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遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 ウイーンを訪れるのは28年ぶりだ。ウイーン空港に降り立ったものの、当時の記憶を呼び起こしてくれるものは何一つ残っていない。1972年のあの日は凄い雨だった。時雨とでも言うのか、飛行機に乗るときに突然雨が降ってきた。空は曇っていたが、時々陽がさして、明るかった記憶がある。


 当時、空港の2階のロビーから滑走路を見ていた。完成したばかりという風で、ベージュ色の、いかにもオーストリアらしい清潔なターミナルだった。世界中で変化が激しい建築物は空港かもしれない。ヨーロッパでは鉄道の駅は100年近くも変わっていないところが多い。しかし、空港はどんどん変わって行く。これほど効率が要求されるところはない。そうゆう意味では日本のビルや民家がスクラップ・アンド・ビルドでどんどん変わって行くのは、効率を求めているからで、まだ『完成されていない』と日本人は無意識に感じるからであろう。


 今のウィーンでは市内まで高速道路が通じており、20分ほどで着いてしまう。昔のように路面電車沿いの道をのんびりバスが走ることもない。ただ、昔懐かしい道をゆっくり行ってくれたらと思うのは単なるノスタルジアかもしれない。


遠い夏に想いを-ミッテ駅  空港バスは市内の空港ターミナルまで行き、空港ターミナルに接続しているウィーン・ミッテ駅で地下鉄に乗る。市の中心地のシュテファンプラッツ駅までは2駅と近い。(右の写真はミッテ駅)
遠い夏に想いを-ホテル
(中央がホテルヨーロッパ)
 ホテルは『ホテルヨーロッパ』、日本人の団体客が多く利用するホテルらしいが、この時は日本人は誰もいなかった。所在地は『ノイアーマルクト広場』と一等地だ。シュテファンプラッツからケルントナー通りを歩き、カールプラッツの中ほどまで来ると、右側奥にノイアーマルクト広場が見える。ノイアーマルクト広場はウィーンの城壁が取っ払われる以前は市で一番新しい市場であったらしい。現在でも『新市場』の名で呼ばれている。パリのセーヌ川に架かるポンヌッフ(新橋)が実際は最古の橋なのと同じだろう。


遠い夏に想いを-ノイアーマルクト
 ホテルの1階、特に繁華街のケルントナー通側は食堂になっており、入り口はノイアーマルクト広場側にある。大きくはないが、9階建てのピンク色の清潔なホテルだ。従業員も親切で丁寧でなかなか感じが良い。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学へ留学した記録のホームページにもどうぞ

 今日はザルツブルグを発つ日だ。朝から快晴である。なんだか、到着日と出発日とだけ天気がよかったような気がする。朝食とって、衣類の整理をし、2階の受付で支払をする。音楽会の切符はカードで払うと5%ばかり高くなる。現金で払おうと思ったが、その分の現金が足りない。

$遠い夏に想いを-モーツアルト広場

 「モーツアルト広場のアメリカン・エクスプレスが多分開いているよ」
ホテルの主人がそう言うので、交換所に行ってみた。前日の雨があがり、空が青く澄んでいる。なんとすがすがしい朝だろう。路面はまだ濡れているが、久しぶりに足が軽く、駆けで足行ってくる。ここのアメリカン・エキスプレスはなんとなく交換率が良いような感じがする。モーツアルト広場にはモーツアルトの像が立っている。

 ウィーンに発つ飛行機は午後だから、市内を一回りすることにした。荷物を預けて、街へとび出して行った。

$遠い夏に想いを-祝典1

 先ず、大聖堂の前を通って真直ぐ歩く。フランツスカイナー教会の横を抜けて歩いてゆくと、左側に祝祭小劇場と祝祭大劇場か現われる。ザルツブルグ音楽祭は8月の下旬に終わっている。音楽祭の時期に来たら大変な人混みになるだろう。劇場内には入れないが、テレビ中継などで見ていると思う。もともと大司教の厩舎だったところだそうで、現在でも傍に馬の飲み水場が残っている。

$遠い夏に想いを-祝典2

 ザルツブルグ音楽祭は1887に始まった。1920年に現在のザルツブルグ・フェスティヴァル(演劇も上演される)としてスタートし、世界の有名なオーケストラや指揮者が演奏する音楽祭に成長する。

$遠い夏に想いを-シューベルト

 コレギエン教会の前の市場を抜けて、建物の中の抜け道を通ろうとしたら、シューベルトの記念プレートを発見。1825年5月から10月にオーストリア北部地方を旅している、彼の短い人生の中で最も楽しい時期にあたる。そうして、ザルツブルグは彼が最も愛して土地だ。

