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遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 ミラベル宮殿の左手には2階へ通じる装飾豊かな階段がある。演奏会などにも使われる宮殿広間の入り口だ。この2階にはモーツアルトも子供の頃から青年時代にかけて良く来たのであろう。大司教のためにセレナードやデヴェルティメントを演奏するのに、この階段を上っていったことだろう。


 ことのほか、音楽には、というよりもドイツの音楽家には、冷たい大司教だった。全てイタリア趣味であった。ローマカトリックの司教だから仕方がないのかも知れない。しかも、時代がそのように動いていたから、しようがないと言えばしようがないのだろう。小国の浮沈に気を遣わなければならないコロレード大司教にとってモーツアルトなどどうでも良かったであろう。


 ウイーンでもハプスブルグ家はモーツアルトに対して表面上は取り繕っていたものの、裏では「物乞い」扱いで、マリア・テレジアの息のかかった地では、召し抱えるのはご法度であった。当時のオーストリアは大帝国で東はハンガリー・チェコ、イタリア北部(南部もスペインの支配)、スペイン、スペイン植民地の南米まで、イギリス、フランス、北欧を除くヨーロッパ諸国を支配下に置いていた。


 これは子供の頃に西方の大旅行やウィーンに度々旅行していた父のレオポルドのせいかも知れない。モーツアルトを売り込むために結構あくどく動き廻っていたらしい。


 当時の音楽家の地位などというものは、釜炊き女とさして変わらない時代だし、実際厨房の女たちと昼食も取らされている。宮仕えをしている限りどうにもなかったであろう。ウィーンに移ってから若いベートベンが彼の元に訪れて来るが、モーツアルトが「作曲が遅い」とベートーベンに言ったらしい。宮廷に仕える身としては、大司教に要求されたら、料理人のよに直ぐ仕上げなきゃならない宿命にあったのだろう。芸術家としとの認識はベートーベンからだ。身分は日本のぺいぺいサリーマンとたいして変わりないのだ。


遠い夏に想いを-旧市街

 庭園を散策しながら正面から出る。雨で路面が濡れて、街全体が霞んで見える。右に折れて、ザルツァハ川に出る。マカルト橋のこちら側から眺める旧市街の風景は一段と視界が開け筆舌に尽くせないほどに美しい。


遠い夏に想いを-旧市街2

街を一回りしてホテルへ戻った。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学へ留学した記録のホームページにもどうぞ

 やや暫く行くと、右手にミラベルの庭園が見えてくる。ミラベル宮殿の庭園を裏から入り、宮殿の脇を抜けてなかに入る。赤い花が咲き乱れて美しい。


遠い夏に想いを-ミラベル裏

 周囲の木々は濃い緑が庭園を囲っている。正面にホーエンザルツブルグ城が丘の上に小雨に霞んで見える。その下にたち並ぶ聖堂の緑のほうずき屋根の塔が見える。何と素晴らしい眺めだろう。実は、ここは映画『サウンド・オブ・ミージック』の中でマリアと子供たちが歌を歌う一場面に出てくるところだ。


遠い夏に想いを-ミラベル表

 宮殿の正面に廻ると、白亜の立派な建物で、その前には見渡す限り赤や黄色やピンクの花が咲き乱れ、大きな噴水から水しぶきが空に吹き上げられている。


 この宮殿の起源は16世紀の終わりに、ザルツブルグの領主だったヴォルフ・デートリッヒ大司教が、商人の娘のザロメ・アルトをアルテナウ伯爵夫人と名乗らせて、愛人にし、その居城として造らせた建物だった。カトリックの聖職者は結婚できない決まりなので、愛人として囲っていたのだ。その後、2代後の司教ロドローン公パリスが改築を命じ、現在、我々が見るミラベル宮殿となった。ことの善し悪しはさておき、大変に美しい建物で、庭も殊のほか美しい。まさに、ベルサイユ宮殿のトリアノン宮と比べてもそん色がない。


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 ランデス劇場の後側にはマリオネット劇場があり、モーツアルトの歌劇をマリオネット(操り人形)で演じている。子供向けには最適だ。大人にはストーリーを見るだけ以外は、さして興味が湧かないのではないか。日本の人形浄瑠璃ほど洗練された人形劇ではいないだろう。パリのリュクサンブール公園のギィニョール(人形)芝居ってところだろうから、時間を持て余している人には一興と言えるかもしれない。
$遠い夏に想いを-マリオネット

 この日はモーツアルトの『魔笛』がかかっていた。日本のテレビコマーシャルにも使われた『魔笛』には有名な「夜の女王アリア」がある。

 これは劇場版でなく、録音版ですが、音がいいので聴いてください。



 数あるモーツアルトの歌劇のなかで、『魔笛』はベートーベンが唯一気に入った歌劇らしい。いかにも真面目なベートーベンらしい。

$遠い夏に想いを-モーツアルテウム

 マリオネット劇場の前を通り過ぎると、モーツアルテウムがある。モーツアルテウムは中には小劇場などがあり、ロココ時代を匂わせる装飾が施されているのだが、ザルツブルグ音楽祭が終った後で中には入れない。ザルツブルグ音楽祭にはサブ会場として使われる。ここでの演奏会は中継テレビで日本にも放送される。見た方がいるかも知れない。

 小雨はあがったとは言え、今にも空から雨粒が落ちてきそうな空模様だ。

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 モーツアルトの姉ナンネルの話が出たので、当時の女性の作曲家について考えてみよう。


