アウグスグルク - 045 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

遠い夏に想いを-駅  アウグスブルクに停車したとはいえ、10分程度だからこの大きな町を見て廻る訳にも行かない。とにかく、疲れた体をリフレッシュするために、背伸びするくらいが精一杯だ。日は暮れていないが、雨のためか、町には明かりが点り始めていた。(右:アウグスブルク駅)


遠い夏に想いを-バス  バスで通りを抜けて行くだけで、町の美しさが手に取るように判る。時間があったら、アウグスブルクには一泊したいくらいだ。15世紀の豪商フッカー一族が現在の町の原形を築いたといわれている。16世紀にヤーコブ・フッカーが作ったフッカーライと呼ばれる慈善事業で貧民のための町があるという。ただ、戦争で大半を破壊されたらしく、現在は部分的に再現されて保存されているらいい。(右:運転手と写真)


 街並みはフィレンツエにも劣らない美しさだ。ロマンチック街道沿いの小さな古い町とは余りにも違うのでそう感じるのかもしれないが、一度は住んでみたいところだ。


遠い夏に想いを-街  この町からは画家のホルバインが出ているが、モーツアルトとも何かと関係が深い。父親のレオポルドの故郷であるが、ザルツブルグみたいにモーツアルトで町を売り出していない。しかし、レオポルドの生家がモーツアルト記念館になっているらしい。10分程度の停車ではモーツアルト記念館にも行けない。(上:アウグスブルクの駅前広場)


遠い夏に想いを-ペン画  従妹のベーズレ(本名テークラ)もこの町に住んでいた。彼女を描いたモーツアルトのペン絵(右図)が残っている。『わがいとしのいとこさまへ』で始まるウンチの言葉がいたるところで使われる手紙が「ベーズレ書簡」として残っている。彼が卑猥であったわけではない。滑稽で卑猥な言葉で綴った手紙を受け取った当人が笑い転げていたに違いない。実際モーツアルトは『おれの尻をなめろ』(K231)と題した歌まで作っている。茶目っ気たっぷりである。


 パリへの途中、モーツアルトが新しいピアノを求めて訪れたピアノ製造業者シュタインの工房もこの町にあった。その後のモーツアルトのピアノ曲に多大な影響を与えている。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学へ留学した記録のホームページにもどうぞ