$遠い夏に想いを-イースター

 ゲトライデ通りに出る。いつ見ても美しい通りだ。イースター・エッグ専門の店がある。店の中は全てイースター・エッグばかりだ。日本にもクリスマス用品だけを年中扱っている店があるが、一年間同じ品物を売り続けて、商売になるのだろうか。

$遠い夏に想いを-ゲトライデ

 ゲトライデ通りを進むと、ジグムント広場のはずれにでる。岩山を背にして馬の飲み水場がある。余りに豪華なので説明を読まないと馬の飲み水場だとは分らない。どうも、1700年頃に造られた大司教専用のものらしい。贅沢極まりない。

$遠い夏に想いを-水のみ場

 ここからザルサッハ川にでて、食材店に入り、ザルツブルグの岩塩をお土産に買い、ホテルに戻り、支払いを済ませて外に出た。


ザルツブルグの息をのむ光景

 空港まではタクシーで行くしかない。モーツアルト広場を抜けて、タクシー乗り場に行き、一台のタクシーに乗った。運転手はひげを生やした中肉中背の年配の男だ。英語が通じない。空港くらいの英語は解るのだが、何を聞いても口を聞かない。決して愛想は悪い方ではない。車は旧市街の左手から坂道をのぼり、大きく右手にう回する。すると、突然、ホーエンザルツブルグ城の遥か裏手に出て、その光景に驚かされる。

$遠い夏に想いを-ホーエン

 空港は小さいが清潔で感じがいい。夏のような日差しが空にあふれ、遠くには山々が連なる。八月の音楽祭の時など、空港は猛烈な人でごった返しているだろうが、今は閑散として人気がない。空港が小さいために、離着陸できるのは高翼式の小型機だけだ。フィレンツエの空港に離着陸する機種と同じだ。

$遠い夏に想いを-空港

 飛行機は唸りを上げて飛び立った。機内は空いている。窓からは夏のように眩しい光が入ってくる。左手にアルプスの峰々を眺めながら、約1時間のフライトでウイーンに到着する。



$遠い夏に想いを-アルプス

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遠い夏に想いを-ミラベルホール

 モーツアルトのディヴェルティメント(喜遊曲)が軽快に始まった。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロがある程度弾けるようになると、誰でも最初にトライしたくなる合奏曲である。喜遊曲は自由な様式で、ハイドン、モーツアルトに作品が多い。


 その次は2番のニ長調のヴァイオリン・コンチェルト。カルテットでどうやってコンチェルトを演奏するのかと思ったら、レスコヴィツという年配の独奏者が出てきて、弦楽四重奏をバックに演奏し始めた。確か、オーボエとホルンがある筈だが。曲はどんどん軽快に進む。


 モーツアルトのヴァイオリン協奏曲は19歳で作曲した5曲しか残っていない。他に、3曲のコンチェルト(アデライーデと6番と7番)が残っているが彼の本当の作品かどうかは疑わしいと言われている。モーツアルトのヴァイオリン協奏曲には管楽器が少ない。2番のコンチェルトも伴奏に弦とオーボエとホルンしかないので、室内楽でも演奏できる。


 モーツアルトが19歳でヴァイオリン協奏曲を作曲しなくなった理由は定かでないが、ヴァイオリンという楽器の特性があるのかも知れない。練習は全ての楽器に必要なことは言うまではないが、ヴァイオリンは練習し続けなけれ駄目な楽器らしい。それにオペラを作曲し、舞台での練習ピアニスト(コレペティトゥアという)として、ピアノは欠かせない。ピアノ協奏曲は番号のついているだけで27曲も作っている。ヴァイオリンソナタは晩年までかなりの数を作曲しているが、貴族とか金持ちの奥方たちに献呈するためらしい。


 最後はブラームスのピアノ五重奏曲・作品34で、ピアノはホ―ファーという女性だ。暗い憂鬱な旋律で始まった。かなり劇的な曲なのだが、彼女の演奏はブラームスというよりも、ベートヴェンの曲を演奏しているみたいだ。


 「前の女性の様子が変よ」
演奏の合間にノッコが小声で囁く。その女性の隣は空席になっていて、女もののコートが置かれている。誰か連れが来るのかなと思ったが、遂に誰もこなかった。
「こんに混んでいるのに、席を空けておくなんて」
その隣の年配の婦人が彼女に注意しているが、彼女は「我存じませぬ」という風に、ニタリと笑うだけだ。しょっちゅう身体をゆっくり揺らし、落ち着きがない。演奏は聞いているのか聞いていないのか定かではない。だだ身体を揺らすこと以外、他の客の邪魔はしない。身なりは上品で、着ているものも黒ぽいジョーゼットのブラウスに、こげ茶のスカートをはいている。鼻は少々カギ鼻だが、ある意味、美人の部類に入るだろうか。


