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遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 やがて、列車がザルツアッハ川を渡る。川の流れは豊かで、川の向こうに旧市街が望める。


遠い夏に想いを-鉄橋


 間もなくザルツブルグの駅に着いた。ザルツブルグは8月下旬の音楽祭も終って、9月に入ると駅の構内も閑散としている。


遠い夏に想いを-駅

 外に出ると、もう乗客は殆どいなかった。バスに乗って街まで行きたいのだが、不案内でバスは諦らめた。タクシーを拾って旧市街まで行くことにする。
「旧市内のアム・ゴルードってホテル知っている?」
「ああー、ペンションでしょう」


遠い夏に想いを-旧市内
 
 駅は旧市街から離れている。ミラベル庭園を右手に見ながら市街地を走る。6分ほど走ってシュターツ橋に出る。川の水は雨水を溜めて悠々と流れている。こんな山間の川なのに、日本のとはまるで異なる。視野が開けて、正面に一段と高く城が聳えている。街の塔や街並みが目に入る。


 シュターツ橋を渡って、ザルツアッハ川に沿って走る。モーツアルト広場を抜けてゴールドガッセの入り口でタクシーは停まった。
「この奥だ。そらそこだよ」運転手が叫んだ。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学へ留学した記録のホームページにもどうぞ


 そろそろ、中央駅に戻る時間だ。地下鉄に乗って駅まで行き、荷物をとってホームまで行く。15時37分の定刻に鈍行列車は出た。1時間45分ほどの汽車の旅である。


 ミュンヘンでは見たいところに、殆ど入れなった。こんなことは、過去には、イタリアのフェラーラに行った時いらいだ。この時はスキファノイア宮とロメイの家だけで、エステンセ宮もディアマンティ宮にも入れなった。何かひたすら歩いた記憶だけが残っている(フェラーラはここ)


 コンパートメントには中年の女性ばかり。我々は通路側に座った。私の隣には異常に太った女性で白の上下を着ていて一番若い。ノッコの前に座ったのは中肉中背の女性で、髪は栗毛色、ズボンとジャンパー姿だ。その隣が帽子を被ってドレッシーな装いで、大儀そうに座って本を読んでいる一番年配のご婦人。全員が口を開かない。駅で一人が下りると、「ビーターゼン」と小声で言うだけ。


 イタリアの鉄道とまるで違う。イタリアでなら、知らない中年女性が五人、車内で一緒になったら、喧喧諤諤で賑やかな状態になること請け合いだ。


 通路側の車窓からしか外の景色は見えないか、不思議とイタリアの景色に比べて何処となく魅力がない。イタリアより遥かに北の土地を旅しているのにどうしたことか。緑の景色は北緯45度より北でないと美しくないと思っているのに。景色が余りにも短調なのだ。


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 市庁舎の近くのその店は、地下全体が楽譜売り場になっていた。すべてクラシックの楽譜だ、種類はそんに多くはなく、本郷のアカデミアよりも遥かに小さい。これからウイーンで楽譜は買う予定だから、ここでは珍しいものだけにした。


 まず、楽譜の並べ方だが、日本と大分違う。日本だと書籍と同じく縦に並べているが、こちらではピアノ、弦楽、室内楽などに大分類されており、さらに作曲家別、曲のカテゴリー別は日本と同じだが、平積みになている。冊数が多いと探すのに大変である。しかし、地下の暗い雰囲気が何ともクラシッ的だ。


遠い夏に想いを-歌劇場

 ここからティアティナー教会の方角へ、レジデンツ通りを北へ向かう。11月の新しい時期に向けて、州立歌劇場はは工事中である。正面入り口付近は工事で近寄れない。


遠い夏に想いを-ティアティーナ

 真っ直ぐ進むと、黄色の聖堂の塔が二つ見えて来た。19世紀の中頃に建てられたティアティナー教会だ。ここも中に入れない。閉ざされた入り口の扉の小さな窓から中を覗く。


遠い夏に想いを-レジデンツ

 ここからレジデンツの裏庭をぶらついて、レジデンツを一周して右側から抜ける。レジデンツの入り口も閉まっている。


遠い夏に想いを-食堂

 市庁舎に戻って、昼食をとりに市庁舎の食堂へ行った。ここは安くていい。ボリュームもあり味もまあまあだからお奨めだ。勿論、セルフサービスなのは致し方ない。だが、フアースト・フード店よりはましだ。


 ミュンヘンにはツキがない。以前にもフィレンツェからミュンヘン空港へ飛び、ロンドン行きの飛行機を待ったが、遂に飛行機は3時間半も遅れて飛び立った。おかげで、ロンドンで日本への便に間に合わず、ロンドンで一泊することになった。どうもミュンヘンには縁がない。


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 デパートを出て、今度は聖母教会へ行く。頭に玉ねぎの穂を載せたような塔が二つ、街中の狭い敷地に見上げるように立っている。15世紀の終りにほぼ完成された聖堂である。まるで、いま買ったばかりのベレー帽を被ったような姿はバイエルン地方独特だ.


