細い路地を入って右側にペンションはあった。玄関の上に旗がかかっている。「AM GOLD」と黒地に金文字で小さな看板が軒先に突き出ている。
一階は左側が中華料理屋で、フランクフルトのホテルと同じくアジア料理と縁がありそうだ。
右側の階段を登って行く。2階に上がると目の前に小さな受付があり、中年の男が応対に出ている。全部で13室程の小さな宿だ。
我々の部屋は4階で路地に面している。エレベーターに乗って、行き先の階を押すと、自動的にゴットンと動き出すのだが、各階の乗り口には扉があるが、エレベーターには扉がない。まだこんなものが在ったのかと、懐かしくなったが、目の前の壁が上下するので気をつけないといけない。パリの古い無星のホテルなどで、よく見かけるやつだ。こじんまりして、オーストリアのチロル地方にあるホテルのような雰囲気だ。
おまけに、4階のエレベターの乗り場と部屋の前にはミニッテリーがついている。72年に泊まったパリのホテル・コンデにもミニッテリーが廊下や階段についていたので懐かしくなった(パリのホテルへ)
。
当時、息子のチャオが6歳で、夜にホテルに戻ると、5階だがエレベーターはなく、階段を登らなきゃならない。階段は真っ暗で、ボタンを押して明かりを付ける。ボタンを押すのはチャオの役目だった。1分過ぎると明かりが消えるから、急いで階段を登り、次のボタンを押す。
昔の旅行は別にして、テレビのないホテルは初めてだ。オーストリアでは三ツ星になっている。確かに、毎晩、音楽会に行っていたからテレビがなくとも苦にならない。それに、ドイツ語だけだったらどうにもならないし。
Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学へ留学した記録のホームページにもどうぞ