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遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 今日はスターツ橋を渡って川向うに行く。空は今にも雨が落ちてきそうな気配なので、傘を持って行くより仕方がない。


 スターツ橋の上から眺めるザルツッハ川はこのところの雨で、水嵩を増し、うねりを上げて流れている。橋を渡りきると、プラッツル広場があり、ここから登り坂になっている。右上の小高い丘にカプツィーナー教会がある。橋を渡って、真っ直ぐに伸びている道はリンツァーガッセ(通り)という新市街地へ抜ける道で高級商店街があるらしい。旧市街地のゲトライデ通りに匹敵する通りだということだが、別に買い物はないので、そのまま、左に折れ、坂を登り続ける。暫らく行くとマカルトプラッツに至る。


遠い夏に想いを-モーツアルト家

 モーツアルトが、1773年~1780年の間、ザルツブルグ最後の期間に住んでた家だ。ここが修復されたのは、つい最近の1995年のことだ。今は博物館になっており、モーツアルトの記念館として、いろいろ資料が展示されている。いろいろと言っても、限られているので、住んでいた当時の家の中を見るだけでも興味がある。


 モーツアルトが初めてイタリアを訪れた1770年は、ある意味でクラッシク音楽の転換期であった。バロック最後の音楽家タルティーニが没し、新星ベートーベンが生まれた年だ。


遠い夏に想いを-モーツアルト家玄関  ゲトライデ通りのアパートから引っ越したのは、第3回目のイタリア旅行から帰ってからだろうか。それとも、その後、ザルツブルグの宮廷に飽き飽きしてウイーンへ職探しに旅行しているが、ウイーンから帰ってきてからだろうか。とにかく、1773年というとモーツアルトも17才になっている。


 子供の時からヨーロッパ各国を旅行して、悪い音楽・良い音楽、新しい音楽・古い音楽をたっぷりと聞いてしまっている。さらに、イタリアの明るい晴れやかな単旋律の音楽にモーツアルトなりに影響されて、ケッヘル番号でいうと130番代から180番代の初期の傑作が続々と誕生した頃である。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
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 このバロック・ホールの正面舞台では、弦楽カルテットとコントラバスの演奏が始まった。観光用の演奏会は印で押したように『アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク』で始まる。ここの演奏者はみな若い。ザルツブルグ在住の楽器奏者と歌手からなる音楽グループである。演奏の上手下手は別にして、こんな時は楽しまなけりゃ損だ。なかなか軽快な滑り出しである。みなモーツアルトの時代の衣装とカツラをつけて演奏している。チェロとコントラバスは、例の赤い上着のスタイルだ。ヴァィオリンとヴィオラの3人はグレーの上着だ。ディナー・コンサートだから、モーツアルトの軽い音楽しかやらない。


遠い夏に想いを-器楽

 それにソプラノとテノールの歌曲が続く。ソプラノの女性は可愛いが結構年増だ。「フィガロの結婚」の舞台から出た来たような白いふさふさの衣装を着けている。テノールも黒と白の舞台衣装姿だ。モーツアルトの『フィガロの結婚』や『魔笛』からのアリアを数曲披露する。ソプラノはなかなか声がいい。音域も結構あって、音程も確りしている。日本人の歌手はコロラトゥーラが苦手だが、彼女はヴァイオリンのように正確に音を刻んでゆく。何よりも、表情豊かに歌うのいい。ザルツブルグでも可愛らしい娘がこんなに気の利いた歌い方をする。ヨーロッパでは上手い娘がゴロゴロいるだろうから、競争は激しいに違いない。


遠い夏に想いを-声楽

 料理は3皿出て、コーヒーがついて終った。メーンディシュのステーキも美味しかったし、何より楽しかった。いつの間にか10時を過ぎていた。ホテルに帰って寝よう。


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 夜になって、時刻よりも少し早めに出かけた。聖ペーター教会だから、大聖堂の前を右に曲って真っ直ぐ行けばいい。しかし、もうとっぷりと暗くなっており右も左も判らない状態だ。聖ペーター教会の付属の
遠い夏に想いを-音楽会 シュティフトケラーというところで音楽会が催される。その中にあるバロックザールと呼ばれる天井が高くてかなり広いホールがある。テーブルが縦に何列も並び、蝋燭の燭台が何か所かに置いてある。「自由席」だから、好きなところに座ればよい。


 私達は正面やや左手、ホールの真ん中あたりに席を取って、ノッコがテーブルの角に座った。向かい側には2人の中年男性が座っている。60才くらいのマッチョ・タイプの男と、なよなよとした30才くらいの男性である。我々の隣には、4人組みの40才代の男女グループがテーブルを挟んで、大声で話しあっている。その様子から判断してアメリカ人のグループらしい。


遠い夏に想いを-テーブル

 この4人は声が大きくて賑やかだ。それに反して、向いの男性は笑顔を絶やさないのだが至って静かで無口である。彼等は白ワインを取った。大きなフラスコを逆さまにしたようなガラスの器をウエイターが持って来た。周りの客が「ほうー」と、感心している。こちらは赤ワインをグラスで貰う。ワイン代は別料金で帰りに払うシステムだ。


