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遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

遠い夏に想いを-ホルバイン橋  帰りはこれも歩行者専用のホルバイン橋を渡って対岸へ戻った。ホルバイン橋は1990年に出来た架橋タイプの橋で赤や青に塗られている。シュテーデル美術館と対岸を結ぶのでホルバイン橋と名付けられたのだろう。



遠い夏に想いを-市内

 この橋から駅裏の新市街地が望める。フランクフルトの新観光地区として売り出し中の高層ビル群である。


遠い夏に想いを-ユーロ-タワー  ヨーロッパ中央銀行がフランクフルトのユーロタワービルにに置かれていて、欧州の経済中の心地なのだ。


 明日の朝8時にはバスでロマンチック街道を南下する予定だ。明朝は慌てるのが嫌だから、今日のうちにバスの乗り場を確認しておいた方がいいだろう。


 夜は寒いのでリゴレットどころではない。やはり教会での演奏会も諦めた。旧市街の方に行けば古くて美味しいレストランもあるだろうが、寒くて外出する気にもならない。旅先では、夜遅くなったり、疲れて食欲がないときなど、ハンバーガー店に入って済ませることもある。


 今晩は、仕方がないので、一階のタイ料理店へ行き、タイ米にビーフのソテーとインゲンのシチュウをかけて食べた。これが、結構、美味しいので驚きであった。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学へ留学した記録のホームページにもどうぞ

 シュテーデル美術館には、バルトロメオ・ヴェネトの『フローラ』(女性理想像)と呼ばれる絵がある。真偽のほどは判らないが、『ルクレチア・ボルジョア』の肖像画といわれるもので、これを見た瞬間、「あっ」と小さな声を発し、思わずドキッとする。「あの絵がここにあるなんて!」という驚きである。


遠い夏に想いを-Flora

 表題にはルクレチアのルの字もない。従って、この絵がルクレチアだという証拠はない。12号くらいの小さな絵だが、不思議な魅力がある絵だ。少女のような左の乳房が白い衣装から露わになり、右手に小さな花束をかざして、こちらを見つめるほっそりした女性の清楚だが冷たい表情はかすかな色気を匂わせている。思わず、その場に立ち竦んでしまうほどだった。


 ルクレチアの父はスペイン生まれのローマ教皇アレクサンデル6世、ローマカトリックが最も腐敗していた頃で、好色で戦闘的であった。兄は悪名高いチェザーレ・ボルジア。彼女は度重なる政略結婚に翻弄され続けて39歳で亡くなった。『世界悪女物語』(澁澤龍彦・河出文庫)の表紙にこの絵が使われている。


 レンブラントやルーベンス、ホルバイン、ブリューゲル、カナレットの有名なヴェネツィアの大作もあり、ボッティチェリのマドンナやマンテーニャまである。それに、以前紹介したティシュバインの『ローマのゲーテ』の本物がある。だがフランドル派の絵画が多いのが目立つ。


 更に、フェルメールの『地理学者』まである。フェルメ-ルの絵は世界中に30数点しか残っていないから、物凄く貴重な絵画である。


 小さいながらとてもいい美術館だ。全部見てもさして時間が掛らない。シュテーデルを出た時はまだ夕暮れまでは充分に時間があった。



 シュテーデル美術館が改装されることになり、これを機に主要な絵画を日本に貸し出すことになった。展覧会が3月3日~5月22日の期間、東京渋谷のザ・ミュージアムで開催されている。フェルメールの『地理学者』の絵も展示されている。但し、『フローラ』は来ていない。


遠い夏に想いを-Ticket

遠い夏に想いを-地理学者

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 アイゼルナー橋を渡って対岸へ出る。ザクセン地区へは行かず、右に折れて真っ直ぐ河沿いにどこまでも歩く。まだ時間があるのでシュテーデル美術館を見るつもりだ。緑が多い。木によってはもう黄色の葉を付けている。丁度、パリのセーヌ河畔の右岸をアレクサンドル三世橋からコンコルド橋へ歩いているような錯覚を覚える。


遠い夏に想いを-対岸

 1878年にマイン川のこちら側のシャウマインカイ通りに博物館・美術館を移したらしいが、通りには次から次と大小の博物館が現れる。


 手工芸博物館、ドイツ映画博物館、ドイツ建築博物館、ドイツ郵便博物館、民族学博物館と続き、正に文化地区と呼ぶに相応しいところだ。最後はシュテーデル美術館、1818年の開館だが、1878年にここの場所に全ての博物館が移設されると同時に新築されたそうだ。


遠い夏に想いを-シュテーデル

 正面に列柱を持った玄関があり、余り大きくない美術館なのが旅行者には有り難い。


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 レーマー広場からマイン河に来る頃には、雲が切れて少しずつ青空が広がり、太陽が顔を出すようになった。やっと秋らしい穏やかな天候が戻って来た感じだ。ここでマイン河の対岸に渡ることにする。


遠い夏に想いを-アイゼルナー  右手にフランクフルトの観光的象徴のアイゼルナー橋が現れる。100年以上前に架けられた旧式な鉄橋である。歩行者専用橋にしては、パリのポン・デザールやヴェネツィアの橋に比べても大袈裟で無骨な橋だが、かえって何となく可愛らしい橋という感じがする。


遠い夏に想いを-マイン河  橋からは豊富に流れる水と、対岸に19世紀の終りに建てられたドライケーニッヒ教会の塔が眺望できる。初秋の陽の光が降りそそぐなか、何とも言えない穏やかな眺めを楽しむことが出来た。










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 広場から一歩入ったところに文化センターがあり、そこに『Table Schirn』というレストランがある。天井が高くモダンな広い空間に客が溢れている。


 昼食をとりに入った。たまたま空いたテーブルに座った。太り気味だが愛敬があり、きびきびと動き回るウエイトレスが来たので、ファルファーレ(蝶々)のパスタを注文した。


 大きな皿に盛られたファルファーレの分量はほどほどで、味もまあまあ食べられる。何より、アルデンテとまではいかないが昔の日本のパスタ並みに歯ごたえがある。パスタは国によっては茹で過ぎてぐにゃぐにゃのものをだすから要注意だ。イギリスでは、イタリア人がやっているなら別だが、何でも茹で過ぎてしまう。茹でる国民である。


 ドイツは少しはましだが、オーストリアのパスタは最悪である。昔の日本のパスタより始末がわるい。オーストリアでも茹で過ぎの傾向がある。


 それにしても、ドイツは物価が高いと思う。イタリアのリラが安く感じたので、特別そう思うのかも知れない。パスタを2皿とミネラルウオーター1本で4,000円程度というのは、日本より安いとは言えない。消費税が日本の何倍も高いせいだろうか。でも、消費税はイタリアも同じく高いから、消費税の問題ではなかろう。


 ドイツでは生活が大変だろうと思う。だだ、ドイツ人は日本人のように安いものを買って無駄なお金を使わないと思う。高くても品質が良く長持ちのする品物を大切に使うイメージがある。日本のものが安いのは中国製品ばかりで、おまけに直ぐに駄目になってしまう。


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