帝の選挙がおこなわれ、皇帝の戴冠式がおこなわれてきた。









遠い夏に想いを-ドム堂内  堂内は大変に明るい。まるで新しく立て直されたかのような風情が残っている。赤レンガの内部は素晴らしい。














 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学へ留学した記録のホームページにもどうぞ

 ゲーテハウスの出口で係員の女性にレーマーへの道順を聞いた。とにかくフランクフルトでは迷子になりっぱなしだし、この寒さだ、ここらで無駄足を踏まずに真っ直ぐ行きたいと思ったのだが、この女性の書いた略図のメモでは、「北東に行って、それから真っ直ぐ南に下がる」となっている。何度聞いてもこれが一番判りやすいと言う。どうも解せない。レーマーは地図によるとこの位置から南西の位置にある。
 「折角、図面まで書いて教えてくれたのだ、彼女の助言に従おう。何しろ、フランクフルトのAngel of Mercyだ」


 そうゆう事になった。この寒さの中で、これが大きな間違いの元になった。言われる通りに来たら、当然の事ながら、ハウプトバッヘ広場に来てしまった。これから南に下がるはずだが、どうゆう訳かツアイル通りを東に歩き出してしまった。フランクフルト一の商店街だ。道幅は広くモダンな店構えが多いが、今日は日曜日なので殆ど閉まっている。


 「あのAngelは親切心でフランクフルトの商店街を見せたかったんだよ」などと言いながら暫く歩いた。余りに感じが変なので、通り表示を見た。その時ここがツアイル通りだと判った。


遠い夏に想いを-frauen

 雨は上がったが、空は曇っている。とにかく寒い。ハッセン通りで南に折れて歩く。途中、通りの右奥にリーブフラウエン教会(聖母教会)が見える。可愛らしい教会の建物だ。(上は奥にフラウエン教会)


遠い夏に想いを-dom  暫らく歩くと、ハッセン通りの正面奥にレンガ色の教会の塔が見える。どこかで見た教会だ。案内書の写真にあるDOMと同じだ。そのまま南に真直ぐ進んだ。今度は絶対に間違いない。レーマー広場だ。この路を行こう。そう確信をもて歩き出した。ノッコは私の方向感覚に信頼を失っていたので、気乗りしないようだった。


 歳をとってから視力がかなり悪くなり、その上、標識などのドイツ文字が見えなくなっていたので、迷子になってばかりだ。この先が思いやられる。


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遠い夏に想いを-書斎  文人、作家、音楽家、画家の家というのは、残っているものが殆ど無いものだが、ゲーテの家は結構色々残っている。4階はゲーテの書斎だったのだろう。1774年ケーテが22歳の時に、ここで処女作を書き上げたというから、『若きウエルテルの悩み』だろうか。ここの窓から冬の空を見上げれば、どんより鉛色の空ばかりで、ゆうつな気持ちになるだろう。かって恋心を抱いたシャルロッテのことを思えばなおさらだ。それに雪がちらついてきたら余計気分は滅入る。小説の中の恋人シャルロッテは現実に恋焦がれたシャルロッテをモデルにしてる。


遠い夏に想いを-クラヴィア  2階には音楽室があって古いクラヴィコードが一台置いてある。ピラミッド型のハープシコードを立てたような鍵盤楽器もある。





遠い夏に想いを-ハープシコ-ド


ゲーテは家族でアンサンブルを楽しんでいたようだ。ゲーテはチェロを、ゲーテの父はリュートを、妹はクラヴサンを、その他の者は色々な楽器で演奏したらしい。



遠い夏に想いを-音楽室  新設された博物館にも足を向けてみたが、こちらは同年代の絵画が掛っているだけで、ローマのゲーテというティッシュバンの有名な絵以外は殆ど印象に残っていない。この絵も複製にしか過ぎないという。こう寒くてはイタリアに憧れるのが判る気がする。寒いミネソタの住人がハワイやフロリダに憧れるのと同じだろう。当時のTVコマーシャルで "Leave it or love it....." とやっていたっけ。


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遠い夏に想いを-庭  まず、庭と台所を覗く。復元されたものだろうが、とても綺麗に手入れされている。台所も明るく、当時の食器の音や笑い声が聞こえてくるようで見ていても楽しい。


遠い夏に想いを-台所












遠い夏に想いを-食堂











遠い夏に想いを-ストーブ  私は北国生まれだから、大いに興味があった。昔の北海道の石炭ストーブは真っ黒で、まるで飾気も色気も無かった。毎朝、石炭を倉庫から持ってきて、ストーブに入れ、火をおこす。寒いなか辛い作業だった。


  一階から順次見ながら階段を昇って行く。そして目に付いたのが、各部屋の隅にとり付けられたストーブの立派さだ。形も大きさもさまざまだが、とにかくデザインが少しづつ変わっていて面白い。 遠い夏に想いを-ストーブ2




 これはどのように使うのだろう。燃料は薪だろうか。18世紀の中頃だから石炭ではないだろう。部屋ごとに薪をくべて暖を取っていたのだろう。それにしても、みな白く塗ってあって、中には青の花模様などあしらえてあって、なかなか洒落ているなあという感じだ。綺麗に残っているのは家が元通り復元されたためだろう。
















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 さすがにゲーテおじさんの生家は立派である。と言っても、フランクフルトは戦争中に爆撃で旧市街の40%以上が破壊されたのだ。


 ゲーテおじさんの家も壊滅状態だたらしい。ただ、ゲーテの子孫達は戦時中田舎に疎開していたために、家具調度品は残ったらしい。家の様子からして、当時は中流家庭だったらしいが、5階建ての再建された建物は立派である。よくもここまで古臭く当時に似せて作ったものと感心してしまう。


 最近は博物館が併設され、一階の受付は係りの女性も多くいて、ちょっと古風な風情に欠けているという感じだ。フランクフルト観光の目玉的存在だから力を入れるのもやむを得ないだろう。


遠い夏に想いを-ゲーテ絵画  1749年に生まれてから1775年に政治家として小国ワイマールに移るまでこの家にいた。勿論、その間、学業で他の地へ移ったが、フランクフルトは彼の青春時代を過ごした街だった。

(1786年無期限の休暇をとって9月にイタリアへ旅立ったゲーテ、ティシュバインの描いたイタリアのゲーテ/右上の絵)


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