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遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 次にバスが停まったのは、ヴァイカースハイムとうい町、というより村と言った方がよいところかな。「....ハイム」というのは、英国の「ラヴェナム」の「....ハム(村)」と少々違い、日本ではアパートやマンションの名前に使われる、ホーム(家屋)という意味。ヴァィカース家といったところだろう。


遠い夏に想いを-マルクト広場
 ここの城は余りにも大きい。15分ばかりの停車だから、何も見られない。小雨のなかを150メートルほど小走りに走る。城の入り口に着くと料金所があって、赤いカーデガンを羽織ったおばあさんが番をしていて、切符をくれる。バスのお客は時間が無いことを知っているから、庭の拝観料しか取らない。


遠い夏に想いを-城の庭

 庭は広くて美しい。バラが咲いている。この先のタウバー川まで庭が続いているらしい。イギリスの城に見られるように広大な庭である。タウバー川は見えないが、その先の丘は遥か彼方だ。


遠い夏に想いを-城の入口

遠い夏に想いを-城の塔

 町のマルクト広場の左側に市庁舎が奥にヴァイカースハイム城があり、後ろ手に市の教会がある。しかしこんな小さな町にこんなにデッカイ城を造るなんてホーエンローエの一族も大したものだ。


遠い夏に想いを-教会

 雨が激しくなってきたので、バス乗客は殆どバスに残って、出てきてもバスの周りをうろうろするだけだ。時間がないので城の前まで行って引き返す。庭まで入ったのは5~6人だった。左側のシートに座っている若いカップルが城を抜けて奥の方まで走って行った。まだ大学生のようなカップルで、いつもバスを降りると出発間際まで戻ってこない。バスの停まった直ぐ傍に市の教会があるのだが、中に入っている時間がない。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学へ留学

遠い夏に想いを-駅周辺  ヴュルツブルグで乗客が5~6人乗った。日本人の乗客も何人かいるが、皆な若い女性で、しかも一人旅というのが多い。ヨーロッパなどを旅していると、日本の個人旅行者は殆ど女性だ。出張でアメリカやヨーロッパに来るのは男性ばかり。日本の企業社会の年功序列をそのまま反映している。


 欧米でも、アジア諸国でも、個人の能力と役割は年齢と性別に関係が無いから、若い女性でも役割上必要ならどんどん海外に出て行く。日本では、そうは行かないから、女性は海外に出る機会を、休暇をとって個人旅行に求めるしか方法がないのかも知れない。


 バスは緑の森を抜け、視界の広い丘陵地帯を越えたと思うと、突然小さな古びた市街地を通り抜ける。この繰り返しと言っていい。これが単調で退屈だと思うか、素晴らしいと思うかはその人次第だろう。


 とにかく12時間で途中の町に停車しながら350キロ以上走る。バスに乗ったら直ぐ眠る人には最適なバスの旅だろう。ところで、ロマンティッシュ・シュトラーセといっても何がロマンティックなのか解らない。ドイツにはこの手の観光ルートが多数そんざいするらしい。この街道を「ロマンティック街道」と命名されているが、どこがロマンチックなのだろうか。日本人も多いとはいえ、色々な国の人達がこのバスに乗っている。むしろバイエルン旧街道と呼んだ方がよいのではないか。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学へ留学した記録のホームページにもどうぞ

 バスの運転手も気を利かして、もっと手前の橋を渡って市街地を抜けてくれればよいものをと思うが、そうも行かない。街の中央に通じるこの橋はアルテ・マイン橋という歩道橋だからだ。随分市街地を離れた次の橋を渡って駅へ向かった。小雨のなかをバスは駅前に止まった。どうもここから乗車する人がいるらしい。


遠い夏に想いを-駅前通り01  「15分ばかり停車するから、駅のトイレへ行くなり、街を見物するなりご自由に」とガイドに言われても、トイレに行く時間はあるが、街に行く時間などない。ヨーロッパでは、駅は街の中央ではなく外れにあるのが殆どだ。