遠い夏に想いを-映画  今年の4月に上映された映画『ナンネル・モーツアルト 哀しみの旅路』をご覧になった方もいるかも知れません。モーツアルト一家が1763年から1766年まで約3年間、西ヨーロッパの国々を旅をした、所謂、「西方への大旅行」で、フランスに滞在した時の話を映画化したものです。しかし、現在残っている「モーツアルト書簡集」の第1巻に記された内容とは少々異なり、脚色の多いフランス映画です。



遠い夏に想いを-ナンネル  ザルツブルグを出発した時は、ナンネルは11歳であった。弟のボルフガングは7歳で、この時既に、弟は姉の才能を超えていた。


 ナンネルも小さいときは天才少女と呼ばれるほどにクラブサンやピアノが上手だった。彼女は才能を生かして、作曲家になりたかった。しかし、「女性は相応しい男と結婚すべし」と主張する父レオポルドに反対され、夢は叶わなかった。ナンネルは、弟と違って、両親に従順な女性だった。


 ところで、女性の作曲家で、誰を思い出しますか。「女性作曲家」と言われる女性は多い。だが、我々の記憶に残る女性は、クララ・シューマンくらいですね。あえて加えれば、マーラーの妻のアルマくらいでしょうか。彼女も夫、マーラーとの葛藤があり、作曲を禁止されてしまう。


 クラッシク音楽ではどうして女性の進出がないのでしょうか。音楽界は、歌舞伎と同じく男性社会が原因なのかも知れません。


 ヘンデルの頃までカストラートという女役(去勢された男性で、女性の高い音域の声が出る)が幅を利かせていた。ウィーン・フィルだって女性の団員が認められたのは最近の話しである。今では女性の指揮者が登場する時代になったのだが。


 それに引き換え、絵画の世界では素晴らしい女性画家が多く存在する。今年春に開催されたヴィジェ・ルブラン展など素晴らしい。マリー・アントワネットは肖像画をルブラン以外には描かせなかったという。


遠い夏に想いを-ルブラン
ルブランの自画像


 彼女以前にも素晴らしい女性画家が18世紀、イタリアのヴェネツィアにいた。その名はロサルバ・カリエラ。日本では余り知られていないが、パステルによる肖像画の才能は素晴らしいものがあった。


遠い夏に想いを-カリエラ カリエラのパステル画


 その後、フランスではロココ趣味がもてはやされ、パステル画隆盛のきっかけになった。モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥールの『ポンパドゥール侯爵夫人の肖像』など、パステルによって傑作が生み出されている。カリエラの名はヨーロッパ中に知れ渡り、各国を廻って注文に応じたという。彼女の絵はルブラン展にも同世代の女流画家として展示されていた。


遠い夏に想いを-ポンパドール婦人
ポンパドール侯爵夫人像


 印象派の時代になると絵の世界にも女性の進出が多くなる。名前を挙げたら限がないので割愛するが、音楽の世界と絵画の世界ではどうしてこんなに違うのだろう。抽象芸術と具象芸術の違い?皆さん、どう思いますか。


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 18世紀の版画を見ると、ザルツブルグの旧市街はミラベル宮殿の外側から城壁が始まっていたらしいから、モーツアルトの新居も決して寂しいところではなかっただろう。現在はピンクに塗られているが、なかなか堂々としている。2階の8部屋を借りて住んでいた。


 前の広場が交差点で、マカルト広場になっており、見晴らしはとても良い。1階はCDショップになっていて、2階が博物館になっている。ここは遺品と呼べるものが何もないので、モーツアルトが作曲をしたり、毎日、冗談いったり、ピアノを弾いたりという想像を巡らせないと来館した楽しみが半減する。


遠い夏に想いを-ランデス

 マカルト広場の向かい側はランデス劇場というザルツブルグの人口規模にしては大きな劇場が建っている。ここの場所には1775年に建てられた劇場があったというから、結構その歴史は古い。記録によると、姉のナンネルがモーツアルトの家の2階から、望遠鏡で劇場に誰が来ているのか眺めていたらしい。もう20歳を過ぎたナンネルを想像するだけで可笑しくなる。


 この日はシェクスピアーのロメオとジュリエットの横断幕がはってある。モーツアルトも演劇は大好きで、サルツブルグでも演劇は見ていたらしい。シェクスピアーが好きで、全集を持っていたと言うから、シェクスピアーの出し物でオペラを書かなかったのが不思議だ。シェクスピアーでは重過ぎたのだろうか。


 シェクスピアーもので成功しているのは、シリアスなものでは、ロッシーニやヴェルディの「オテルロ」や、ヴェルディの「マクベス」、プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」(バレー音楽)くらいで、「ウインザーの陽気な女房達」にしろ、「真夏の夜の夢」にしろ軽いものばかりだ。


遠い夏に想いを-三位一体  マカルト広場の奥には三位一体教会がある。バロック様式の堂々たる教会で、エアラッハの設計らしい。ここには入らなかった。





 そのままザルツアッハ川の方へ歩いた。ランデス劇場の直ぐ前にクリスチャン・ドップラーの生家があった。ドップラー効果のドップラーもザルツブルグの生まれで、他にも指揮者のカラヤンもザルツブルグの生まれだ。


遠い夏に想いを-ドップラー

        ナナイロさんプレゼント有難うございます。


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