遠い夏に想いを-聖母教会
 アメリカのビールの街ミルウォーキーにもこの二つの塔を持った教会(下の写真)がみられる。ミルウォーキーにもバイエルンから来た人達が大勢いる。


遠い夏に想いを-ミルウォーキー

 建築材が不足して、大量のレンガを積み上げた建築物だ。イタリアなら大理石を使うだろう。しかし、大理石でなくとも、この聖母教会はフィレンツエのドゥオーモの美しさに決して劣らない。内装はゴシック様式だが柱のデザインは柔らかな装飾が施され、何ともいえない美しさだ。


遠い夏に想いを-堂内

 堂内は意外と明るい。ステンドグラスは赤と黄色と青だが、赤と黄だけが印象的に目に焼き付いている。ローテンブルグのザンクト・ヤコブ教会の主祭壇側のステンドグラスと同じ色彩感覚だ。


遠い夏に想いを-ステンドグラス01

遠い夏に想いを-ステンドグラス02

 聖母教会の裏手に楽器屋がある。行ってみることにする。建物は店舗部分が真新しい白木に飴色のニスを塗っただけのシンプルなものだ。古い街にはこれだけでも新しい感覚になる。二階も廻ってみたが楽譜らしいものは置いていない。店員に聞くと、楽譜はミュンヘンの市庁舎の裏手に店があり、そこで扱っていると言う。そこはここと同じ経営だと言って、印刷した地図片をくれた。店を出る前に、一階でお土産にミニチュアのチェロのを買った。弦は張ってあるが音はでない。


遠い夏に想いを-チェロ

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 先ずは、新市庁舎前の広場から見て歩く。ここがマリエンプラッツ。ミュンヘンは戦争中に市の半分は被害を遭っているのだが、こうして昔ながらの景観と雰囲気を再現した市民の努力に感謝、実に素晴らしい。


遠い夏に想いを-市庁舎広場

 ヨーロッパはどこの街でも、戦争で壊されても昔どうりに街を再現する。トカゲがシッポを切り落とされて、また、元通りになるように。単に、懐かしいからとか、観光客を呼び寄せるとか、そんな理由ではないだろう。街が彼らのアイデンティティだからだ。


 日本で古い町並みを保存する、といっても、地震国では無理なのかもしれない。白川郷など例外中の例外である。生活の不便さを耐え忍ぶか、楽しまなければ住んでいられない。


 地中海でもトルコ、ギリシャ、イタリアに渡って大きな断層が走っている。だから、地震がよく起きる。それでも近代的な町作りは考えない。


遠い夏に想いを-新市庁舎


 とんでもない方へ脱線してしまった。11時が近づくと市庁舎に人が集まって来た。案内書をきちんと読んでいないから、何が起こるのか判らない。11時10分前頃に市庁舎の下の舞台で人形が動き出した。


遠い夏に想いを-時計
 カリオンの音は少々音程が悪いが、これがまた人形の動きにピッタリだ。広場には人がどんどん集まってくる。雨が降ってきたので、向いの店屋の軒先に立って見上げる。11時少し前に、上段の人形が動き出す。動き出してから止まるまで20分ほど、童心にかえって楽しんだ。いつの間にか、雨も上がって少し暖かくなって来た。


遠い夏に想いを-デパート  市庁舎の近く、左手にデパートがある。マックス・ヒーバーという、洒落た感じのデパートである。婦人ものの売り場へ行き、ノッコのためにコートを探す。安いもので70マルクか100マルクである。バーゲンものでも50マルク程度で、今回の旅行中だけ着ると思えばこれで充分である。結局、92マルクのコートを買う。帽子の売り場で、ベレー帽のバーゲンを見つけた。今まで帽子を被りたいのだが、顔が大きくて、いろいろな形の帽子を試してみてもノッコには似合わない。ベレー帽くらいしか似合わない。こげ茶の少し厚みのあるベレー帽を買った。以後、天気が悪い時、寒い時はこのベレー帽を愛用する。どうゆう訳か、人々が振り返って見て行く。


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