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遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 アウグスブルクの雨に濡れた緑の森や林を抜けて、バスは一路最終地ミュンヘンへ走る。既に周りは闇に包まれている。町の明かりがだんだん増えてきた。やがて、バスはミュンヘンの中央駅の北側の路側帯に停車した。バスの運転手やガイドや乗客に別れを告げて、駅に沿って西に歩き出した。


遠い夏に想いを-ガード下
 ガード下まで来て、右か左か迷ってしまった。ホテルはパウルヘイセ通り24番なのだが、暗くて道路標識が読めない。殆ど通行人がいなく、たまに来る人に聞いても判らないと言う。感じでは、ガード下を通って左に抜ければパウルヘイセ通りに出そうに思うのだが、ノッコは右側ではないかと言うし、今では私の勘とやらも当てにならないので、駅に行って誰かに聞けば判るだろうと、再び、バッグを引いて駅の中へ入っていった。


 帰宅途中のサラリーマン風の人達に聞くが、英語の通じない人、通り名が判らない人とさまざまだ。遂に、1人の男性が「左手の通路を抜けて、駅の中央に行きなさい。そこにインフォーションがあるから」と教えてくれた。200メートルは歩いただろうか。ヨーロッパの中央駅駅はどこも広い。駅のホーム入り口に案内所があり、制服を着た若い男が「真っ直ぐ行って左に折れるのさ」とあっさりと答える。


 「やっぱり、左だったよ」などと言ってはいけないのだ。なにせ、『間違っても怒らない、腹を立てない、責めない』をモットーにして旅行をしているのだから。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学へ留学した記録のホームページにもどうぞ

遠い夏に想いを-駅  アウグスブルクに停車したとはいえ、10分程度だからこの大きな町を見て廻る訳にも行かない。とにかく、疲れた体をリフレッシュするために、背伸びするくらいが精一杯だ。日は暮れていないが、雨のためか、町には明かりが点り始めていた。(右:アウグスブルク駅)


遠い夏に想いを-バス  バスで通りを抜けて行くだけで、町の美しさが手に取るように判る。時間があったら、アウグスブルクには一泊したいくらいだ。15世紀の豪商フッカー一族が現在の町の原形を築いたといわれている。16世紀にヤーコブ・フッカーが作ったフッカーライと呼ばれる慈善事業で貧民のための町があるという。ただ、戦争で大半を破壊されたらしく、現在は部分的に再現されて保存されているらいい。(右:運転手と写真)


 街並みはフィレンツエにも劣らない美しさだ。ロマンチック街道沿いの小さな古い町とは余りにも違うのでそう感じるのかもしれないが、一度は住んでみたいところだ。


遠い夏に想いを-街  この町からは画家のホルバインが出ているが、モーツアルトとも何かと関係が深い。父親のレオポルドの故郷であるが、ザルツブルグみたいにモーツアルトで町を売り出していない。しかし、レオポルドの生家がモーツアルト記念館になっているらしい。10分程度の停車ではモーツアルト記念館にも行けない。(上:アウグスブルクの駅前広場)


遠い夏に想いを-ペン画  従妹のベーズレ(本名テークラ)もこの町に住んでいた。彼女を描いたモーツアルトのペン絵(右図)が残っている。『わがいとしのいとこさまへ』で始まるウンチの言葉がいたるところで使われる手紙が「ベーズレ書簡」として残っている。彼が卑猥であったわけではない。滑稽で卑猥な言葉で綴った手紙を受け取った当人が笑い転げていたに違いない。実際モーツアルトは『おれの尻をなめろ』(K231)と題した歌まで作っている。茶目っ気たっぷりである。


 パリへの途中、モーツアルトが新しいピアノを求めて訪れたピアノ製造業者シュタインの工房もこの町にあった。その後のモーツアルトのピアノ曲に多大な影響を与えている。


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 いよいよ、ロマンチック街道も最後の町に向けてバスは走り出した。相変わらず、雨は降ったり止んだりだ。アウグスブルクは美しい街だ。中央駅前にバスは停車して、フッセン方面の乗客が大勢降りた。ロマンチック街道はヴュルツブルグからフッセンまでの街道をさすらしい。フッセンの手前のシュヴァンガウにはかの有名なノイシュヴァンシュタイン城がある。今回、この城へは行かなかった。


遠い夏に想いを-チラシ  92年の10月にノッコはこのお城に団体旅行でやって来た。後にも先にも初めての団体旅行だった。前にも書いたが、その年の夏に小田急デパートが行ったキャンペーン『アルザスワイン街道の旅』がそれ。


 ある日、抽選場に立ち寄ったノッコは例の町の催し物などでやるカラコロと音を立てる抽選機を回した。幾度か回した時、周りの係りの人達が騒ぎ出したらしい。どうせ、ティッシュくらいしか当たらないだろうと無欲だったらしい。「アルザスですよ」と叫ぶ係員に、キョトンとして意味が判らなかったという。


 こうして、姉や妹や姪を誘ってパック旅行に旅立った。本人は勿論タダ、姉妹は小田急の割引適用で更に20%安く旅行が出来た。


 ベルギーからアルザスへ行き、アルプスからミュンヘンを経由してベルギーに戻った。この時ノイシュヴァンシュタイン城を訪問した。ありきたりの旅行とは違って、パリへもローマへもロンドンへも行かずに、楽しい旅行をして来た。賑やかな団体旅行の上に、姉妹と姪の4人の女達だから如何に愉快な旅だったかは想像に難くない。


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 暫く走って、町に入ったところでバスは道路脇に5分ばかり停車した。トイレタイムらしいが、結構停まっている。停まるたびにトイレに行っていれば、どんなに近い人でも困らない。実際、12時間も乗るのだから、予備用のトイレがバスに付いているらいいが、ケミカル処理なので限度があり、極力使わないようにと最初の女性ガイドが説明していた。


遠い夏に想いを-ドナウヴェルト

 通りが大変に美しい町だ。建物はカラフルで優雅さがある。下りて写真をとった。町の名前はドナウヴェルト。何かロマンチックな名前だ。ヴェルニッツ川がドナウ川に合流する場所だという。


 ドイツ南部から延々と東に流れて、最後はルーマニアでドナウデルタを形成して黒海に注ぐイメージは何となく描けるが、前にも触れたディンケルスビュールの町の傍を流れるヴェルニッツ川と合流すると言われてもちょっとイメージが湧かない。それにドナウは渡らずに、川も観ずにバスが走り出してしまったので、名前はロマンチックで通りは美しくとも、何か物足りない感じだ。


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 バスはデインケルスビュールを予定通り出発した。バスが進むにつれて視界が開けてきた。


 バスのガイドがここの自然環境について説明している。調査によると、1,500万年前にこのあたりに直径1,000メートルの巨大な隕石が衝突したらしい。だから、直径25キロの盆地ができたというのだ。これは宇宙飛行士が確認しているらしい。


 その盆地の真ん中にネルトリンゲンの町がある。町には拾い集めた隕石を展示している博物館もあるとのこと。バスは町の西側1キロ程の道路を通過していった。


遠い夏に想いを-ゲオルク教会  雨が上がって来た。町の中央に聳える聖ゲオルク教会の90メーターはあろうという塔の威容が遠くから見える。













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