モーツアルトの主張に「才能あるものは旅行せねばだめだ」とういのがある。35才でなく亡くなるまでの420ヶ月の存命中に120ヶ月も旅行している。一生の内、30%近くも旅に明け暮れている。
いわゆる少年期の大西方旅行時代では、6才から10才まで続くのだが、生まれたから70%くらいの日々を旅行に明け暮れるのである。殆どザルツブルグには居ない。だだの旅とは違う、王侯貴族に迎えられて過す旅なのだ。当時、お抱え音楽家の地位は厨房で働く料理女と同じであった。雇い主の要望に従って一皿ごと作曲し消えて行く。
そんな時代に、子供の頃にヨーロッパ中を旅して、音楽だけでなく、最高級なものを見聞してしまったヴォルフガングには、ザルツブルグの閉ざされた社会は息が詰まる思いがしたろう。父親のレオポルドは厳格であったが、ヴォルフガングを使って、王侯貴族に売り込む才能には長けた男だったらしい。
モーツアルトのザルツブルグ嫌いは有名だが、本当は、口で言うほどには嫌っていたのではないだろう。コロレード大司教が大嫌いだったこともあるだろう。地方を嫌って東京に出て来た者にとって、気持ちは判るような気がする。とにかく、ザルツブルグ時代のモーツアルトの明るく屈託のない音楽は大好きだ。特に、ケッヘル番号で100代の音楽は、まさに晴れた日のザルツブルグの青空からイタリアを見上げているようで、何ともいえず心が弾む思いだ。
生家のモーツアルト博物館には殆ど何にもない。廊下は明るい。モーツアルトの時代からそのままたのかどうか判らないが、モーツアルト一家の、姉ナンネルと弟ヴォルフガングのはしゃぐ声や、父親の厳めしい声、母親の優しい声が聞こえてくるようだ。
Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学へ留学した記録のホームページにもどうぞ