一休みして、「5時からのコンサート」に向かう。大聖堂の前に2階建ての回廊のような建物がある。アーチ状の通路の左側がハイドンの弟、ミヒャエル・ハイドン博物館(記念館)で、奥の右側に小さな空間があり、そこが演奏会場になっている。
ミヒャエル・ハイドンは殆ど知られていないが、交響曲を40曲以上、弦楽四重奏・五重奏を20曲以上、その他多数の室内楽、協奏曲も多く、オペラや教会音楽も手がけている。ザルツブルグの宮廷楽長も務めた。ザルツブルグ生まれでないが、ザルツブルグで没している。サルツブルグはミヒャエル・ハイドンの街でもある。
そこは、一段下がっていて、20畳ほどの面積しかない。椅子は20脚ほどある。2人の若い女性による楽器演奏で、ヴィヴァルデイやフンメルの小品である。ミューラー嬢が弾くハンマーフリューゲル(ハンマークラヴィア)、シュタウス嬢が弾くハックブレッドとうチターのように弾く小さな楽器。ハンマーフリューゲルは日本では余り演奏される楽器ではない。ピアノの前身の「フォルテピアノ」と同じものだ。少なくとも私達は初めてであった。モーツアルトの時代は結構一般的な楽器だったのだろう。父レオポルドのオランダからの手紙にもザルツブルグに置いて来たフリューゲルのことが出てくる。
ここでの演奏会は主にモンテヴェルディからベ-ト-ベンまで様々な作曲家の室内楽を様々な演奏家・楽器で殆ど毎日演奏される。毎日ではミヒャエル・ハイドンの曲では数が間に合わないのであろう。
演奏会に観客が15人くらいである。事前に切符を買っておいたので、一番前の席に案内された。フンメルはともかくとして、ヴィヴァルディはべらぼうな数の曲を書いたけれど、チェンバロばかりで、ハンマーフリューゲルの曲を書いたとは知らなかった。まあ弦を引掻くのでなくて、ハンマーで叩くピアノの原理はイタリアで発明されたものだから作曲していたのだろうか。
とにかく、ヴィヴァルディの二調長の協奏曲をこれ等の楽器用に編曲したもので、何とも華麗な響きが聞こえてくる感じだ。バッハの息子のクリスチャン・バッハとフンメル、みな編曲したものだ。まあ編曲でもしなければ、この楽器のためのオリジナル曲はないかも知れない。
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学へ留学した記録のホームページにもどうぞ