 「前の二人はただ者じゃないわよ。関係があやしい」
ノッコが小声で言う。それとなく気をつけていると、どうもホモのようだ。欧米では当たり前のことだから、まあ、余りー気にしないことだ。第一、普通の格好をしているのだし。前に座ったのに、無口で黙ってもいられないので、いろいろ話してみた。イギリスかと思ったら、オーストラリアから来たらしい。マッチョの年配の男性には孫がいて、とても可愛いと目を細める。


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 ゲトライデ通りに出ると雨が少し強くなってきたので傘を買うことにした。モーツアルト博物館の近くに傘屋(alois kirchiag)があり、洒落た傘がウインドーに並んでいる。


遠い夏に想いを-傘屋

遠い夏に想いを-傘  物腰の柔らかい中年の女性がいろいろな傘を親切に開いてみせてくれる。
「チェロを担ぐので、何か便利な傘はありませんか」
「それなら、これはどうでしょうか」
そう言って出してくれたのが、紐が付いて肩から下げられう様になった洒落た女物の傘だった。作りが頑丈な男物の折りたたみ傘と、この女ものの傘を買って店を出た。


 我々は、店員が親切だからとか、優しいからとかいう理由だけで買い物をしてしまう癖がある。優しそうな笑みを絶やさない女性だった。オーストリアの店がフランスやイタリアの店と違う点はこうゆうところで、こうゆう一見何でもないことに、フランス人やイタリア人は拒絶反応を顕わに示す。


 その昔、フランスで女性の洋服を探していて、気に入ったのがない。洋装店のマネキン人形に着せてあるものが素敵だからと、これを見せてくれと女店員に頼んだら、絶対買うのならマネキンから脱がせてやるといわれ、「サイズが合わなかったら買わないよ」て返事したら、店員は駄目だと頑張る。


 イタリアでもウィンドーに置いてある靴が気に入ったので、見せてくれと言ったら、絶対買うのなら取ってくると言われ、これもサイズが合うか合わないか判らないので店を後にした。店の事情があるかもしれないし、今は少しは変わったかも知れないが、基本的に店員の態度は同じだと思う。マネキンに着せてあるのは店の装飾用で、ウィンドーに置いてあるのは飾り物だっていう意味は判るけど、日本人には納得できない。ゲルマン系の人達はあたりまえのように応対するから、カルチャーショックが少なくて済む。


 今日は早めにホテルへ帰ることにする。今夜の音楽会どこへ行くかまだ決まっていない。と言っても、音楽会がめじろおしという訳ではないのだから、何処に行くかを決めてしまえばそれでいいのだ。


 ホテルに戻ると、フロントに宿屋の主人がいた。相談すると、「モーツアルト時代の衣装姿で演奏するディナー・コンサートがいいよ。いままで、奨めた人から『とてもよかった』という感想をもらたが、『面白くなかった』というのはないよ」。彼はしきりに奨める。それでは行ってみるか。ここは演奏会などとは思わないで、学芸会に毛の生えたものでも楽しむという気がなければだめだろう。


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 モーツアルトの主張に「才能あるものは旅行せねばだめだ」とういのがある。35才でなく亡くなるまでの420ヶ月の存命中に120ヶ月も旅行している。一生の内、30%近くも旅に明け暮れている。


遠い夏に想いを-博物館

 いわゆる少年期の大西方旅行時代では、6才から10才まで続くのだが、生まれたから70%くらいの日々を旅行に明け暮れるのである。殆どザルツブルグには居ない。だだの旅とは違う、王侯貴族に迎えられて過す旅なのだ。当時、お抱え音楽家の地位は厨房で働く料理女と同じであった。雇い主の要望に従って一皿ごと作曲し消えて行く。


 そんな時代に、子供の頃にヨーロッパ中を旅して、音楽だけでなく、最高級なものを見聞してしまったヴォルフガングには、ザルツブルグの閉ざされた社会は息が詰まる思いがしたろう。父親のレオポルドは厳格であったが、ヴォルフガングを使って、王侯貴族に売り込む才能には長けた男だったらしい。


遠い夏に想いを-博物館2  モーツアルトのザルツブルグ嫌いは有名だが、本当は、口で言うほどには嫌っていたのではないだろう。コロレード大司教が大嫌いだったこともあるだろう。地方を嫌って東京に出て来た者にとって、気持ちは判るような気がする。とにかく、ザルツブルグ時代のモーツアルトの明るく屈託のない音楽は大好きだ。特に、ケッヘル番号で100代の音楽は、まさに晴れた日のザルツブルグの青空からイタリアを見上げているようで、何ともいえず心が弾む思いだ。



遠い夏に想いを-博物館3  生家のモーツアルト博物館には殆ど何にもない。廊下は明るい。モーツアルトの時代からそのままたのかどうか判らないが、モーツアルト一家の、姉ナンネルと弟ヴォルフガングのはしゃぐ声や、父親の厳めしい声、母親の優しい声が聞こえてくるようだ。









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