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遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 城の屋上をぶらついてみる。といっても時間が時間だからみな閉まっている。


遠い夏に想いを-大砲

 旧市街に向けた古い大砲がある。ここが単なる城ではなく、防衛のための城砦であったことが判る。


遠い夏に想いを-扉  まだ時間が早いと思ったが、コンサ―ト会場へ行ってみる。ケーブルカーを下りてから、暗くて狭い階段をかなり登った。更に、会場までは坂道を登らなければならない。扉があるが閉まっている。彫刻が飾ってある。大司教のようだが、誰なのか、古いものかよく判らない。








遠い夏に想いを-彫刻

 会場は城の最上階だ。待合室はガラーンとして洞窟といった雰囲気だ。まだ、3~4人がいるだけだ。壁は暗い灰色で電灯の明かりも薄暗い感じだ。壁に沿ってベンチがあり、座ろうとすると、アメリカ人の夫婦が声をかけて来た。


 「500シリング持ていませんか。ドイツマルクは持ているのですが。もしよければ交換してくれませんか。そこでお土産品を買おうと思ったのですが、ドイツマルクでは駄目だって言うものだから」
ご主人は年の頃が65才くらいで、おおらかで明るい顔をしている。奥さんは白髪が交じった栗毛で、活発で典型的なアメリカの主婦といった感じ。


 「ウイーンの空港でドイツマルクをオーストリアシリングに交換したっけ。率を覚えている?」
どうせオーストリアに戻ってくるのだからと、私がトイレに行っている間にノッコに両替を頼んでおいたのだ。
「覚えていないわ」
「うーん、そうだろうね。率は....えーと」
考えていると、主人が割り込んだ。
「お金のことかね。良いんだよ。私達も交換率を知らないしね」
彼はにっこりと笑った。ユーロ導入直前で、ユーロならそんな心配はせずに済んだのにと、今は思ってしまう。

 「ところで、英語が達者だが何処で覚えたのかね」
「昔、アメリカに住んでいました。ミネソタにね」
「えっ、ミネソタかね。私達はウィスコンシンから来たんだよ」
「ミネソタは何しに。いつ頃行ったの」
今度は奥さんが訊ねた。
「大学院に行ってました。もう30年以上も前の1970年から2年間」
「我々はウィスコンシン大学でね。マディソンの」
「実は、ウィスコンシン大学からもOKが来て、行きたかったのですが、なにせ、授業料がミネソタの倍でね、諦らめました」
「マディソンは綺麗なとこだよ」
「ええ、メンドータ湖の傍で、なかなか風光明媚なところですよね。シカゴの友人がメモリアル・デイに招待してくれたので、途中、マディソンに寄ってみました。今でもウィスコンシンに住んでいるのですか」
「今でもさ、良いところだからね」
「そうですね。食べ物はうまいし、何といてもチーズの国(Dairy country)ですからね」

 開演までには時間があったから、話しに花が咲いた。彼らはベンチを離れて再び売り場へ行った。ほどなく戻ってきて「カードが使えたよ」と言いながら、ウインクして会場へ消えて行った。旅行は偶然こうゆう人達に出会う機会を与えてくれるから楽しい。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学へ留学した記録のホームページにもどうぞ

 さて、7時15分を過ぎた。あの山の頂上まで登るには時間がかかるだろうと思いながら店を出た。外は夕焼けが迫っていた。レジデンツとドム(聖堂)の間を抜けて登って行く。いくら低いとは言ってもメンヒスベルグの頂上まで歩けば25分くらいかかる。ケーブルカーに乗ればあっという間に着く。時間が時間なのでケーブルカーに乗った。我々のほかに2名ほどしか乗っていない。視界がだんだん広がって、ザルツブルグの街全体が見渡せる。数分で到着した。


遠い夏に想いを-市街夜景

 外に出て、テラスに立った。日が暮れなんとする雨上がりの街が一望できる。何という景色だろう。空には重たい雲がたなびいているが、明るく見える地平線が遥か彼方に広がっている。手前に旧市街が広がり、その向うに新市街が望める。刻々と日が沈んでいき、暗闇が支配し始めると、街の明かりが徐々にその明るさを増して行く。


遠い夏に想いを-ザルツブルグ夜景2

 正面下に、ドゥオーモが夕暮れに霞んでいる。その左にフランツィスカイナー教会が、その手前の左真下にザンクトペーター教会が望める。ザルツアッハ川が銀色に輝きながら悠々と流れている。対岸にはミラベル宮殿も見える。何という眺めだろう。


遠い夏に想いを-お城夜景

 「ザルツブルグ」とは「塩の砦」を意味する。岩塩が取れる町である。この城、ホーエンザルツブルグ城は11世紀に町の防衛城砦として建てられ、15世紀末に当時の大司教コイチャッハによって、現在ある城に強化されたらしい。ザルツブルグはキリスト教の司教が治める都市国家であった。この小国の経済は当時貴重だった塩の売買であった。小さな国を維持するのに、周囲のオーストリアはバイエルンなどの大国との交渉を上手くやらなけならい。ナポレオン戦争でバイエルンに統合されたり、オーストリアに統合されたり小国の悲哀を舐めることになる。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学へ留学した記録のホームページにもどうぞ

