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遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

遠い夏に想いを-ハイドン記念館
 大聖堂を出て、100メートル程向かい側にミヒャエル・ハイドン記念館がある。ヨーゼフ・ハイドンの5才年下の弟で69歳でザルツブルグで亡くなったが、ハイドンといえば日本ではヨーゼフ・ハイドンしか知らない人が多い。「魔弾の射手」で有名なウェーバーは彼の弟子だそうだ。私も不勉強で、ミヒャエル・ハイドンについてはCDを1枚持っているだけで殆ど知識がなかった。ザルツブルグに居を構えていたことと、モーツアルト家と親交があったくらいのことしか知らない。モーツアルトもこの人から学ぶ事が多かったし、尊敬もしていたという。ザルツブルグはハイドンの街でもある。


遠い夏に想いを-M.ハイドン  モーツアルトはK339のヴェスペレ(夕方の祈りの曲)の作曲に当たって、一部にミヒャエル・ハイドンからフーガを借用しているという。作曲数では兄に及ばないが、交響曲を41曲も書いている。セレナーデやディヴェルティメントもたくさん書いている。彼の曲は今では殆ど演奏されないので、CDて聞くしか方法がない。それでもCDに録音されている数は少ない。


 モーツアルトは少年時代にミヒャエル・ハイドンから多くのものを学んだ。弦楽五重奏などハイドンが病気になった時、代りに一部分を書いてあげたと言われる。ケッヘル番号が付いて残っているくらいだ。モーツアルトの弦楽五重奏は5曲残っているが、楽器編成はミヒャエルと同じで弦楽四重奏にヴィオラが加わる。ミヒャエルは7曲の弦楽五重奏曲を書いているが、これらを聞くとすごく楽しくなる。モーツアルトのK-74の五重奏の第一楽章はミヒャエルのへ長調の五重奏の第一楽章を彷彿とさせる。モーツアルトほど洗練されて感情が細やかではないが、明るく、リズミカルで楽しい。いかにも、ザルツブルグの音楽家、ウイーンでも郊外の田舎の楽しさがある。レントラー風のメヌエットなどが多く、田舎の人達が踊っている感じが何とも言えない。


 ハイドン記念館にはいてみた。半地下になっているが、一回りして、と言っても大変狭い場所なのでさして時間がかからない。出ようとすると、入り口のレセプションから初老の品のいい婦人に声をかけられた。『五時からのコンサート』があるから、よかったら是非といわれた。明日にでも時間があれば来てみようということになった。


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遠い夏に想いを-カテドラル


 レジデンツの先のカテドラルに入る。この大聖堂は素晴らしいの一語に尽きる。正面に噴水のある広場を持ち、教会の左右の塔は頭にねぎ坊主をのせた可愛いバランスの取れた姿をしている。8世紀に起源をもつが、17世紀にバロック様式で建て直された教会だ。イタリア人によって設計されたから華麗この上ない。



 オーストリアはカトリックの国だが、ザルツブルグはカトリックの司教が治める小国で、ローマのバチカンとも繋がりが深い。当時は、ザルツブルグでもウィーンでも、イタリア、イタリアで、音楽家などイタリア人でなければならない、という風潮だったようだ。



遠い夏に想いを-正面

 堂内に入ると、中央の席では大勢の信者達が歌の練習をしている。ここの教会にはヨーロッパ最大級のオルガンがある。オルガンはポリフォニーで、バロック時代のシンセサイザーのような物だ。このオルガンはモーツアルトの時代からある。彼もこの聖堂のオルガニストをつとめたことがあり、数多くのミサ曲を残している。



遠い夏に想いを-洗礼盤

 ここにはモーツアルトが1756年に洗礼を受けた洗礼盤が残っている。聖堂の正面にはキリストの昇天を描いた主祭壇が置かれ、その上には71メートルのドームが聳えている。広い聖堂なので1万人のミサが出来るという。



遠い夏に想いを-ドーム

 通称「戴冠ミサ曲」と言われているK317のミサ曲が1779年にここの教会で初演された。「戴冠」と付いているが、戴冠式のために作曲された訳ではない。後年、プラハでレオポルド2世の戴冠式がおこなわれたが、この時、映画「アマディウス」でお馴染みのサリエリがこの曲を指揮して以来、この名が付いたらしい。




 25分にも満たない短いミサ曲である。モーツアルトは13歳から17歳までオペラの作曲のために3度イタリアを訪れているが、ボローニャで世話になったマルティーニ神父に、「ザルツブルグではコロレード司教にミサは45分以内に終わらせろ、と決められて困っている」と、苦情の手紙を送っている。



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遠い夏に想いを-部屋  ゴールド・ガッセの小路に面した部屋の窓から狭い空を見上げる。今日も雨だ。空は明るい雲に覆われているとはいえ、時折小雨が降っている。今日一日はこんな北国冬特有の空模様だろうが我慢しよう。