 結構大きな街だし15分で駅から歩いて市内見物をするのは不可能だ。おまけに、まだ小雨が降っている。






遠い夏に想いを-駅前


 それで2人で駅前の通りまで出てみた。駅前は広場になっており、中央に小さな噴水がある。そこに街の守護聖人である聖キリアンの像が立っている。聖キリアンは7世紀の終りにアイルラドから布教のためにこの地にやって来た聖職者である。キリアン聖堂がある市街地はここから10分は歩かないと行けないから、駅前から街の景観を眺めて写真に収めるしかない。


遠い夏に想いを-駅前通り02  ヴュルツブルグは戦争で街の中心部の90%を破壊された。戦後、昔のままに復元した街であるという。現在の人口は13万人。駅前から遠くを見ると、この街は結構見るべきところが多いようだ。


 モーツアルトは1790年に、前述のレオポルド2世の神聖ローマ皇帝の戴冠式にフランクフルトへ行ったが、途中にヴュルツブルグを訪れている。ウィーンのコンスタツェ宛ての手紙の中で「ヴュルツブルグは綺麗で壮麗な街だ」と誉めている。ミュンヘンのロココ様式が美しいニンフェンブ城を好んだところをみると、彼はロココ様式が美しいこの町が大好きだったようだ。ザルツブルグの町にも似ていたのだろう。彼の音楽にも装飾音符を多用したロココ調の軽快・繊細・優美さが満ち溢れた曲がたくさんある。


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遠い夏に想いを-ヴュリュツブルグ  最初にバスが停まった街はヴュルツブルグ。マリエンベルク要塞側の崖の縁を通る。右下にマイン川を時おり眺めながらバスは下りて行く。崖からの街の眺めは素晴らしい。マイン川の向うに聖キリアン大聖堂の二つの尖塔が聳え、更に、その右手には聖ペテロ・パウロ教会のババリア風の塔が見える。


遠い夏に想いを-マリエンベルグ  谷の左上後方にマリエンベルク要塞が望める。要塞が街を見下ろしている。13世紀頃は街を治めていた司教の住居だったらしい。


 12世紀に司教座がおかれ、ザルツブルグのように司教が領主となって統治した。坊主の支配というのは、レジデンツなどを作って思いのほか贅を尽くすが、融通のきかない厳しい時代だったろう。外敵の侵入に500年以上も耐えたのだから要塞の一つや二つは必要だったろう。


遠い夏に想いを-橋  ガイドが色々と教えてくれる。1620年代のヴュルツブルグは魔女狩りが最もひどいところで、町だけで200人以上が魔女狩りで犠牲になったとか。



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 今日は朝から小雨が降り、9月の中旬で、7時半だというのにまだ薄暗闇だ。肌寒い。風体の怪しい男達がうろうろしている駅前通りを、荷物を引きながら急ぎ足で進む。今日は月曜日なので、勤めに出掛ける人達がちらほらいるだけ安全だ。


遠い夏に想いを-バス停  駅前のバス停が乗り場と指定されている。まだ誰も来ていない。私達が一番乗りだ。バスはまだ来ていない。5分ほどして、初老の日本人の夫婦がやって来た、男性は旅馴れた感じだが、女性の方は殆ど口を利かない。定年を機会にドイツ・オーストリアを夫婦で廻ると言う。ミュンヘンではオクトバー・フェストを楽しみにしているらしい。







遠い夏に想いを-バス01

 出発の10分前に、やっとバスが来た。白塗りの車体に『Touring』と大きくロゴが書いてあり、前と真ん中にドアがある。運転手と女性のガイドが下りて来た。運転手は背丈が小さく気のいいフランス人タイプ。ガイドはやはり小柄で英語が流暢である。そして、こまめに働きまわる国籍不明の女性だ。


 バスは小雨の中を走り始めた。中部のフランクフルトから南のミュヘンまで350キロくらい走るのだから、天候は晴れてくるだろうとの勝手な想像をしたが、あっさり裏切られ、ミュヘンに着くまで殆ど小雨が降り通しだった。


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