 カフェで軽いものを食べて、腹ごしらえをして行くことにした。アルターマルクト広場に出て、カフェのトマッセリに入った。結構満員だが、奥の席が空いていた。淡いブルーの5階建ての建物で、奥行きのある室内で、右奥が厨房になっている。入り口と左側の壁は通りに面しており、夕暮れの外光が窓から差し込んで、室内はまだ明るい。席に座ると、中年のウエイターがベテランらしく身のこなしも軽々と注文を取りに来る。


遠い夏に想いを-カフェ

「メランジェを2つ。それから、ケーキも頼む」
「ケーキはあの女性のウエイトレスに頼んでください」


 白のブラウスに黒地のスカート姿で、すらりとした女性が『今行きます』という合図をして、ケーキをお盆に並べてやってきた。ここのシステムはコヒーとケーキは別扱いで、別々に販売するようだ。ケーキ代を彼女に支払って、これで今夜の夕食にありついた格好になった。

遠い夏に想いを-メランジェ

 コーヒーがきた。ザルツブルグでもウイーンでも、私たちはコーヒーをメランジェで通したが、味が店によって少々違うのに気が付いた。イタリアのカプチーノも店による違いはあるが、それに比べるとその差は大きい。ザルツブルグでもウイーンでも、水の入った小さなグラスにスプーンを乗せて、コーヒーと一緒にもってくる。なんとも洒落て可愛らしいのだが、ここトマッセリでも同じくコーヒーと水入りのグラスをスプーンを落とすことなく、ウエータが手際よくテーブルに置いて行く。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学へ留学した記録のホームページにもどうぞ

 ザルツブルグとウイーンに行ったら、毎晩コンサートかリサイタルだと決めていたので、直ぐに2階に下りていった。女の子が仕事を終えて帰るところで、ホテルの主人が番をしている。階段の壁にはポスターが色々貼ってあり、音楽会のスケジュールが会場毎に判るようになっている。ただ、曲目や演奏家が予告無しに変更になるので要注意だ。


「さて、音楽会のチケットって、何処で手に入れるの。ここでも予約できるの?」
「ここでも予約できるよ。カードより現金の方が手数料は安いけど」
余り背は高くない。45才くらいだろうか、髪は白いものが混じり始めた栗毛色で、白色のセーターを着て、ほっそりとした気軽な男だ。


遠い夏に想いを-お城

「お奨めは城で行われるコンサートかな、それに、ドウオーモの裏手の古い館で行われるコンサート付きの夕食会かな」
「それでは、今夜は手始めにお城の音楽会にしよう。代金はチェックアウトの時でいいのだね」


 チケットを貰って、ホテルを出た。6時半頃だが、夕食をとるには1時間くらいしかない。まともなレストランで食事する訳にはゆかない。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学へ留学した記録のホームページにもどうぞ

 細い路地を入って右側にペンションはあった。玄関の上に旗がかかっている。「AM GOLD」と黒地に金文字で小さな看板が軒先に突き出ている。


遠い夏に想いを-AM GOLD

 一階は左側が中華料理屋で、フランクフルトのホテルと同じくアジア料理と縁がありそうだ。
遠い夏に想いを-受付


 右側の階段を登って行く。2階に上がると目の前に小さな受付があり、中年の男が応対に出ている。全部で13室程の小さな宿だ。


  我々の部屋は4階で路地に面している。エレベーターに乗って、行き先の階を押すと、自動的にゴットンと動き出すのだが、各階の乗り口には扉があるが、エレベーターには扉がない。まだこんなものが在ったのかと、懐かしくなったが、目の前の壁が上下するので気をつけないといけない。パリの古い無星のホテルなどで、よく見かけるやつだ。こじんまりして、オーストリアのチロル地方にあるホテルのような雰囲気だ。


 おまけに、4階のエレベターの乗り場と部屋の前にはミニッテリーがついている。72年に泊まったパリのホテル・コンデにもミニッテリーが廊下や階段についていたので懐かしくなった(パリのホテルへ)


 当時、息子のチャオが6歳で、夜にホテルに戻ると、5階だがエレベーターはなく、階段を登らなきゃならない。階段は真っ暗で、ボタンを押して明かりを付ける。ボタンを押すのはチャオの役目だった。1分過ぎると明かりが消えるから、急いで階段を登り、次のボタンを押す。


遠い夏に想いを-部屋  昔の旅行は別にして、テレビのないホテルは初めてだ。オーストリアでは三ツ星になっている。確かに、毎晩、音楽会に行っていたからテレビがなくとも苦にならない。それに、ドイツ語だけだったらどうにもならないし。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
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