 朝食をとりに2階へ降りる。エレベーターを下りて左手が20畳ほどの食堂になっている。日が入らないから朝から暗い。昔のパリのホテル・コンデがそうだったように、宿屋の主人がウエイターで、その母親が台所を仕切っているこじんまりした食堂だ。朝飯を食べに来ているのは一人か二人で、中国人だろうか若い学生風。パンとコーヒーと、頼めばオレンジジュース、くらいの簡単な朝食だ。これに比べれば、フランクフルトやミュンヘンのホテルの朝食は豪華なものだ。だが、パンとコーヒーがあれば我々の朝食には充分だ。


遠い夏に想いを-レジデンツ

 雨は小降りだが、出掛けることにした。小さい街なので一日あれば一周してしまう。先ず、近くのレシデンツからスタートする。レジデンツの2階に上がってギャラリーの絵をみる。中央の土産物売り場で傘を預けて中に入る。フランドル地方のバロック美術展が開かれていた。時間の関係でレジデンツの内部は見られない。改めて来ることにする。絵画はブリューゲルやルーベンスなど展示してあるものの期待したほどのものはない。


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 音楽が始まった。ザルツブルグの観光用の音楽会では、大抵、最初の曲は「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」から始まる。総勢8名。今晩はメンデルスゾーンの八重奏があるので全員が舞台に上がっている。アイネ・クライネ・ナハトムジークはモーツアルトが死ぬ4年前の31歳に作曲した後期の作品でポピュラーな割りに、美しく演奏しようとすると易しくはない。モーツアルトはセレナーデを何曲も作っているが、この曲は作曲当時に五楽章あったらしいのだが、今は四楽章しか残っていない。ヴァイオリンの第一奏者は金髪の女性で、かなりきちんと演奏するタイプだが、リーダー意識が強いのか、前へ前へとヴァイオリンが引っ張り過ぎる。



遠い夏に想いを-団員


 2曲目はモーツアルトの12番(K414)のピアノ協奏曲だ。8人編成で充分音は出るのだが、現代のピアノでは音が強すぎる。第一ヴィオリンが2名、第二ヴァイオリンが2名、ヴィオラが2名、チェロが1名、コントラバスが1名の合計八名だ。軽快な導入部に続いてピアノが入ってくる、いつ聞いても心地良い曲だ。モーツアルトはK413~K415の3曲の協奏曲は弦楽四重奏の伴奏でも演奏できるように作曲してある。我々も親しい仲間とこれ等の曲を弾いて、楽しんだことがある。当時の出版社の要求で、家庭での需要に応えたものらしい。





 3曲目は男性のヴォーカルでオペラのアリアを2曲。休憩をはさんで、最後の曲はメンデルスゾーンの作品20の弦楽八重奏曲でしめくくる。とにかく激しくて壮大な曲である。天才とは言え、メンデルスゾーンが16歳の時に作曲した曲である。時々この8人では収集がつかなくなりそうになるが、何とか無事演奏が済んだ。シーズンでもない音楽会だし、観光客向けのコンサートなのに、こんな大曲を演奏してくれるだけで楽しい。



遠い夏に想いを-臭い


 今日は長い一日だった。ミュンヘンの旧市街をみて、汽車でザルツブルグに来て、音楽会の一夜を過ごした上、今夜は夕食抜きになりそうだ。ケーブルカーに揺られて下界に降りた。あたりは暗闇に包まれている。レジデンツの前を通り広場を抜ける。
「ここは馬の臭いがする」
ノッコが突然言う。
「ああ、そうか。昼は馬車が待機して8いるからね」
雨上がりで道が濡れて、臭いがあたりに充満している。


 レストランは何処も開いていない。夜になって冷えて来た。開いている店の一軒や二軒あるだろうが、当てもなく探しに歩くほど若くはない。左手のアルターマルクト広場のトマッセリは閉まっていた。ホテルは直ぐだ。帰って寝ることにするか。




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 この音楽堂は建て始めてから丁度500年目にあたる。もとは「領主の間」として大司教レオンハルド・フォン・コイチャッハが祝祭用に作らせたものだ。フォン・コイチャッハは大変野心家の大司教だった。


 フォンと付いているが、貴族でもなでもない。地方の郷士の家系であり、農業の方が似合うのだが、坊主になったのが運のつき始めで、選ばれてザルツブルグの大司教に収まった。大変あくどい司教様で、善行などとは程遠く、領民をいじめた。ザルツブルグの歴代の大司教は支配者としてはみなあくどい連中で、かえってその為に600年も続いたのかもしれない。


遠い夏に想いを-会場1

 部屋は城の中央部の最上階にあって、窓からは街を見下ろせる。窓側にはねじり飴のような異様な形をした柱が四本ある。天井には長い梁が渡してあって17メートルもあるという。天井は濃い青色の中に一面に無数の金色の小さい玉が散りばめらている。夜空と星屑という趣向だろうか。


遠い夏に想いを-会場2

 椅子は10列ほどで、30脚くらい並んでいるのでいるので、300人くらいの入場者が入る。ほぼ満席だ。前の2列くらいが指定席になっている。


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