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遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 まだ、時間がある。雨が降っているので、動き回るのが面倒になって来た。北国の短い夏の終りは、寒さが身にしみる。


遠い夏に想いを-通りで

 周りを見回すと、通りのパン屋の清潔で明るい店内が我々の足を引き止めた。
「時間が少しあるし、休んで行こう」と店屋に入った。


 熱いコーヒーで冷えた体を暖めたかった。パン屋は入って左半分がパンの売り場になっていて、右手の奥が喫茶室の入り口になっており、覗くと入り口の直ぐ左の席だけが空いていた。テーブルが7つくらいある。コーヒーを飲んでいるのは男性も女性も年配の人達だ。いかにも楽しそうな穏やかな様子で、喋り口もゆっくりとしている。こんなゆったりした生活も羨ましいが、多分、我々には無理かもしれない。


 店の女の子がオーダーを取りに来た。コーヒー2つに、ケーキが1つ。メニューなどない。ケーキはノッコが店へ戻って実物を指差したらしい。ところが、いつまで待っても持ってこない。ゆったりもいいけど、時間に制限のある身にはいつまでも来ないのは困る。


 店を覗いて督促すると、「今っもって行きます」という振りをする。やや暫くして、背の高いコーヒーカップとケーキを持って来た。時計を見るとまだ15分あり、そう急ぐことはない。背の高いコーヒーカップはローテンブルグのパン屋で出てきたコーヒーと同じだ。この地方のパン屋ではどこでもこうゆうカップで出すのだろうか。コーヒーの量も背の高い分多いし、味もかなりイタリアコーヒーに近い濃い味だから、15分で飲むには少し大変だ。でも、コーヒーは旨いし、ケーキも美味しかったから、傘をさしながら、町を歩くよりも素適な時間を過ごしたと思う。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学へ留学した記録のホームページにもどうぞ

 普通、古い町にはマルクト広場と呼ばれる中央広場があるが、この町にはマルクト広場がない。小さな広場があるだけだ。小雨がぱらついているので、周囲の建物はよく見られないが、ドイチェス・ハウスと呼ばれる15世紀初頭の7層の木組みの家を挟んで5軒ほどの古い家が並ぶ。みな切り妻屋根が美しい15世紀から16世紀に建てられた民家だ(前回のブログ参照)。イギリスに点在するチューダー朝の木組みの家もそうだが、ヨーロッパの木組みの民家は、実際にそこで生活しながら残っているので、素晴らしいし、驚きである。日本の古い民家は大抵が人の住まない建築物と化している。


遠い夏に想いを-ゲオルク教会
 斜め向いの聖ゲオルグ教会は13世紀のロマネスク風の四角い塔を持つ、15世紀中葉に建てられたゴシック様式の建物だ。塔は無骨だが、どっしりと重量感のある姿をしている。


遠い夏に想いを-祭壇

 教会の中は意外と明るく、さすがに天井が高い。一段上がったところに、キリストの磔刑の主祭壇がある。


遠い夏に想いを-側壁02

 側廊に聖母マリアの祭壇があり、その前に並ぶベンチに座って祈っている人達がいる。どこの教会でも聖母マリアは人気がある。人気があるというのは言い過ぎだが、キリスト教の教義にない、ローマ・カトリックも認めていないマリア信仰の根強さがはっきりと見える。


遠い夏に想いを-側壁01


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 小さな村や緑の丘を抜けて一時間ほどバスは走った。次に停車したのはディンケルスビュールという町だ。


遠い夏に想いを-dinkelsbuhl
[右から2軒目の家が「ドィチェハウス」町で一番木組が素晴らしい ]


 ローテンブルグでは30年戦争で市長がワインの一気のみで町を救った話しは有名だが、ここディンケルスビュールも30年戦争で散々痛めつけられた町だ。


 カトリックとプロテスタントの争いは宗教問題というより、ヨーロッパの勢力争いだから一歩も譲れないのだ。ここにも一つの逸話がある。


 カトリック側のスウェーデン軍が町を占領し、大将が町中の人間を一人残らず殺すと宣言する。一人の少女が町の子供達を引き連れて敵の大将のところへやって来る。そのうちの一人の男の子が前に進み出て、街を救ってくれるようにと哀願する。大将は息子を亡くしたばかりだった。その少年が息子に生き写しだった。それで大将は町の破壊と殺戮を思いとどまったという。


遠い夏に想いを-gate01

     [ 特徴のあるデザインの”ゼーグリンゲン門” ]