 演奏会が終って外に出ると、庭は暗闇に覆われている。庭を抜けて、橋を渡り、ホテルまで歩いても10分とかからない。小さな街も長くいると退屈するが、近くて便利なこともある。


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 夜はミラベル宮殿で音楽会がある。今夜はザルツブルグ最後の夜だ。夕暮れの街をゆったりと歩く。ザルツッハ川を渡り、橋の上から夕暮れの霞むような水川面の光を眺める。


遠い夏に想いを-ザルツッアハ

遠い夏に想いを-パンフレット  まだ、少し早いがミラベル宮殿の2階の広間に通じる階段を上る。ミラベル宮殿は19世紀初めに火災にあっているらしく、建設された当初の面影はないそうだが、この大理石の階段は当時のままらしい。少年モーツアルトもこの華麗なロココ調の階段を軽快に駆け上って行ったであろう。


 まだ早いので、受付には2~3組の客が手持ちぶたうにひそひそ話をしながら開場を待っている。


 今日の演奏はヴォーセス・カルテットという四重奏団で、このマルモル(大理石)ザールという広間でおこなわれる予定だ。ミラベルで一般に公開されているのはこの広間だけらしい。



遠い夏に想いを-ミラベル階段
 客が入場しだすと、会場は直ぐに満員になった。追加の折りたたみ椅子が置かれたくらいだ。300人以上は収容できる会場で、椅子は教会にあるような木のベンチ風だ。広間はほぼ正方形に近く、室内装飾は黄色と白のロココ調で、典雅な雰囲気が漂う素晴らしい空間である。満員になると、床が平らので、後ろの席から演奏者が見えない。


 今日のプログラムはモーツアルトのK136のディヴェルティメントで始まる。まあ、夏のコンサートだし、モーツアルトの初期の名曲だから良いことにしよう。ポピュラーな曲だと馬鹿にする人がいるけれども、モーツアルトがイタリア帰国後の16才の時に作曲した軽快で明るい弦楽合奏曲だ。


 それとモーツアルトの2番のヴァイオリン協奏曲とブラームスのピアノ五重奏曲で終わる。演奏にはヴァイオリニストとピアニストがそれぞれ加わる。


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 一休みして、「5時からのコンサート」に向かう。大聖堂の前に2階建ての回廊のような建物がある。アーチ状の通路の左側がハイドンの弟、ミヒャエル・ハイドン博物館(記念館)で、奥の右側に小さな空間があり、そこが演奏会場になっている。


 ミヒャエル・ハイドンは殆ど知られていないが、交響曲を40曲以上、弦楽四重奏・五重奏を20曲以上、その他多数の室内楽、協奏曲も多く、オペラや教会音楽も手がけている。ザルツブルグの宮廷楽長も務めた。ザルツブルグ生まれでないが、ザルツブルグで没している。サルツブルグはミヒャエル・ハイドンの街でもある。


遠い夏に想いを-ハイドン記念館  そこは、一段下がっていて、20畳ほどの面積しかない。椅子は20脚ほどある。2人の若い女性による楽器演奏で、ヴィヴァルデイやフンメルの小品である。ミューラー嬢が弾くハンマーフリューゲル(ハンマークラヴィア)、シュタウス嬢が弾くハックブレッドとうチターのように弾く小さな楽器。ハンマーフリューゲルは日本では余り演奏される楽器ではない。ピアノの前身の「フォルテピアノ」と同じものだ。少なくとも私達は初めてであった。モーツアルトの時代は結構一般的な楽器だったのだろう。父レオポルドのオランダからの手紙にもザルツブルグに置いて来たフリューゲルのことが出てくる。

遠い夏に想いを-5時から演奏会  ここでの演奏会は主にモンテヴェルディからベ-ト-ベンまで様々な作曲家の室内楽を様々な演奏家・楽器で殆ど毎日演奏される。毎日ではミヒャエル・ハイドンの曲では数が間に合わないのであろう。


 演奏会に観客が15人くらいである。事前に切符を買っておいたので、一番前の席に案内された。フンメルはともかくとして、ヴィヴァルディはべらぼうな数の曲を書いたけれど、チェンバロばかりで、ハンマーフリューゲルの曲を書いたとは知らなかった。まあ弦を引掻くのでなくて、ハンマーで叩くピアノの原理はイタリアで発明されたものだから作曲していたのだろうか。




遠い夏に想いを-会場

 とにかく、ヴィヴァルディの二調長の協奏曲をこれ等の楽器用に編曲したもので、何とも華麗な響きが聞こえてくる感じだ。バッハの息子のクリスチャン・バッハとフンメル、みな編曲したものだ。まあ編曲でもしなければ、この楽器のためのオリジナル曲はないかも知れない。


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