 小さな町だがローテンブルグより落ち着いて}いて遥かにいいところだ。ローテンブルグは、フランスのブルターニュのディナンなどと同じように観光で食べている町だが、ディンケルスビュールにはそうゆう感じがない。遠い夏に想いを-gate02


 周囲を城壁で囲まれていて、門が4っある。その城壁の外側にはヴェルニッツ川が流れている。古くて落ち着いたきれいな町だ。

                   [上は残り3つの門]

 ここには50分ばかり停まるので、充分時間はある。城外に出て川の景色を見て廻る時間はないが、町の中心部くらい見る時間は充分あるだろう。

                         

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 教会を出る。雨が一段と激しくなって来た。時間も迫ってきて、出発の2時半まで15分くらいしかない。来た道を急いで歩いた。


 ローテンブルグに着く前にガイドが注意事項を述べていた。その中に、バスに乗り遅れたらどうするかというのがあった。


 日本の乗合観光バスなら客が遅れても待っているだろう。例え、他の乗客の迷惑になってもだ。大体、バスに乗り遅れるのは常連がいて、停まる度に、ぎりぎりか遅れて来るものである。


「遅れたら、バスは待っていないから、汽車に乗るかタクシーを捕まえるかどちらかだ。汽車でなら、ローテンブルグは支線だから2度ほど乗り換えてアウグスブルグでバスの到着を待つこと。汽車が面倒ならタクシーでアウグスブルグへ出ること。ただし、タクシー料金はかなり取られるのを覚悟すること」


 女性のガイドは半分真面目な顔で話した。ローテンブルグでこのバスガイドは交代して去っていった。代りにアラブ系の男性がガイドとしてついた。


 出発時間になっても隣の若いカップルが戻ってこない。運転手がアクセルを踏んでバスが出発した途端、2人はバスの扉を叩いてハーハ-いいなら飛び込んできた。


 自分達の席には既にアメリカ人の中年女性が座り込んで動こうとしない。中年女性のおばさん振りは日本もアメリカも同じだ。若いカップルは自分達のバッグ等を席からとって、後ろの方へいってしまった。



 それから、アメリカのワシントンで会議があり、最終日に参加者全員がバスで市内観光をした。ヴェトナム戦死者の墓が続くところで、韓国人参加者がバスに遅れた。人混みでバスはゆっくり動いていた。突然、バスのドア叩く者がいる。遅れた韓国人だ。運転手は気がついて直ぐに停車した。


 どちらがいいのか。いま東北大震災で日本中が団結している。出発に間に合わない乗客を待つ日本人か、待たない欧米(中国も)の個人主義か。


 この違いはどこら来ているのだろうか。40年前によく言われていたが、日本人は農耕人族で同一性がある。だから一斉に作業をし、団結し、落伍者をださない。ある意味息苦しいのだ。欧米は狩猟民族で多様性がある。個人主義だ。


 "United we stand”というキャンペーンがアメリアにあった。”団結しょう”だ。日本で”団結”などと叫ぶのは共産主義者くらいだ。


 大震災で日本人はこの団結力を示している。だがいい面だけでわない。官僚は”親方日の丸”で年金団体まで別にしている。ビジネスをする時、どんなに有効でも、新しいものを認めず、実績とか付き合いを優先する。海外では良いものは良いと認めるので、海外で売って、日本に逆輸入する。


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 今日のように雨が降ったり止んだりだと、どうしても建物の細かいところは見逃してしまう。聖ヤコブ教会も狭い空間に、突然、空に聳えている。典型的なゴシック様式のこの教会も狭い空間を空へ空へと天高く垂直に伸びて行く。


遠い夏に想いを-祭壇
 15世紀中葉に完成したこの教会には東西に主祭壇を2っ持った珍しい様式だ。だから、両サイドの壁面はステンドグラスが一面にはめられている。教会への入り口は横の方にある。ここにもクレクリンゲンのヘルゴット教会にあるマリアの祭壇と同じ作者、リーメンシュナイダーの「最後の晩餐」を彫り込んだ祭壇がる。やはり、白木の素晴らしい彫刻だ。


遠い夏に想いを-教会の祭壇

 教会の正面にあたる上の写真はリーメンシュナイダー派の制作者によるもので、「12人の使徒」の祭壇。


 更に、東西両翼にも素晴らしい彫刻の祭壇があり、なかなか立派で荘厳な教会だ。時間がないので聴けなかったが、ここのパイプオルガンは響きがよいそうだ。


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